第153話 援軍
大きな円卓の下で、丸くなった枢機卿はなんとか助かろうと命乞いをしている。
僕は円卓から飛び降りてミキュロスに言う。
「他国に来て誘拐を企てた使者の扱いって?」
「……はて。余は存ぜぬかな。本来の王国法に照らし合わせれば、問答無用で投獄であるかな」
ミキュロスは嫌らしい笑みを浮かべて言う。
護衛の皇国兵は顔を青くしている。
「陛下の裁きにお任せしましょう。……私は帝国への対応がありますのでこれにて失礼いたします。行くぞ、コッポラ」
僕はそうミキュロスに伝えて退室する。
後はミキュロスが上手くやるだろう。
枢機卿は使者の身分でありながら他国で法を犯した。
表沙汰になれば間違いなく国際問題だ。
さらには、女神信仰への信用や沽券にすら関わる。
この誘拐未遂が大教皇の指示かはわからないが、どちらにせよ枢機卿はトカゲの尻尾切りよろしく、あっさりと切られるだろう。
ミキュロスが、自分が魔王を抑えるとか何とか言って枢機卿を助ければ、彼はもうミキュロスに頭が上がらなくなる。
大きな借りを作ることになるからだ。
そうすれば、王国は皇国に対して発言力を高めることができる。
一国の重鎮を丸め込み、自国の傀儡とすることで落とし所を作ろうというわけだ。
僕の考えにミキュロスが気付いていないわけがないので、もうこのことは彼に任せることにした。
今は大事が重なっている。
帝国が樹海まで侵攻したのは、おそらく軍事的な示威行動だろう。
皇帝が病床にあるという情報が本当であれば、これは帝国内が政治的に乱れている可能性もある。
一部の好戦的な軍閥が先走った可能性も考慮しなければいけない。
僕がコッポラと共に部屋を出ると、そこにはミリアとライカがいた。
ライカはミリア隊で訓練をしていたらしい。
彼女は騎士たちにも人気だし、ミリアは兵の士気を上げるために、時々ライカを訓練に混ぜるのだ。
たまたま、今日がその日だったのだろう。
「ご主人様! ま、ま、まさか……終わってしまいました?」
「……拷問か? 終わったよ。皇国の根性なしは転ぶのが早かったな」
「ぎゃああああああ! 見逃してしまいましたわ! なんたる不覚!」
ミリアはコッポラを睨みつけて言う。
「コッポラ! なぜもっと早く私に伝えて下さらなかったのです!」
「……も、申し訳ありません」
ミリアはコッポラから僕が暴れるだろうという情報を得ていたのだろう。
ミリアは僕の拷問を見るのが好きみたいだからな。
人に見せるものでも無いとは思うが。
「コッポラ、後で詳しく教えてくださいましね!」
ミリアはコッポラにそう言った。
ライカはやれやれなんて感じで呆れていた。
僕たちはすぐに次の会議に向かう。
次の議場は先ほどより少し手狭な部屋で、そこでは主に軍議などが開かれる。
帝国への対応を協議する必要がある。
僕は早くも宰相を辞めたくなってきていた。
のんびりイズリーのポチを磨く方が、僕には合っているのだ。
議場に向かう道すがら、ライカが言う。
「帝国は我らと一戦交える気でしょうか?」
「さあな。少数の軍勢らしいから、本気だとは思えないな。……それに、まだこっちからしても時期が悪い」
そうなのだ。
まだ、僕が宰相に就任して日が浅い。
騎士家系と魔導師家系の掌握にやっと成功した段階なのだ、まだ軍事力の底上げができたわけではない。
議場に入ると、騎士家と魔導師家の重鎮たちが口角泡を飛ばして議論をしていた。
長いテーブルを挟んで魔導師家系と騎士家系でぱっくりと割れている。
「愚物共が! 宰相閣下の御成である! 控えよ! さもなくば、この我が『牙』を以ってして二度と喋れぬようにしてやる!」
ライカが叫ぶ。
軍人たちが一斉に立ち上がって沈黙し、僕に向かって頭を下げた。
それに動じずに着席しているのは、ヨハンナ・ワンスブルーとトークディア老師だけだ。
僕は思う。
こんな時、どんな顔をしたらいいかわからないよ。
「ヨハンナちゃん!」
ミリアが自分の祖母であるヨハンナに向かって笑顔で手を振った。
「……ヨハンナちゃん?」
訝しむ僕に、ヨハンナが答える。
「お婆様なんて呼ばれたくないのさ。私はまだまだババアじゃないからね」
だからって孫にちゃん付けで呼ばせるのも如何なものだろうか。
「宰相閣下!」
「宰相閣下!」
名前も知らない軍人たちが、左手に拳を作って眉間まで上げる。
王国式の敬礼だ。
それに目礼を返して、僕は言った。
「……や、やあ。それじゃあ、軍議を始めますか」
僕はそんなことを言って、部屋で一番の上座に座る。
この中では階級が低いはずのミリアがしれっと僕の隣に座り、背後には当然といった様子でライカとコッポラが立つ。
「では、宰相閣下もお越しになられたわけである故、もう一度状況の確認から行うとするかのう」
トークディア老師が言う。
それに応じるように末席に座る武官が現状を説明する。
「帝国軍はその規模数百から千。現在は樹海北側近郊に布陣しています。モルドレイ卿が樹海の南側で軍を纏めています。モルドレイ卿の守るベルクの砦には二千の将兵がおります。ベルクから樹海までは行軍して半日の距離です。帝国が動けばすぐに樹海の出口にて帝国兵を迎え撃つことになるかと」
僕はそれに頷く。
「ひとまず、ベルクには援軍を送りましょう。ミリア、隊を出せるか?」
「はい。もちろんですわ。我が隊こそ、王国において最強。傲慢なる帝国兵を迎え撃つには、私の部隊が相応しいかと愚考いたします」
「待たれよ! 我ら騎士家もお供いたす! 魔導師隊だけでは、戦争になりますまい!」
騎士家系の武官の一人が言う。
ミリアから剣呑な雰囲気が漂い始めるのがわかる。
ここで仲間内の喧嘩をしても仕方ないし、さらには本当に戦争になるなら騎士家にも武功を立てさせなければならないだろう。
騎士家の連中にヘソでも曲げられたら、それこそ国が割れる。
結局、命の取り合いである戦争ですらも政治の世界の一つの局面でしかないのだろう。
僕は心の中でため息を吐いてから、騎士家の中心に座って微笑むエルシュタット卿に向けて言う。
「此度の帝国の動きから戦になるかは未知数だ。しかし、ここは私自ら出る。魔王が戦の前線に出ないのは、戦力の無駄ですからね。……エルシュタット卿。私はラファやミカと面識があります。此度はエルシュタット卿から兵をお借りしたいが、如何か?」
ラファとミカの父であるエルシュタットはゆっくり頷いた。
「は。閣下の御身は、エルシュタットの騎士が御守りしましょう。私は今では戦線を退いた身なれば、ラファに軍権を渡し閣下のお役に立たせましょう」
僕はラファとミリアの混成軍を率いて、樹海の南側を守るモルドレイの援軍に向かうことになった。
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