第148話 プロニート

 王立魔導図書館は王都北側、教育機関の立ち並ぶ学園区の中心に位置している。


 この世界で紙は大変貴重な物だ。


 特に王国と帝国は、紙の原料となる木材が貴重なのだ。


 王国も帝国も、木材の大規模な産地である樹海が互いに領有権を主張するグレーゾーンなのだ。


 安易に樹海で樹木を伐採すれば戦争になる。


 そんな世界情勢の中、休戦中の両国はエルフから紙を輸入しているのが現状らしい。



 それでも魔導図書館の蔵書は、そんな高級な紙がふんだんに使われている。


 それだけ、魔法とスキルの蓄積は直接国力を左右するということだろう。


 僕たちが王立魔導図書館に到着すると、すぐに男二人が出迎えた。


 一人の青年と、一人の老人。


「久しぶりだな。シャルル・グリムリープ」


 青年が言う。


「これ! ウォシュレト! いかに御学友と言えど、宰相閣下に対して無礼であろう!」


 老人が怒る。


 そう。


 青年の方はウォシュレット君だ。


 老人に怒られてウォシュレット君はすぐに押し黙った。


 それを見て、老人は言葉を続ける。


「これはこれは、宰相閣下。お待ち申し上げておりました。王立魔導図書館司書長、トイロト・シャワーガインにございます」


 僕は深々と頭を下げる老人を見て、なぜかギリギリで危機を躱したような気持ちになる。


 この人はウォシュレット君の祖父にあたる人らしい。


 トイロト・シャワーガイン。


 ……トイロト。


 ……危なかった。


 ウォシュレット君のお爺さんがトイレットだったら、僕は絶対に抱腹絶倒していたからな。


 いや、むしろ逆に少しだけかすってるのがもうすでに面白すぎる。


 僕はそんな失礼にも程がある考えと同時に込み上げる笑いを心頭滅却の精神で無理矢理に押し除けて言う。


「二代目王国宰相にして王国魔導四家グリムリープが当主、魔王シャルル・グリムリープだ。よしなに頼む」


 少し硬い挨拶なのは頑張って笑いを堪えているからだ。


 許して欲しい。


 いや、だってさ、ちょっとかすってるんだもん。


 かなりギリギリなんだもん。


 笑っちゃいけない状況が、さらにその事実の面白さを加速させる。


 そんなことを考えていた僕は、ひとつの視線に気付く。


 イズリーがじっと僕を見ている。


 ……まさか。


 ……こいつまさか。


 ……やめろ。


 ……それだけは。


 ……いや、せめて。


 ……せめて今は──


 イズリーは首をコテンと傾げた。


 ヤバイ!


 ──来る!


「トイレッ──」


「さあ! 是非! 是非是非、魔導図書館を案内していただきたい! いやー! 楽しみだなあ! なあ、ハティナ! あ、こちらはハティナ・トークディアとイズリー・トークディア! トークディア家の令嬢で、私の未来の妻たちです! いやー、ハティナは昔から本の虫でして! ここに来るのを一番、楽しみにしていたのは彼女なんですよ! なあ、ハティナ? そうだよな?」


 僕はスポーツカーがコーナーでギリギリのドリフトを描くようにイズリーの言葉に被せた。


 僕の腹筋はすでに崩壊一歩手前だ。


 僕の問いに、無表情のハティナはいつになく鼻息を荒くして答えた。


「……今の気分は……ルンルン」


 僕はその可愛らしさに悶えた。


 なんとか危機を乗り越えた瞬間である。


 そうして、僕たちはウォシュレット君とトイロトによって、一通り図書館を案内された。


 イズリーは退屈そうな様子を隠しもしなかったが、ハティナはいつにない程にはしゃいでいた。


「……この本! ……すごい。……原本ね。……あの本は──」


 ハティナは無表情のままにスキップしながら、色々な蔵書を片っ端から手に取り、トイロトと古本談義に花を咲かせていた。


 ハティナのこんな姿を見れるのは、世界でここだけなのではないだろうか。


 この場所が学園区に置かれていることから分かるように、王国の魔導図書館は教育機関に分類されている。

 

 シャワーガイン家は元来、教育機関に携わる人材を多く輩出してきた家柄らしい。


 僕に魔法を教えてくれたアンガドルフ・トークディア老師、僕の祖父であるパラケストとモルドレイ・レディレッドの恩師であるヘルベルト・シャワーガインは、トイロトの祖父に当たる人らしい。


 そんな偉大な魔導師を高祖父に持つウォシュレット君は司書ではない。


 僕より一年早く、ミリアと同じ代で卒業したウォシュレット君は魔導学園で教諭として働くことを目標にしていたが、一年に一度の試験に落ちたらしい。


 演武祭で活躍した彼は王国魔導師隊にスカウトされていたが、ウォシュレット君の夢は学園で教壇に立つことだそうだ。


「それなら、教諭にしようか?」


 僕はウォシュレット君に言う。


「……は? どういう意味だ?」


 ウォシュレット君は怪訝そうな顔で聞く。


「ほら、僕って宰相じゃん? 学園にウォシュレット君の口利きするくらい、余裕だと思うんだけど……」


「僕の名前はウォシュレットじゃあない! それに! 僕は自力で合格したいんだ!」


 僕は彼をまた怒らせてしまった。


 これだから苦手なんだよなあ。


 そんな僕とウォシュレット君の会話を聞き、トイロトが烈火の如く怒った。


「これ! ウォシュレト! 宰相閣下に貴様はなんて口の利き方を!」


「……ぐう」


 ウォシュレット君はなんとも言えない表情だ。


「いえ、全然大丈夫ですよ。むしろ、今さら畏まられた方が居心地が悪いですから」


 僕はトイロトに向けて言う。


「宰相閣下。このウォシュレトですが、この度、婚姻が決まりまして」


 トイロトの言葉に、僕は心底驚いた。


「え! ウォシュレット君、結婚するの⁉︎」

 

「……ああ」


 ウォシュレット君は不承不承といった様子で答えた。


 ……マジか。


 ウォシュレット君、今は絶賛無職のニート中なわけでしょう?


 大丈夫なのだろうか。


 彼は一応、貴族の子弟だ。


 前の世界のニートとは根本的に違うのだとは思うけど、それでもやっぱり心配にはなる。


「……ニートなのに結婚」


 僕の呟きにウォシュレット君が言う。


「にーと? なんだそれは」


「ん? ……いや、こっちの話。しかし、ウォシュレット君が結婚かあ」


「ウォシュレットくん、けっこんするのー? へー、無職なのにねえ」


 イズリーがズバリとエゲツないことを言う。


「う、うるさい! 来年は受かるんだからいいんだ!」


 ウォシュレット君はイズリーに反論し、やっぱりトイロトに怒られていた。


「宰相閣下。そこで、ご相談があるのですが……」


 トイロトは何やら畏まりながらそんなことを言う。


「……? 僕にできることなら、力になりますけど」


「ウォシュレトの子供が生まれた時のことなのですが、よろしければ、……そのう、その子に名前を賜ることは願えませぬか?」


 近い将来生まれる子供に名付けろと、そういうことなのだろう。


「な! 祖父上様! そんな──」


 ウォシュレット君の言葉をトイロトは遮る。


「黙らっしゃい! 宰相閣下に名付け親になっていただける機会など、これを逃したらシャワーガイン家には二度と訪れん! どうか! 宰相閣下! どうか!」


 僕に縋り付くように懇願する。


 ライカが剣呑な雰囲気で腰に下げた剣に手をかけたので、僕はそれを視線で制してトイロトに言う。


「わかりました。ウォシュレット君がそれを選ぶかどうかは、彼に任せましょう。それでも良ければ、私から候補を提案します」


「おお! ありがたや! ありがたや!」


 僕はとっととニコたちのスキルを調べたいんだ。


 こんな無駄な……いや、無駄ってのは流石に違うか。


 ……面倒な? 


 いや、それも何か失礼な気がする。


 まあ、とにかく、早く彼女たちのスキルの権能を知りたいわけだ。


 しかし、ニートで結婚かあ。


 前世で友達がそんな蛮行に手を染めようとしたら、きっと全力で止めていただろう。


 子持ちのニート。


 もう、そこまでいったらプロだよな。


 そんなことを考えていた僕は、無意識にボソリと呟いてしまった。


「……プロニートかあ」


 それは、しっかりとトイロトの耳に入っていた。


「おお! プロニート! 我らシャワーガイン家は代々名前の最後がトで終わります! それも考慮いただけるとは! ありがたく頂きます! ありがとうございます! プロニート! なんと勇猛な響き! のう! ウォシュレトよ! お前も気に入ったろう!」


「……確かに、良い名ではあります」


 ……ええー。


 ……嘘でしょ。


「……シャルルにしては良いネーミング」


 ハティナまでそれに同意する始末だ。


「ぷろにーと! おお。なんか強そう!」


 イズリーまで何故かぴょんぴょん飛び跳ねてはしゃいでいる。


 僕は心の中でウォシュレット君にひたすら謝り続けた。

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