第128話 雨

 僕は父とグリムリープ邸に帰ってきた。


 父は僕に、紋章を手渡して言った。


「コウモリの当主に相応しき立ち回りを演じるが良い。我らは誰にも与せず、ひたすらに我らの利益をとる。全てのコウモリはそうして生き残って来た。……良いか。くれぐれも、忘れるな。得こそ徳。自身の利益こそが、即ち結果として自身の仁徳となるのだ、シャルル」


 僕は紋章を受け取って、黙って頷いた。


 そんな僕に、父は言葉を続けた。


「……だが、たまには信義を取るが良い。……我らが父祖たるエリファスがそうしたように」


 父はそれだけ言って、僕に背を向けた。


「はい。……必ず」


 僕はそう言って、父の書斎を後にした。


 書斎の外に控えていたライカ、ニコ、そしてムウちゃんと共に、僕は自室に入る。


「四家は纏めた。ランザウェイは?」


 僕の言葉にニコが答える。


「……は。流石にございます、主さま。ランザウェイ邸はいつでも落とせます。しかし、王からアーゴン・ランザウェイに登城の指図がありました。先ほど王都を出立した伝令を郊外で捕らえて書簡を確認しました。……おそらくは──」


「僕が四家当主の座に就いたことへの警戒だろう?」


「は。わたくしもそのように愚考いたします。主さまを抑え込むために、王はランザウェイの助力を得ようと目論んでいるのかと。主さまとミキュロス殿下との内通はすでに公然の秘密。おそらく魔導師を束ねんとする主さまに対抗するべく、騎士家纏め役であるランザウェイの力を頼ったのかと」


 とうとうと答えるニコ。


「……?」


 訳がわからんと言ったように、首をかしげるライカ。


「つまりな、ライカ。王は元々ミキュロスを王にしたがっていたが、僕と仲良しだからそれは危険だと思ったわけだ。それで、カルゴロスの後ろ盾にランザウェイを立てて僕の影響力が王国内で増すのを阻止しようって考えたんだよ」


「……なるほど。では、主様? 私は誰を斬れば良いのです?」


 ……なんて直情的な姉なんだろう。


 僕はため息をついた。


「姉さまの出番はまだですよ。まずはランザウェイから力を削ぎ落とすのが先ですから」


 ニコは眼を開いて暗い瞳を見せる。


 僕は悪寒を感じる。


 ライカが嘘をつく時に耳をパタンと閉じる癖があるように、ニコが眼を開く時は、それはもう、えげつない思考をしてる時だと知っていたからだ。


 とは言え、僕はあの王にされたことを覚えている。


 魔導学園を退学させられそうになったこと。


 そして、ハティナとイズリーに手を出そうとしたこと。


「ランザウェイには登城してもらおう。王の目の前で、あのクソ貴族を失脚させる。人間てのは弱いものだ。圧倒的な力を見せつけられたら、それに抗うのは難しい。大抵、従う他に道はなくなる。……それに、そっちの方が面白い。あの王様には昔世話になったからな」


 僕の言葉に、ニコは「では、そのように」なんてことを言った。


 それから僕とニコは、ランザウェイ失脚の算段を立てた。


 とは言え、考えたのはほとんどニコだが。



 数日後、ニコが捕らえた伝令の替え玉を用意して、ランザウェイまで登城の書簡を届けさせた。


 さらに、ランザウェイ領内に潜伏している八黙たちにとある指示を出す。


 ランザウェイ失脚に関する、ある策のためだ。


 僕は困惑したが、珍しくニコが譲らなかった。


 ニコ程の知謀の持ち主に「この策を成す

には、この計略は絶対に必要です」なんて言われては、僕はもう何も言えない。


 良きにはからえってやつだ。



 そして、それからさらに二か月後。


 全ての準備が整い、来たる日を待つ。


 ランザウェイはすでに王都に入っていた。


 そして、アーゴンを筆頭にした騎士家と、魔導四家当主、そして、王族たちにより行われる、評定と呼ばれる会議の前日に、僕はアーゴン・ランザウェイとの面会を取り付けた。


 その評定で、ランザウェイを追い落とす予定だ。


 最後に、僕はこの目で彼の人となりを確かめたかった。


 アーゴンとの会合はグリムリープ邸で行われた。


 表向きは、騎士家において絶大な力を持つアーゴンへ、新たに当主となった僕の目通りだ。


 アーゴンは小柄な人物だった。


 寸胴な身体から短い手足が出ている。


 丸みを帯びた鎧を着ており、僕にはそれがまるで玉ねぎのように見えた。


 ライカを見る目がイヤらしく歪んでいたのを除けば、まあ、普通の貴族といった感じだ。


「これはこれは、遠路はるばるお越しくださり、恐悦至極にございます。ランザウェイ卿、お初にございます。グリムリープ当主、魔王シャルル・グリムリープにございます」


「おお! 其方が魔王殿か。此度は歓迎、感謝する。しかし、若いの。震霆は生きていたと聞いたが──」


 僕とアーゴンは差し障りない範囲で会話を交わした。


 アーゴンからは特に嫌味を感じなかったが、ニコがお茶を持って現れた時に、その態度に明らかに不穏な兆しが見えた。


「……ほほう。獣人の奴隷か? いやはや、美しい。そちらの護衛の獣人も美しいが、このメイドの奴隷は素晴らしいな」


「ランザウェイ卿、彼女は家のメイドです。奴隷などでは……」


「ふん。魔王殿もお若いな。王国法で奴隷を持つことを禁じられておる故、そのようなことを申しておるのだろう? 良い良い、ここでは腹を割って話そうぞ。実はな、儂も奴隷のコレクションには目がないのだ。其方の奴隷は素晴らしい美貌を持っているな? ……して、幾らだ?」


「……?」


 僕は何を言われているのかわからなかった。


 それでもアーゴンは、一人で話を続ける。


「美しいとはいえ、獣人だ。値は高くあるまい? 昨今、王国からは奴隷商人が消えた。儂の懇意にしていた商人も、どこかに消え失せおってな、新たな奴隷の仕入れに難儀しておったのだ。……この獣人、すでに手付きか?」


 心底、ゲスな会話に僕は腑が煮え繰り返る思いだ。


 ランザウェイはニコを譲れと、そう言っているのだ。


 到底、許容できるものではなかった。


 当然だ。


 彼女の人生は誰のものでもなく、ニコ自身のもの。


 僕がどうこうできる類のものではない。


「ランザウェイ卿。失礼ながら、彼女を手放すつもりはございません。と、言うより、ニコはメイドとして家の手伝いをしてくれてはいますが、先程も申した通り、彼女は奴隷ではありません。彼女を他者に売る権利など、私は持ち合わせていないのです」


「……? ……。なるほどの。魔王殿よ、悪いことは言わぬ。長い物には巻かれておく方が得策だぞ? 其方の父である雷鼓殿ならば、一も二もなくそのメイドを儂に捧げただろうに」

 

 僕は父の名を出されてさらに苛立つ。


「……父と私は違いますから」


 それだけ言った僕に、ランザウェイはさらに言葉を続けた。


「ふむ。雷鼓殿がせっかく築き上げた地位も、また裏切り者のそしりを受けるように落ちるとも限らんぞ? 其方の代でまたも裏切り者呼ばわりは……儂の本位でも──」


 そこまでランザウェイが言った時、ニコが立つ方向から唯ならぬ殺気が漏れ出す。


 ランザウェイは気付いていないのだろうか。


 彼は何にも気付いていないかのように、カップに注がれたお茶を飲み干した。


 僕の背中を冷や汗が流れる。


 まるで、首元に魔物の牙が迫っているかのような感覚。


 ピリピリと肌を焼くような、それでいて、ドロドロとしたおぞましい、粘り気のあるような恐怖が纏わり付く感覚。


 ランザウェイのティーカップにピシリとヒビが入った。


 きっとニコの殺気のせいだ。


 物理的にどうなのかはさておき、僕はこの直感を信じることにする。


「……?」


 ヒビを見て怪訝そうなランザウェイ。


「こ、これは、珍しい。……明日は雨でしょうか?」


 僕は慌てて取り繕う。


「……雨? 雨とヒビと、どう関係がある?」


 不思議そうなランザウェイに僕は答えた。


「……いえ、雨がふる前触れに、空気の質が変わるそうでして。……気温や空気に含まれる水なんかが、そうやってカップにヒビを入れることがあると聞き及びました」


「ほほう。……魔王殿は知恵ある御仁だ。……さて、そろそろお暇いたそう。その奴隷、儂に頂けるなら王陛下からの覚えも良くなろう。まあ、前向きに検討してみてくれたまえ」


 僕は無言で頷いた。


 ニコの殺気に全く気付かない鈍感さもすごいが、これだけ空気を読まないのもすごい。


 でも、一番すごいのはニコに手を出そうとしている間の悪さだろう。


 王国の闇の最も暗いところに、手を入れようというのだから。


 グリムリープ邸の門前でランザウェイを見送る時、灰暗い瞳をランザウェイの方向に向けるニコを見て僕は思った。


 明日はきっと雨だ。


 そして、必ずや血の雨が降るだろう。

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