第109話 震霆

 震霆。


 パラケスト・グリムリープ


 四十数年前、帝国軍が王国領に侵攻してきた際、樹海の半ばにある要所の砦を守っていたモルドレイ率いる千人の王国軍が、帝国軍五千に攻められた。


 相手は帝国の精鋭。


 人数はおよそ五倍。


 モルドレイ強しと言えど、一人の魔導師でどうにかできる規模は超えている。


 当時の国王はすぐさまこれに救援を送った。


 地鳴りの異名を持つアンガドルフ・トークディアが率いる二千の将兵、これに震霆、パラケスト・グリムリープ率いる二千の軍勢の総勢四千の王国軍はモルドレイの援軍に向かう。


 街道を通って砦に向かう途中、王国軍は帝国軍の苛烈な反攻に遭う。


 この時、王国軍を迎え撃ったのは不死隊サリエラだった。


 パラケスト、アンガドルフ両名の指揮により、これをなんとか撃退したものの、王国軍の損害は大きく、作戦の続行は不可能かに思われた。


 その時、パラケストはアンガドルフに撤退を進言する。


 パラケストはアンガドルフに自らの軍の指揮権を委譲し、自分は子飼いの精鋭二百を率いて単身、モルドレイの救援に向かった。


 そして街道を迂回し、魔物の巣である樹海を通って砦に籠るモルドレイを救い、自らが足止めになって帝国軍に討たれた。


 かつて、トークディア老師はそう話していた。


 能天気なあくびをするヘルベルト爺さんに、モルドレイが言う。


「ヘルベルトなどと名乗っておるとはな。未だに師のことが忘れられぬか?」


 モルドレイは怒っているみたいだ。


 モルドレイからしてみれば、自分の命を救って代わりに死んだと思っていた旧知の人間が、実は樹海でのうのうと生きてたわけだ。


 複雑な気持ちではあるだろう。


「ほーん。別に、そんなんじゃないんじゃぜ? ただ、パラケストって名前はもう捨てたから、代わりの名前が必要じゃったんじゃもん」


「……」


 トークディア老師は何とも言えないような顔をしている。


「何故、王国に戻らなかった! お前が生きていたとすれば、王国魔導界はもっと早く変わったろうに!」


 モルドレイは喚き散らす。


 それを見て、ヘルベルト……いや、パラケストは言う。


「んにゃあ、俺、もう王国には興味ないんじゃぜ。森でゆるりと暮らしてる方が、性に合ってるんじゃぜ」


 そんな気の抜けたようなことを言うパラケストに、モルドレイがカンカンになって怒っている。


「貴様は昔からそうだ! 自分の興味の赴くままに場を掻き乱し、それに飽きたらどこかに消える! ワシが何度、貴様の尻拭いをしたことか!」


 そんなモルドレイを見てトークディアが溜息を吐いて言った。


「パラスよ……。生きていたなら、連絡の一つもよこせば良かろう。王国はあれから変わって来ておる。お主の孫もこうして、立派な魔導師になっておる」


「ガドルよう。そりゃできねー相談じゃぜ。俺、あの場で死ぬつもりじゃったんじゃぜ。でも、死ねなんだなあ。……難儀なもんじゃぜ。死に場所と死に様だけは、いくら俺でも決められないんじゃぜ」


 モルドレイは言った。


「ふざけるな! 生き永らえたなら、また王国のために戦えば良かろう! それこそ、死んだ仲間の供養になる! 王国に貴様がいれば、何人の王国兵を救えることか! 貴様は死んだ仲間を何とも思っておらぬのか!」


 そう言われてパラケストは、空を見て口を開いた。


「リクセン、ポルカ、エミュウ、リベライト、ランドルセ、ビリラス、ムロン、アーザック、トニージョー、ロンドリーム、ラムボーイ、ミーラーマ、リューゼント──」


 彼は百人以上の名前をつらつらと誦じた。


 顔を傷だらけにしたモノロイが、一瞬何かに驚いたようにパラケストを見た。


 傷はおそらく、イズリーによるものだろう。


 そんなことには気付いていないように、パラケストは言葉を続ける。


「死んだ仲間はみんな覚えてるんじゃぜ。儂のわがままに付き合って、みんな逝っちまった。俺が助かったのは、意地悪な神のイタズラじゃぜ。俺だけ助かって、また王国の地を踏む? 柔らかなベッドで寝る? また家族に会う? モルちゃんならできるんじゃぜ? 俺には無理じゃぜ。アイツらみんな良いやつじゃったのに、弔ってやることすら出来ずに今でも亡骸は雨晒しじゃぜ? 俺だけ国に帰って、どんな顔してアイツらの家族に会おうって言うんじゃぜ?」


 モルドレイは、俯いていた。


 パラケストの言ってることの重さが、彼にもわかるのだろう。


 パラケストのわがままと言うのが、モルドレイ自身を救うためだったことに帰結するのもあるのかもしれない。


「今の俺は死人じゃぜ。ただの仙人、世捨て人じゃぜ」


 空を見上げるパラケストと、地を見て俯くモルドレイを見て、トークディア老師が言う。


「ヘルベルト先生は、それでも前を向けと言うんじゃないかのう。そして、思うままに生きろとものう」



 僕たちはモルドレイとトークディアが用意した馬車に乗って王国に帰ることになった。


 パラケストは、やっぱり樹海に残るらしい。


 仲間の弔いが済んでないそうだ。


 彼はこの四十年近く、仲間の亡骸を探して樹海を彷徨っていたらしい。


 自分の独断で街道を迂回した時、何人もの仲間が魔物に殺されたそうだ。


 仲間の遺骨を見つけては荼毘に付してきたそうだ。


 その贖罪がまだ、済んでいない。


 だからこそ彼は樹海で独りで暮らしている。


 家族を捨て、祖国を捨て、贖罪のために生き永らえている。


「師匠……いや、祖父上さま……だったんですね」


 僕はパラケストに言う。


「ほーん。やっぱボウズはグリムリープだったんじゃね。ベロンに似てたからもしやとは思ってたんじゃぜ」


「お世話になりました。あの……本当に帰らないんですか?」


「まだ帰れねーんじゃぜ。まだ、終わってないんじゃもん」


「そうですか……。あの、ヘルベルトって人は、誰なんですか?」


 僕は聞いた。


 なぜ、ヘルベルトと名乗ったのか。


 気になったのだ。


 パラケストたちの会話から、パラケストやトークディアに魔法を教えた人だと言うのはわかったが……。


「ヘルベルトは、俺らの師匠じゃぜ。ヘルベルト・シャワーガイン。魔導学園で、儂らがSクラスだった頃の担任じゃぜ」


「シャワーガイン……」


「ほうじゃぜ。俺もモルちゃんもガドルも、ヘルベルト先生には世話になったもんじゃぜ」


 ウォシュレット君の親戚だろうか。


 彼はメリーシアに昏倒させられたのでここにはいないが、起きたら聞いてみよう。



 パラケスト・グリムリープは遠い目で空を見ていた。


 砂漠の方から樹海に向かって、白い鳥が飛んで行った。

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