第96話 道導

 顎に痛みを感じながらこの天井を眺めるのは何度目だろう。


 僕が目を覚ましたのは、夕食時になってからだった。


「シャルル! ごはんだよ! 起きよう! シャルルは、えと、何だっけ? げぼすけ……? だねえ」


 それを言うなら寝坊助だろう。


 人を吐瀉物に塗れて路上に横たわる酔っ払いのように呼ばないで欲しい。


 イズリーにそんなことを言われながら、僕は目を覚ました。


 顎に何度も衝撃をくらって、僕の顎がシャクレ始めたらどうしよう。


 そんな一抹の不安を抱えながら、僕はムクリと起きてイズリーと一緒に宿舎の食堂に向かった。


 食事中、話題は明日の帝国戦で持ちきりだった。


 団体戦では、王国選抜と帝国選抜は今のところ全勝だ。


 明日、勝った方が優勝国となる。


 王国は魔導戦で優勝していて、帝国は騎士戦で優勝している。


 帝国からしてみれば、自国開催で仮想敵国である王国に二つも優勝をさらわれたとあれば、自国の面子は丸潰れだ。


 何がなんでも勝ちにくるだろう。


 さらに、勇者ギレンが魔王に敗北したとあっては、ギレン自身の立場が危うくなっても不思議ではない。


「勇者ギレンの戦い方ですが、かなり特殊なものですかな」


 ミキュロスが言う。


「……特殊?」


 聞き返す僕の脳内に、暴走状態になったイズリーの姿が浮かぶ。


「彼は、自らが行使するスキルを相手に宣告するのですかな」


 確かに、それは……特殊だ。


 本来、戦闘において手の内を明かすなんてのは愚策。


 漫画やラノベの登場人物が、自分の能力を説明するシーンは枚挙にいとまがないけれど、あんなのは現実の戦闘には有り得ない。


 やるとすれば、どう転んでも自分の勝ちが揺るがない状況か、もしくはただのアホだ。


 ミリアと僕が戦った時、彼女は聖天の氷壁ヘイルミュラーについて僕に語って聞かせたことがあった。


 アレもミリアの勝ちがほとんど確定していたからこそだろう。


 少なくとも、懲罰の纏雷エレクトロキューションを作成できていなければ敗北は免れなかったはずなのだから。


 ギレンは自分のジョブに誇りを持っている。


 自分を特別な存在であると。


 選ばれし者だと。


 彼は勇者としての余裕から、自らの能力をバラしているのかもしれないし、もしかしたら、もっと違う理由があるのかもしれない。




 愛は呪いだ。


 なんて僕は考えたけど、それは立場や環境、あるいは夢なんかもそうなのかも知れない。


 彼にとって、自分の地位とジョブは呪いのようなものだろう。


 呪い。


 つまり、しがらみ。


 もし、僕が魔王でもグリムリープでもなく。


 もし、彼が勇者でも帝国の皇太子でもなく。


 街でばったり出逢っていたら、その時は普通に友達になっていたかもしれないんだ。


 同じ学校に通い、同じ釜の飯を食い、同じ夢を追い、戦場いくさばでは同じ陣営として肩を並べたかもしれない。


 『神』が課した役割。


 それこそが、僕たちを蝕む呪いなんだ。


 

 この呪いを解くのに、必要なピースこそ『南方の解放』なわけだ。


 『神』との約束を反故にする選択もある。


 しかし、仮に南方なんて知らんと好き勝手に生きた結果、天寿を全うするか、どこぞの魔導師に負けて殺される時に僕はどんな顔で死ぬだろう。


 そしてどんな顔で『神』に再び会うだろう。


 それを考えると、僕自身もまた、この『約束』という名の呪いに縛られているのかもしれない。


 その日は早めに就寝した。


 ベッドの中で目を閉じても、僕の頭の中では『神』との会話がぐるぐると巡っていた。


 僕は、自由こそ人間の本質と言いながらも、自分自身はあの約束に縛られている。


 双子への愛に縛られている。


 仲間への想い。


 師への想い。


 世界が僕を縛る。


 世界の在り方そのものが、大きな呪縛となって僕を縛る。


 そしてそれが、何より苦しい。


 もし、僕が失敗したら?


 世界は滅びる?


 その時は友も、家族も、祖国も、師も。


 そして。


 最愛の人たちも。


 ……全て失う。


 出来ることなら逃げ出したい。


 ジョブに縛られるのも、運命に縛られるのも。


 ……愛に縛られるのも。


 僕には……。



 

 明くる日。


「主さま、いってらっしゃいませ! ご武運をお祈りしております!」


「むうー」


 優しいニコと不機嫌なムウちゃんに送り出されて、僕たちは闘技場に向かった。



 闘技場で出番を待つ間ずっと、会場には帝国コールが鳴り響いていた。


『帝国! 帝国! 帝国! 帝国!』


 まるでサッカーのホームチームが受けるチャントのように、帝国民が自国の選抜を鼓舞している。


 当然だが、僕たち王国選抜からしてみれば完全にアウェイだ。

 


「……シャルル」


「ハティナ」


 僕たち団体戦組が戦場に赴く直前。


 銀色の天使が僕に声をかけた。


「……何か悩んでいる」


「……」


 僕は彼女に心の内を見透かされて無言になった。


「……シャルルは賢い。……だからこそ、考えすぎてしまうよね」


「……」


 ハティナに比べたら僕の賢さなどイズリーと遜色ないだろうに、彼女はそんなことを言う。


「……でもね……きっと……答えはとてもシンプル」


「……」


「……あなたがどんな答えを出しても……わたしとイズリーは……ずっと……あなたを大好きでいるよ」


「……ハティナ」


「……わたし……あなたと出逢えてよかった……あなたと出逢えてなかったら……わたし……笑うことなんてなかったよ」


「ハティナ……僕は……」


 本当に君に愛されるだけの資格があるだろうか。


 本当に君の側にいるだけの価値があるだろうか。


 本当に君の……。


「……シャルル……そんな顔……似合わないよ」

 

「……ハティナ」


「……わたしの大好きなシャルルは……いつでも不敵な表情かおで……どんなピンチも切り抜ける……あなたは強く、賢く、しなやかなひと……だからね……お願い……いつでもわたしの大好きな……」


 彼女は口許を緩めて言う。


 慈母のように。


 聖女のように。


 女神のように。


「……わたしの大好きな魔王様でいて」


 彼女は言った。


 僕は言う。


「……君には敵わないな。……ハティナ」


「……」


「……」


 彼女は僕を優しく見つめる。


 僕も彼女を見つめる。


 僕は今、どんな表情かおをしているだろう。


「……ぷっ。あははは」


「……にへへ」


 僕と彼女は、同時に笑った。




 闘技場で帝国選抜と対峙する。


 もう、畏れはない。


 もう、後ろは向かない。


 縛られるのが僕の運命なら。


 その運命ごと喰らい尽くす。


 呪縛を喰らい尽くして、しがらみを喰らい尽くして、自由になる。


 自由なんてのは、突き詰めればきっと『自分勝手』ってことだ。


 それで良い。


 きっと、僕にはもう自由は手に入らない。


 愛や友情なんかに囚われて、きっと自由になんかなれない。


 でも、それで良い。


 だからこそ、自由を掴み取る。


 掴み取るために足掻く。


 その姿勢にこそ。


 その求道にこそ。


 本当の自由は宿る。


 そう信じることにした。




「もう……迷わない」


 僕の呟きに、アスラが答えた。


「やれやれ、あれほど好き放題やっておいて、君に迷いがあったとはね」


「ハティナにも言われましたよ。……どうやら僕にセンチメンタルは似合わないらしい」


「全くもって、同感だね」


「……勝ちましょうね」


「無論だ。掴み取るぞ。……栄光は目の前だ」

 

 

 

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