第95話 魔王の宣告

 闘技場には、僕が入学試験の時にやらかしたクレーターを超える規模の大きな穴が空いていた。


 その穴の淵に立って、イズリーが言う。


「おー! すごいねえ。深いねえ。……あ! シャルル! 見て見て! お空の雲にも穴が空いてるよ! すごーい! あんなの初めて見たねえ。ねーねー、あっちの方にも空けてみて! そしたら、犬みたいになるよ! ね? あっち! シャルル? ねーねー! あっちの方!」


「シャルル君……いくら何でも……やりすぎなんじゃないか……?」


 アスラは声を震わせて言う。


 ……どうしよう。


 僕の頭を巡るのはそんな考えだけだ。


「ね? シャルル! あっちにも穴空けたらさ、あそこが目になるでしょ? それで、アレが鼻! ね? 犬! うーん。なんだか、モノロイ君にも見えてくるねえ。大きいからねえ」


 ……うぷ。


 僕は自らが作り出した目の前の惨状に吐き気を覚える。


 イズリーに、君は大きければ何でもモノロイに見えるのか、などと心の中で突っ込む気力すらない。


 観客たちは東西南北の四方にある闘技場の出入り口を目指して我先に逃げ惑っている。


 その中に、親と逸れて泣いている子供の姿を見つけて、僕からさらに血の気が引くのがわかる。


 入学試験の気まずさなんかとはケタが違う。


 帝都の中心にそびえ立つ闘技場は、阿鼻叫喚の地獄絵図だ。


 ハティナを見る。


 恐る恐る。


 彼女は、まるで「よくできました」なんて言うかのような優しげな顔で親指を立てている。


 いいのかよ!


 ……なんだろう。


 僕とハティナの間には埋めようのない感覚のズレがある気がする。


 イズリーは、空を見るのに飽きたらしく穴を覗き込んで、その中でガタガタ震えている皇国選抜の人たちを眺めている。


 彼女も、皇国選抜の人たちのことが流石に心配になったのかと思ったが違った。


「うーん。もう戦える人いないねえ。みんな首のやつ赤くなっちゃってるよ」


 自分におこぼれは無いものかと、獲物を探していただけだった。


『なんだ! あの化け物は!』

『た、助け、助けて!』

『本物の魔王じゃねえか!』

『ここにいたら殺される! 早く逃げろ!』

『王国はどんな怪物を飼ってやがる!』

『帝都が滅ぶぞ!』


 蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う観客たちの、そんな言葉が僕の心にグサグサと刺さる。


 もう……。


 もういいや……。


 なんだか、とても面倒くさくなってきたよ。


 もうさ……。


 ……もう、いっそ開き直った方がきっと楽になれる。


 ……きっとそのはず。


 僕はおもむろに鎖の玉座の上に立ち上がり、鉄鎖縛陣チェーンロックに命じて玉座をさらに上昇させる。


 立ち上がった僕の周りでゆらゆらと黒い鎖が揺らめいている。


「恐怖せよ! これぞ魔王の力! 震撼せよ! 脆弱な人間共よ! 王国が誇りし世界最強の魔導師の力を! 我らが王領の簒奪を企てし者在ればその全てを! 我が意に背く者在ればその全てを! この魔王シャルル・グリムリープが! 森羅万象! 一切合切を屍とせん!」


 僕の叫びが会場に響く。


 闘技場に一瞬だけ訪れた沈黙は、さらに大きくなった観客たちの悲鳴で溢れた。


『ぎゃあああー!』

『お、俺は帝国民じゃない!』

『て、帝国は終わりだ!』

『本当に魔王が現れた!』

『お母さーん! どこー!』

『ど、どけ! 邪魔だ!』

『早く逃げろ!』

『殺されるぞ!』


 僕の気持ちは晴れなかった。


 なんだか、会社でミスをしたことを追求されたものの『あー、コレですか? ワザとですが何か? むしろ、こうした方が効率が良いものですから』などと、謎の言い訳でその場を凌ごうとしているダメ社員のような気分だ。


 

「ひ、ひとまず宿に帰ろう」


 アスラに言われて、僕たちは宿舎に帰った。



「主様! このライカ、感服致しました! 素晴らしい魔法でした! それに! あの最後の帝国民に向けて啖呵を切った場面なんてサイコーです! 一生、お供いたします!」


 ライカの言葉にミリアが頷く。


「本当に! 私も一度は体感したいくらいですわ! ああ、今でもご主人様のお言葉が私の下腹部を撫でております! もう、下着の替えもないくらいですわ!」


「……それには同意する。……ミリアは首輪なしであの魔法を体感してみればいい」


「ああ! ハティナさん! ナイスなアイデアですわね! さあ! ご主人様! さあさあ!」


 体育の授業で先生から『二人組を組んでください』と指示を受けたものの、元々クラスは奇数なので余ってしまった人見知りでボッチの少年のように、部屋の隅で体育座りで落ち込んでいた僕を他所に女の子チームが盛り上がっている。


「シャルルー。なんで落ち込んでるのー? ね? よしよししてあげる。ね? 元気出して? ね?」


 イズリーは僕の目の前でそんなことを言っているが、僕のライフは依然としてゼロと1の間を彷徨っている。


「ま……まあ、当初の計画通りに魔王の存在を印象付けられたんだ。……アレはアレで良かったんじゃないかな」


 アスラが言う。


「ほ……本当にそう思っていますか?」


 僕はアスラに問う。


「……いや……あ、ああ。……もちろんさ」


 アスラは僕と目を合わせずに言った。


「嘘じゃないですか! やっぱり委員長もやりすぎだって思ってるんだ!」


「アスラくん! シャルルをいじめないで! シャルル、あたしが守ってあげるから、ね? 元気出して? ね?」


「いや、イズリーさん、わ、私にそんなつもりは……」


 メイド姿のニコとムウちゃんが僕のところに来て、近くのローテーブルにお茶を置いた。


「主さま、今日はムウちゃんが淹れたお茶ですよ。さあ、冷めないうちにどうぞ」


「むうー」


 僕は気力を振り絞ってお茶を飲む。


 ああ、美味しい。


「……ありがとう。ムウちゃ──」


 ムウちゃんにお礼を言おうとした僕の顔面に、ムウちゃんの拳が突き刺さる。


 ……なぜ……。


 彼女は未だに僕が関わろうとすると攻撃してくる。


「あー! シャルルー! もー! ムウちゃん! 将軍だよ!」


「ムウ! 主様になんたる無礼を! 貴様! そこに直れ!」


「むうー!」


「……躾が必要」


「おんどりゃあああー! ご主人様に、何さらしとんじゃコラあああああ!」


「ミリアさん! 落ち着くんだ! シャルル君! 大丈夫か──」


 僕の意識はそこでプツリと切れた。

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