第143話 絵心

 ナソンの村を襲った魔物は、ミリア大隊によって全て駆逐された。


 デュラハンを失った魔物たちは、まるで糸の切れた凧のように、その統制を失った。


 カナン大河に追い詰められ、逃げ場を失った魔物たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い、最後には同士討ちを始めて全滅した。


 今は、全滅した魔物の群れから残った素材を回収している最中だ。


 僕たち指揮官級の者たちはナソンの一番高級な宿屋に入ってまったり……ではなく、そう、戦後処理のために作戦会議を開いていた。


 僕は当然の如く、イズリーのポチを磨いている。


 お前は会議に参加しないのかって?


 そんな糞みたいな話し合いなんかより、愛するイズリーのポチを磨く方が、僕にとっては価値のあることなのだ。


 だってそうだろう?


 この部屋には僕とイズリーの他にカルゴロスとミリアとハティナがいるのだ、三人に任せておくのが一番なのだ。


 僕みたいに何も分かってない奴が出しゃばっても、言えることといったら「……なるほど」だけなのだから。


 ここでの僕の仕事は、イズリーのポチを磨くことと、三人の中で意見がまとまった議題について「よし! 僕もそう考えていた! それでいこう!」と言う、それだけなのだ。



 なんて、僕が半ば宰相としての仕事を放棄していると、部屋の扉がノックされて一人の男が入って来た。


 イズリーの手下の、名前は何て言ったか……、そう、タグライトだ。


 いつかイズリーに踏み台にされた挙句、彼女に名前も覚えてもらっていなかったばかりか、イズリーお得意の現実歪曲すっとぼけによって踏み台にされたことすら忘れ去られた哀しき魔導師だ。



「イズリーの姉御! お菓子です! ナソンの村人からいただきやした!」


 タグライトは松葉杖に右腕は添木で固定している有様だ。


 彼はイズリーと共に最前線に立っていたはずだ。


 きっと魔物の猛攻に晒されて、傷ついてしまったのだろう。


 死にかけたのが彼の方で良かった。


 ……いや、違う違う。


 そう、イズリーが無事で良かった。


 僕は心の中で彼に謝りながら訂正した。


「おおおー! お菓子ー? どんなやつー?」


 イズリーがタマを机に置いて言う。


「いや、そのー、あっしもお菓子には詳しくないんですが、たぶん甘いやつかと……」


 なんだその雑な説明は。


 彼が持って来たのはクッキーだった。


 汗をかいた戦闘の後は、やはり甘い物に限る。


 僕は心の中でタグライトの評価を上げた。


「おー! あたし、甘いやつ好きー! ほ、ほ、褒めて、褒めて……殺す?」


 お前は暴君か何かか?


 タグライトの青い顔を見ながら、僕はイズリーに「それを言うなら褒めてつかわす、じゃないかな」なんてことを言う。


「にしし、あたし、間違えちゃったかもしれないねえ」


 なぜここまで多くの人の目の前で盛大な間違いを犯しておいて断定しないのかは謎だが、僕はそれについては放っておくことにした。


 ハティナが横目でイズリーを見てため息を吐いた。


 イズリーは気にする素振りも見せずに言う。


「では! ……では! ……では、えーと、んと、名前なんだっけ?」


「……タグライトです」


 彼は呟くように言った。


 大丈夫だ。


 僕はちゃんと覚えていたぞ。


 と、思ったが僕は敢えて沈黙する。


「あ、そだそだ。では! タグライトくん! 君にはお絵かきしてあげまーす!」


 イズリーはそんなことを言いながら、懐から羽ペンのようなものを出した。


「何それ?」


 僕は堪らず聞いた。


 あのイズリーが、文字を書く道具を持ってるのが不思議でならなかったからだ。


「これはねー。いつでもどこでもお絵かきできる魔道具です!」


 うん。


 たぶん、絵を描く道具ではないと思う。


 それはきっと、文字を書く道具だ。


「……何でそんなもの持ってるの? 買ったの?」


 イズリーも今では立派な王国魔導師兵だ。


 国から毎月少なくない額の給金を貰っているはずであり、そのお小遣いで買っていても不思議ではない。


「これはねー。キンタローくんから借りました!」


「キンドレーが? あの魔道具バカが、自分の魔道具をイズリーに貸した? ほんとに?」


 意外だった。


 キンドレーは生粋の魔道具オタクだ。


 あいつなら、インクの尽きない羽ペンの魔道具を持っててもおかしくない。


 しかし、それをイズリーに貸した?


 ハティナやミリアならまだしも、イズリーに?


「うん! 三か月くらい前かなあ? あたしもお絵かきしたかったからね。貸してって言ったらね、嫌だって言ったからね、ぶっ飛ばしたら貸してくれた」


 お前はジャイアンか?


 いつか未来から来た青い狸みたいなロボットに痛い目に遭わされるぞ。


 普通にカツアゲだし、それ。


 てか、三か月前?


 返す気ないだろイズリー。


 それ、前世の世界じゃ借りパクって呼ばれる人類史上、最も非道な行為だぞ……。


 そんな僕を気にかける様子もなく、イズリーは何やらタグライトが恭しく出したノートに何かを描いた。


 彼女の書いた絵は、絵と呼ぶには前衛的すぎた。


 まるで、脳卒中に苦しむヒトデのような。

 まるで、車に轢かれたタンポポのような。


「にしし、上手いでしょ? あたし、頭は悪いけどね、絵は上手いんだよ!」


 ……何を描いたのかによる。


 僕は思った。


 何を描いたのかハッキリとわからない時点でお察しなのだが、僕はそこは断定しないでおくことにした。


 イズリーのことだ、死際のヒトデなんて描かないだろうし、咲き誇る場所を間違えた切ないタンポポを描くこともないだろう。

 

 ……何だ。


 ……何の絵だ。


 わからない。


 だが、イズリーの自信満々な姿を見るに、「わかりません」なんて言えない。


 いっそ、冥府の魔導コールオブサタンを起動して沈黙は銀サイレンスシルバーさんに任せてしまおうか。


 しかし、アレはカタコトになるからなあ。


 バレたらそれこそキツい。


 僕は脳をフル回転させて、イズリーの見せる抽象画の正体を予測する。


「へへへ。あっしらの間じゃ、イズリーの姉御にコレを貰うのがステータスなんですよ!」


 タグライトが自信満々な様子で言う。


 僕は思う。


 コレって言うなよ。


 コレは一体何なんだよ。


 コレが何かを今のタイミングで言ってくれよ。


 僕は再びジッとイズリーの絵を見る。


 僕の脳に電流が走る。


 閃きが降りたのだ。


 三年前、帝都の夜。


 僕はイズリーと星を見たことがあった。


 あの時、僕は上の空だったが、イズリーが流れ星について語ったことがあった。


 流れ星にお婆ちゃんの健康を祈り、そして三日後にお婆ちゃんが死んだ、みたいな話だった。


 今、思い返してみても、その話を聞かされて何を感じろって言うんだよ。


 なんて思いは募るばかりだが、とにかくイズリーは星についてアレコレ喋っていたんだ。


 そして、僕は満を持して口を開く。


 ……間違いない。


 ……間違いないだろう。


 星だ。


 夜空に瞬く星。


 星だな?


 星。


 星だよな?


 僕は言う。


「綺麗な星……──」


 イズリーは今にも泣きそうな顔になる。


 タグライトがイズリーの向こう側で『カ・ラ・ス』なんて口パクをしている。


 ……カラス?


 ……カラスか。


 ……。


 ……どこが?


 僕はそんな思いを振り切って言う。


「──に、合いそうなカラスだね」


 イズリーはその表情をコロッと笑顔に変えて言った。


「でしょでしょ? にしし、カラス! トークディアのカラスです!」


 確かに、トークディアの紋章はカラスだ。

 

 イズリーはそれを描いたらしい。


「だ、だと思ったよ。うん。……どう見てもカラスだ。しかし、何でカラスを描いたの?」


 僕の苦し紛れの問いにイズリーは答える。


「あのねえ。最初はねえ。あたしの名前書こうと思ったのね? あたしのサインが欲しいって言うからねえ。でもね、あたし、トークディアってむずかしくて書けないの。ディアの部分がむずかしくてねえ。だからね、カラス書いてあげたの! あ、そだ! 特別に、星も書いてあげます! たしかに、星とカラスはよく合うからねえ」


 そう言って、イズリーはタグライトのノートにサラサラと書き足した。


 彼のノートに、苦しむヒトデがもう一匹増えた。


 僕は思った。


 この際、イズリーの絵心はどうでも良い。


 どうでも良いが、魔導学園よ。


 自分の名前も書けない生徒を卒業させるなよ。


 腐っても国内最高学府だろう。


 僕は王都に帰還した後は、魔導学園の改革に乗り出すことを誓った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る