第114話 三年後

 テツタンバリンが……いや、ここでは正直に、そして正確に言っておこう。


 ニコが王国全土の闇を支配し尽くした頃。


 つまり、僕が演武祭で勇者との死闘を演じてから三年が経ったわけだが、僕に魔法が少しずつ戻ってきていた。


 こんなに長い期間、魔法を失うとは思ってなかったので、当然の如く冥府の魔導コールオブサタンは僕の中で禁術となった。


 その間、学園での実技を伴う授業やテストはほとんど免除となった。


 演武祭での活躍や魔王としての王国によるプロパガンダへの影響が考慮されたわけだ。


 それらの事情を除けば、僕は概ね元気だ。


 ……いや、嘘だ。


 こんなことになるなんて思ってなかった。


 最初に断っておくが、王国がこうなったのは僕のせいじゃない。


 僕は毎晩、夜空に瞬く星を見上げては王国中にいたであろう悪人達の冥福を祈る。


 王国にあった犯罪組織、その有象無象はすべからくテツタンバリン……いや、ニコの支配下となった。


 なんて、僕は偉そうに言っているが、この三年の間、地獄のような毎日を送っていた。


 毎晩のようにニコから「どこどこの都市の何たらって組織を潰します」だとか「東方の大都市に調子に乗ってるヤツがいるから潰しました」だとか、そんな報告がくるのだ。


 それを聞くたびに僕はチビりそうになっていた。


 僕が風紀委員会の委員長としてアスラの跡を引き継ぎ、学園の不良を取り締まってる間、ニコはほとんどグリムリープの屋敷から出ずに王国中の犯罪組織をまとめ上げたのだ。


 不良なんかとはわけが違う。


 本物の悪人達が相手だ。


 もういっそ、彼女が魔王でいいんじゃないだろうか。


 やってることだけ見たら、もうこれは完全に魔王じゃないか。



 ニコの人を見る目は超一流だったらしい。


 目の見えないニコにこんな表現が正しいのかはわからないが、とにかくそうなのだ。


 彼女は王都のスラム街で有能だったり特殊な技能を持っているものの、最底辺の第三身分で燻っている人材を片っ端から見出していき、彼らを一手にまとめた。


 そうした上で、王都で互いに凌ぎを削っていたほとんど全ての犯罪組織を駆逐し、優れた人材を配下に加えていった。


 彼女はどこかの組織を潰すたびに、僕にこんなことを聞いてくる。


「主さま、ご慈悲をお与えになられますか?」


 こんなことを聞かれて、何て答えれば良いだろうか。


 僕が最初にこの質問を投げかけられたのは、まだ規模の小さかった魔王の尖兵ベリアルが初めて小さなギャング集団を潰した時のことだ。


 ニコはそのギャング達を全て捕らえたと言ってきた。


 僕は考えた。


 ニコのことだ、全員殺してしまう気だろうと。


 流石に悪人とは言え、そんな大虐殺は推奨できない。


 なので、僕は震えた声でこう答えた。


「じ、慈悲を与えよう。流石に悪人とは言え、可哀想だ」


 ニコは普段は閉じたままにしている、光を映さない昏い眼を開いてこう答えた。


「はい。主さまのお望みのままに……」


 翌日、王都の広場に五十六体の死体が並んだ。


 ギャング達の亡骸だ。


 ライカはその騒ぎを聞いて、何とも誇らしげな表情でニコを見て言った。


「我が妹よ。よくぞ脆弱なる者共に慈悲を与えた。私はニコを誇りに思うぞ」


 ニコとライカの二人と僕には些細な、それでいて、決定的な意識の乖離があったのだ。


 ライカ曰く、魔王の慈悲とは滅びのことらしい。


 当然、僕はそんなことは知らなかった。


 当然、そんなことになるなんて知らなかった。


 それ以来、僕はニコに同じ質問をされるたびに「相手は悪人、慈悲は与えない」と言うことにした。


 それから虐殺はなくなったが、代わりに魔王の尖兵ベリアルの構成人数が増えていった。


 最初の虐殺は、計らずも警告になった。


 魔王の尖兵ベリアルに従わなければ、その者達は永久に沈黙することになると。


 そうして、魔王の尖兵ベリアルに目をつけられた組織は黙って併呑されるか皆殺しの憂き目に遭って永遠に黙るかの二択となった。



 魔王の尖兵ベリアルのスローガンは『沈黙こそ唯一の美徳』なのだそうだ。


 どこかで聞いた台詞だが、僕はその出典だけは思い出さないように努めている。


 魔王の尖兵ベリアルの構成員は任務中、必要最低限の言葉以外を発しない。


 嘘か真か、任務中に友人と雑談しただけで惨たらしい姿で王都の広場に転がることになるらしい。


 頼むから嘘であって欲しいところだ。


 しかし、この程度の逸話は魔王の尖兵ベリアルにしては生優しいほうだ。


 最も苛烈な災禍に巻き込まれたのは奴隷商人たちだろう。


 彼らは魔王の尖兵ベリアルに捕らえられると必ずと言っていいほど、凄惨な目にあった。


 魔王の尖兵ベリアルの餌食となった奴隷商人は、一族郎党、全員が消える。


 残った奴隷たちは解放され、行き場のない者は魔王の尖兵ベリアルに取り込まれる。


 そして数日後、王都のどこかで奴隷商人一人だけが生きた状態で発見される。


 皆、一様に首輪をかけられ鎖で縛られた状態で。


 一応、生きている。


 ……一応。


 と言うのも、発見された彼らのほとんどが廃人になっているか、狂って正気を失った状態なのだ。


 まともに喋れる者は愚か、一切の記憶や理性を失い、まるで獣のような有様になる者もいた。


 魔王の尖兵ベリアルは奴隷商人を絶対に許さない。


 王都の奴隷商人は、この出来事をそんなメッセージだと受け取った。

 

 彼らはすぐに王都を逃れて地方都市を商売の拠点にした。


 しかし、皮肉にも魔王の尖兵ベリアルの影響力はすぐに王国中に伝播する。


 僕は一度、ライカに聞いたことがある。


 ニコ本人に聞く勇気はなかった。


『なぜニコは、奴隷商人だけは組織に取り込もうとしないのか』


 ライカは答えた。


『主様は人間の自由を尊んでおられますし、それに我らは元より奴隷です。奴隷商人を許せないのは、私も同じですから』


 魔王の尖兵ベリアル結成から二年ほどで、王国から奴隷商人は消えた。


 比喩ではない。


 文字通り根こそぎ消されたのだ。


 僕は確信している。


 そして声を大にして言いたい。


 僕のせいじゃない。



 魔王の尖兵ベリアルはそうして、奴隷商人から解放した奴隷と傘下に収めた悪人達でぶくぶくとその規模を増していき、王国全土に散らばる構成人数はおよそ五千人を超える程らしい。


 魔王の尖兵ベリアルに共感した協力者や、弱みを握られて傀儡と化した貴族や商人なんかの関係者を含めれば、その規模は数倍に膨れ上がる。


 魔王の尖兵ベリアルはすでに、傭兵と言う枠組みには収まらなくなっていた。


 傭兵団としての魔王の尖兵ベリアルのギルドでのランクは当然の如くSランクだが、ニコは今でも最低ランクだ。


 代わりにムウちゃんがSランクになっていた。


 傭兵稼業をムウちゃんがこなし、裏稼業をニコが受け持ったのだろう。



 そして、不本意ながら僕の許婚になったミリアはもっと酷かった。


 この三年で、彼女自身が変わったわけではない。


 彼女は去年、学園を卒業して宮廷魔導師になっていた。


 配属先は王国軍の魔導師隊。


 彼女は何をさせるにも有能で、卒業から半年足らずで魔導師のみで構成される王国軍の魔導師隊で一個大隊を指揮するまでの立場に昇り詰めた。


 軍団の一個部隊は十人で編成される。


 四つの部隊で小隊。


 小隊の人数は四十人、小隊四つで中隊、中隊四つで大隊だ。


 つまり、ミリアの指揮下には六百四十人もの魔導師がいるわけだ。


 そんな出来人の彼女の持つ唯一の問題は、魔王を信仰する例の宗教だ。


 彼女は持ち前の容姿と立ち振る舞い、そしてその強さから、一種のカリスマを持っていた。


 例の新興宗教が力を持つに至るまで、そう時間はかからなかった。


 ミリアは学園に在籍していた頃から水面下で例の宗教の信者を増やし、いわゆるカルト教団を形成していたらしい。


 気付いた時には手遅れだった。


 自分たちの宗教を『黒の十字架サタニズム』なんて呼んで、信者を増やしていった。


 黒の十字架サタニズム


 僕が勇者ギレンに使った魔法、堕落の十字架サザンクロスから着想を得たとか何とか、彼女は誇らしげに話していたが、僕はそれに対してこう言った。


『ふざけんな』


 そして彼女はこう返した。


『私はご主人様に関することはいつだって真剣ですわ!』


 僕は全てを諦めた。


 この世界に宗教は多くない。


 どの国も女神を信仰しているからだ。


 獣人国の一部には魔王を信仰している部族がいるらしい。


 ミリアはその人たちのことを『南方のクソったれを信仰する邪教徒』なんて呼んでいたが、僕からしたら黒の十字架サタニズムも獣人国の魔王信仰も全員まとめてクソったれの邪教徒だ。


 黒の十字架サタニズムの信者には、常に首から黒い十字架を下げることが課されているらしい。


 前の世界にもそんな宗教があったが、おかげで世界は宗教戦争で血みどろの歴史を歩んだ。


 さらにタチの悪いことに、黒の十字架サタニズム魔王の尖兵ベリアルは互いに手を組んでいる。


 ミリアとニコは互いに知らない仲じゃない。


 そうなるのは当然の帰結だろうが、僕は鐚一文納得していない。


 黒の十字架サタニズム魔王の尖兵ベリアルが手を組む。


 つまり、魔王の尖兵ベリアルの構成員は全て黒の十字架サタニズムを信仰しているわけだ。


 要するに、王国の各都市にこの宗教が蔓延ることになるのは時間の問題なのだ。


 こればっかりは、あの『神』に謝りたい。


 そして、後に起こるかもしれない宗教戦争の犠牲者にも、僕は全身全霊の謝罪を禁じ得ないのだ。



 しかし、これだけは。


 後生これだけは、はっきりさせておきたい。


 僕のせいじゃない。

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