第155話 お姫様
モルドレイの私兵と王都からの援軍、合わせて二千の軍勢は樹海南側の街道前に布陣した。
樹海の出入り口。
道なき道を行軍するわけにもいかないので、軍隊が出入りするならこの場所だ。
しかしカーメルたちモルドレイ配下の斥候による情報によれば、樹海を挟んで向こう側の帝国兵は壊滅したらしい。
十日を目処にこの場所に駐留し、状況を静観することになった。
モルドレイの斥候は隠密に長けている。
カーメルはハーフエルフということもあり、自分の魔力を隠蔽することができる。
演武祭での魔導戦優勝メンバーであったことも評価され、卒業後すぐにレディレッド私兵に所属することになったそうだ。
王国内にモルドレイほど帝国に対して危機感を持っている貴族はいない。
彼は帝国兵の強さを一番良く知っている。
何しろ、自分を一度追い詰めた相手なのだ。
最大限の警戒心を持つことは当然と言える。
樹海に来れば祖父パラケストに会えるかもしれないなんて淡い期待もあったが、樹海の奥地に住む彼に会うのは難しそうだ。
ユグドラシルの恩恵によって、樹海の内部は数多の植物で混沌としている。
ここからパラケストのあばら屋までは直線距離からは想像できないほどに遠いのだ。
駐留開始から半日経った頃、樹海に放たれた斥候から詳しい情報が入ってきた。
帝国軍は退却を開始したらしい。
魔物に襲われたそうだが、死者は少なかったそうだ。
そればかりか実際に現場を見た斥候は、ほとんど死者が出なかったのではないかと報告を上げた。
魔物に襲われて死者が出ないというのはおかしな話だ。
魔物は人間を殺すことに躊躇いを持たない。
僕たちが魔物を殺すことを何ら躊躇しないことを考えると自然なことだ。
しかし、千人からなる軍勢をただ無力化しただけと言うのは解せない。
何か狙いがあるのだろうか。
僕はデュラハンを通して視た、もう一人の魔王のことを思い出す。
あの魔王が、また魔物を遠隔操作したのではないだろうか。
魔物が理性的な行動を取るというのは、それしか考えられない。
しかし、あの魔王の憎悪に触れた僕には、南方の魔王が人間を殺さないことそのものの方が理解できない。
今でも思い出す。
あの目は、完成された狂気だった。
深い憎しみの発露。
その片鱗を思い浮かばせるあの冷たい目。
顔の輪郭なんかは分からなかったが確かに、僕はアレの目を視たのだ。
その日は斥候からの報告を聞いた上で、やはり十日を目処に駐留を継続することにした。
未だ千人の軍勢を追い返すほどの魔物が樹海に潜んでいるのだ。
それがこちらに現れないとも限らない。
しかし、こちらには僕を含めて四人の魔物特効持ちがいる。
こと魔物に対しての戦力で言えば、千人の帝国兵とは比べものにならない強さだろう。
どんなに強い魔力抵抗を持っていても、僕たちはそれを擦り抜けて攻撃を当てられる。
その魔物が強敵であればあるほど、このタイミングで仕留めることには大いに意味がある。
帝国兵をやっつけたから恩赦。
なんてことにはならないのだ。
魔物が相手なら特に。
その日の夜から樹海前での野宿生活が始まった。
次の日、さっそくイズリーが飽きた。
「いつになったら戦えるの? ねーねー、まだー? 早く帝国の人殺したい!」
その発現は些か過激すぎやしないだろうか。
なんて僕は思ったが、こればっかりは仕方がないのだ。
僕たちの任務はここで魔物を待つことなのだから。
さらに次の日。
つまり三日目だが、イズリーは駄々をこね始めた。
「ああああああー! もうヤダ! もうヤダ! もう限界! 早く戦いたい!」
まるで薬物の禁断症状に苦しむイズリーを見て、僕は恐怖を感じた。
四日目。
イズリーは訓練という名目のもと、ミリア隊の名だたる魔導師や騎士たちに喧嘩をふっかけ、彼らの尽くをぶちのめして回った。
「イズリーさん! およしなさいな! 戦いの前に隊が全滅してしまいます!」
なんてミリアは嘆いていたが、イズリーは少しスッキリとした顔付きだ。
「これはくんれんです!」
なんてイズリーはドヤ顔だが、彼女のやってることはガラの悪い田舎のヤンキーと大差がない。
五日目。
ついにイズリーが壊れた。
「今日もくんれんしまーす! あ、そーだ、モルドレイ爺さんとくんれんしよー! そーしよー! にしし、これはメイアンです!」
なんて言い始めたので、流石に僕は全力で止めた。
イズリーとモルドレイのどちらが強いのかは知らないが、味方の総大将を討ち取ろうという一介の兵士など、流石に軍法会議物だ。
六日目。
イズリーは灰になった。
普段は僕が朝起きると、イズリーは木の枝を振り回したり木登りしたりトカゲを追いかけ回したり隊の将兵を追いかけ回したりしているのだが、姿が見えなかったのだ。
不審に思った僕が指揮官の宿泊用に建てられた天幕の中を覗くと、イズリーは隅っこにうずくまってシクシク泣いていた。
「……今度はどうしたの、イズリー?」
僕の問いに鼻をすすりながらイズリーは答えた。
「……もう、飽きた」
僕は思った。
……飽きちゃったかあ。
ハティナとミリアは何やらイズリーを叱っていたが、彼女がそんなことに聞く耳を持つことなどないだろう。
イズリーが隅っこでうずくまる時は、彼女にとっては本当に限界なのだから。
「イズリー、気晴らしに魔物狩りでもするか?」
僕の言葉を聞いたイズリーは飛び上がって僕の首に巻き付くように抱きついて言った。
「行く! 行く行く! 早く行こ! ね? 今行こ! ね? ね? はやくー! はーやーくー!」
ハティナは僕を何か言いた気な目で見た。
きっと、「……シャルルはイズリーに甘い」なんてことを言いたいのだろう。
だが、僕は思う。
僕はイズリーを全力で甘やかす。
その結果、ミリアの隊に死体の山が築き上げられても知ったことではない。
なぜなら、僕は魔王。
南方の魔王の役目が人類の破滅ならば、北方の魔王の役目はイズリー・トークディアとハティナ・トークディアという二人のお姫様を、ひたすら甘やかすことなのだから。
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