第118話 崇拝
通されたのは謁見室ではなかった。
王太子の自室だ。
王太子の部屋は質素なものだった。
僕は目の前の殺風景な部屋にシンパシーのようなものを感じる。
相手はあの狡猾なミキュロスの兄だ。
皆の評価通りの人間だと信じるには早計だと感じている。
これはひょっとすると偏見なのかも知れない。
それでも僕が警戒心を解くのを、ミキュロスのあの嫌らしさが大いに邪魔をした。
部屋にいた男は眉目秀麗な男だった。
痩せ型で身長もそこまで高くない。
僕より少し大きいくらいだろうか。
ミキュロスとは違い、鷲鼻でもなければ狡猾さを思わせる目の鋭さもない。
むしろ、垂れ目がちなその瞳からは人の良さが滲み出ているかのようだ。
「これはこれは、忙しいところ済まぬ。余がカルゴロス・リーズヘヴン。この国の王太子だ。よろしく頼む」
僕はすぐさま跪く。
それを予測していたかのように、カルゴロスは僕を制止して席に案内した。
僕たちは一言二言、言葉を交わす。
僕は内心で思った。
……めっちゃ良いやつだ。
……いろいろ済まない、ミキュロスとカルゴロス。
僕の警戒心は一瞬で氷解していた。
「シャルル殿、魔王と呼び声高い其方と会えて光栄だ。演武祭での活躍は聞き及んでいる。素晴らしい魔法の数々だったそうだな。余も観たかったものだ」
「殿下、敬称は不要でございます。私は王国の忠実なる
僕が堅苦しくそんなことを言うと、カルゴロスは無邪気な笑みを浮かべて言った。
「いや、シャルル殿こそ、そのように畏まらずとも良い。余も堅苦しく喋るのはやめよう」
そう言って、カルゴロスは一度咳払いをしてから僕に向き直る。
「改めて、私はカルゴロス・リーズヘヴン。君もフランクに喋ってくれて構わないよ。私は生まれだけで王太子などと奉られているが、本当のところは何の才も持たないちっぽけな人間だ。私よりも君の方が、王国にとって価値ある人間なのだからね」
そんなことを言うカルゴロスを見て、僕は思う。
……めっちゃ良いやつだ。
どっかの勇者とは大違いだ。
それから、どっかのストーカー王子とも大違いだ。
いや、もう、コイツを立てた方が良い気がしてくるくらいだ。
僕はこの人格者を追い落として、あんなストーカー野郎を王にしようとしていたのか。
僕の中に罪悪感が芽生える。
「君が王国に生まれてくれたこと、私は本当に君に感謝しているんだ。なあ? ピエール?」
「は。殿下は魔王殿の活躍には大いにお喜びになられておりましたな。私に王報の写しを持ってくるようにお命じになるほどですから」
カルゴロスとピエールの一言一句が僕の心を罪悪感と言う名の刃で斬り刻む。
「……は。私……いや、僕も神には感謝しています」
そんなことしか言えない僕に、カルゴロスは微笑んで言う。
「神か。神と言うのは女神のことかな?」
「……は。左様です」
「そうか。それは信心深いことだ」
カルゴロスは何か含みを持たせたようなことを言う。
まさか、ミリアのクソったれなカルト教団の話を知っているのか?
僕の背中を冷や汗が伝う。
そして、カルゴロスはピエールに新しいお茶を出させるために退室を命じた。
不意に二人きりになった部屋で、カルゴロスは自分のシャツのボタンを外し始める。
僕は焦る。
コイツ、まさか……。
やめろ。
よせ。
僕はそっちの趣味はないし、お尻の
一生ない。
永久にない。
ちっともない。
これっぽっちもだ!
僕の脳内細胞が全力の大音量で危険信号を鳴らす。
すると、カルゴロスは胸元から一つの首飾りを取り出して見せた。
黒い十字架だ。
僕の思考は完全に停止する。
今の今まで自分の貞操を心配していた僕の思考が、急激に冷え切るのが解る。
いや、むしろ、それしか解らない。
他のことは解りたくない。
解ってはいけない気がする。
今だけ、今だけは、イズリーのあのポンコツ頭を喉から手が出るほどに欲している自分がいる。
そんなあまりにもな思考を巡らせる自分自身を、僕は本気で呪った。
そして、王太子は言った。
「私の『神』は、貴方です。……魔王様」
そうして、彼は席を立って跪く。
二人の間に長い沈黙が流れる。
窓の方からチュンチュンと鳥の鳴き声が聞こえる。
ひとしきり、二人で見つめ合った後、カルゴロスはこうべを垂れて言った。
「沈黙こそ尊ぶべき唯一の美徳。流石にございます」
違うよバカ!
僕は思った。
お前の狂人ムーブに僕の思考が追いついていないだけだ!
勝手に納得してんじゃねえ!
叫び出したい衝動に駆られる。
頭を掻き毟ってしまいたい衝動に駆られる。
手頃な長さのロープで首を吊ってしまいたい衝動に駆られる。
「……お……お戯れを」
ようやく声を捻り出してそんなことを言った僕に、カルゴロスは答えた。
「いえ、私めは本気でございます。魔王様はまさに今世に降臨なされた
僕は再度黙り、カルゴロスは跪きながら人好きする笑顔でニコニコと僕を見ている。
このまま黙ってたら、また沈黙は何たらかんたらとか言われかねない。
そう思った僕は、カルゴロスにこんな質問を投げかけた。
「あの……その宗教、誰から聞いたんですか?」
誰かが教えたんだ。
でなければ、女神信仰が国教であるこの国の一番偉い人に伝わるわけがないんだ。
その犯人を見つけて潰す。
ニコに頼めば一発だ。
彼女が気配も痕跡も残さず『慈悲』を与えてくれるはずだ!
とりあえず、国を乗っ取るのはそれからだ。
カルゴロスは答えた。
「魔導師隊大隊長、凍怒のミリアから聞き及びました。このように素晴らしい教えがあったとは、彼女には感謝しかありません。おかげで、私の中で燻っていた全ての迷いが晴れました!」
──あんのバカ!!!!
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