第85話 冥土
僕がムウちゃんやイズリーの悪夢に──アレは悪夢だと、僕はそういうことにした。──うなされていた間に、王国選抜は獣人国選抜を鎧袖一触に倒していたそうだ。
ムウちゃんは、王国選抜の皆が集まった宿舎のロビーの床に座って、縫い付けられた口の隙間に器用にストローを差し込んでチューチューと野菜ジュースを夢中になって飲んでいた。
まるで美少女の姿をした動物のようだ。
「先方のエルフ選抜に問い合わせたところ、どうやらムウちゃん殿の主食はご覧の通り野菜ジュースのようでありますかな。エルフはほとんど肉を食す文化がありませんかな。それから、口の皮紐は呪文を唱えられないようにとの配慮だそうですかな。齢三つで奴隷に落とされた際に、縫い付けられたと。ちなみに、舌も切り取られている為に紐を解いても喋れないそうですかな」
ミキュロスが集めてくれたデータを皆に伝えている。
エルフを滅ぼしかねない危険な存在として認識されて以降、そのような処置が取られた上でずっと牢獄に捕らえられていたそうだ。
僕はムウちゃんの姿に、もしかしたら僕自身もそんな風に扱われていたのかも知れないな。
なんてことを考えていた。
そう言う意味では、寛大な処置に留めてくれた王国にも感謝の念を覚える。
それに、父であるベロンや師であるトークディア老師には足を向けては寝られない思いだ。
「ムウちゃんを奴隷として扱う気は、僕にはない。本当ならすぐ解放したいけど、そうした場合はどうなるかな?」
ミキュロスはアスラに目配せした後におずおずと答えた。
「おそらく、遅かれ早かれ身を売ることになるでしょうかな。どこぞの娼館にでも引き取られれば良い方で、とてもムウちゃん殿の幸せとは程遠い結果になるかと存じますかな。……生まれついてからこれまで、ムウちゃん殿には社会性を学ぶ機会がございませんでしたかな。これはつまり、人の手で育てた獣をそのまま野生に返すようなことになるでしょうかな。」
人にエサを貰うことを覚えてしまった動物を、そのまま野生に返せば遅かれ早かれ必ず死ぬ。
狩りの仕方、仲間との交流。
そういった『野生の流儀』を覚えていないのだ。
さもありなん。
と言ったところだろう。
「やれやれ、シャルル君。なぜそこまで、奴隷という身分を嫌悪する? もしかしたら彼女にとっては、奴隷という身分だけが彼女を守る唯一のセーフティネットなのかも知れないよ」
「……貴族的な考えですね。前も言いましたけど、人間の本質は自由です。ただ、今回の場合は……」
それが正しい。
とは言い切れない。
結局、奴隷などという身分は存在するべきではない。
という考えですら、とどのつまりは僕のエゴなのだ。
これは単に、僕の考え。
これは単に、僕の思想。
あの勇者みたいに、自分の正義や主張、あるいは思想や言動。
それそのものを僕は、僕自身のソレですら懐疑的に考えているのだ。
「主様。私めに考えがございます」
ライカが僕の背後で直立不動のまま言う。
「聞かせてほしいな」
僕が水を向けると、彼女は凛とした出で立ちで答えた。
「は。ムウのことですが、私めにお任せ下さい。私は主様一番の配下と自負しております。新たに主様の配下となったムウは、言ってみれば私の部下に当たります。不肖、このライカ。必ずやムウを一人前の戦士に育て上げて見せます!」
……賢者をいっぱしの戦士にしてどうする。
僕はそんなことを思ったが、それを言うより早くミリアが口を開いた。
「あらあら、まあまあ、奴隷上がりで獣風情の新参者が、なにやらお調子にお乗りだこと。ご主人様一番の配下はこの私ですわ。あなたは良くて飼い犬程度ですわ。そこのところ、お間違えないように躾けてやらねばなりませんわね?」
「ほほう……? 何やら戯言が聞こえた気がしたが、その余計な贅肉に音がこもってよく聞こえなかったな。……良し。私がその無駄な脂肪、削ぎ落としてやろう」
「わ、私をデブ扱いするのはおやめ下さいまし!」
なんだかこの娘たちも飽きないなあ。
なんてことを考えていると、今度はニコが言った。
「お姉さま、ミリアさま、魔王さまの御前ですよ? 配下同士の醜い争いは、魔王さまの御目を汚すことに相成るかと存じますが?」
「む……すまない」
「う……これは、私としたことが……」
もうニコさんが一番で良いんじゃないかなあ。
「やれやれ。とにかく、今回は魔導戦の対帝国戦が控えている。ミリアさんにとっては大仕事だろう。ムウさんのことは、ライカさんに一任した方が良いと思うが?」
「そうですね。ライカ、頼めるかい?」
アスラの助言を受けて、僕は言った。
「は! お任せ下さい!」
そう言ってライカは跪いた。
「ご主人様がそうおっしゃるのでしたら、私めに否やはございませんわ」
ミリアもどうやら納得したらしい。
そういうことになった。
そして、ライカとニコが買い出しに出ると言ったタイミングで、ムウちゃんの服やら何やらを買う必要があるだろうと、僕は彼女たちに金貨を何枚か渡した。
ムウちゃんの口は
僕が買い出しに行ったライカ達を部屋で待っていると、突然カーメルが訪ねてきた。
「よう」
カーメルはそんなことを言いながら、所在なさげに僕の部屋の扉の前に立っている。
「どうしたんだ? カーメルが訪ねて来るなんて珍しいな」
「いや、ちっと聞きたいんだがな。本気でダークエルフを……その……世話する気か?」
「世話って言うか、まあ、彼女が一人でも生きていけるようにしたいとは思ってるけど……」
「……そうか。……お前みたいな上級貴族の坊ちゃんが、何でダークエルフにそこまでするんだ?」
「そりゃ……何でって言われても」
「奴隷のダークエルフだぞ?」
「うん。え? だから? 関係ないだろ? 種族とか、奴隷とか。人は人だろ?」
「ふっ。……そう来たか。まあいいや。お前は不思議なヤツだよ」
……えー?
藪から棒になんだ。
何が言いたいんだ?
「……邪魔したな」
カーメルは戸惑う僕を置いて、そんなことを言って帰って行った。
本当に何だったんだ?
そうして、頭の中を疑問符だらけにした僕を他所に、ライカとニコは日が暮れてから買い物を終えて宿舎に帰って来た。
「ただいま戻りました!」
ライカが何やら自信たっぷりな様子に僕は一抹の不安を覚える。
「ただいまムウに着替えさせております。しばしお待ちを!」
そんなことを言う犬耳美少女は、何やら随分と自信があるらしい。
「ご用意が整いました」
僕の部屋にニコとムウちゃんが入って来た。
どうやら、ニコもムウちゃんとお揃いの服に着替えたらしい。
盲目の美少女は、栗毛色の髪にへたりと垂れたウサミミをピクピクと動かしている。
そしてその後ろに、褐色の肌に真っ白な髪をした少女の姿。
僕の視線は二人を交互に行き来する。
そこには、美という概念において完全なる存在がいた。
完全無欠。
この世の美の結集した存在。
ニコとムウちゃんは、いわゆる。
いわゆる、メイド服を纏っていた。
ウサミミ美少女メイド娘。
褐色美少女メイドエルフ。
魔王が、自らのうちに秘められた大和魂と武士道精神と健全なる日本男児としての本能の前に完全降伏した瞬間だった。
僕の煩悩にまみれた表情を見て、ライカが堂々と言う。
「これからは、私が主様の身辺の警護を。そして、ニコとムウが主様の身の周りの雑事を行います!」
ここでは敢えて、シンプルに、端的に、短い言葉で僕の心情を伝えようと思う。
……転生して良かったです!
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