第84話 ムウちゃん

 目が覚めると、僕は宿舎の自分のベッドの上だった。


 ……なんてリアルな夢だったんだろう。


 なんだか未だにアゴがジンジンと痛む気がする。


 しかしアレだ。


 エルフで奴隷属性まで持つ女の子だ。


 そりゃ僕だってさ。


 いくら魔王と言えど、そんな最強属性のかわい子ちゃんにどつかれたら、そちらの趣味に目覚めそうにもなるさ。


 仕方ないよな。


 たぶん転生前の僕は日本人だったのだから。


 日出る国の大和魂を受け継ぐこの精神が、エルフっ娘のパンチを食らって新たな性癖に目覚めそうになるのは仕方のないことだ。


 あの国の漢なら、だいたい『目覚める』に違いない。


 うん。


 そうに違いない。


 いやー。


 夢で良かった。


 本当に夢で良かった。


「……むうー」


 そんなことを考えていた僕の目に、鎖にがんじがらめにされた状態で芋虫の様に床を這いつくばったダークエルフの女の子が入ってくる。


 ……ん?


 この状況は一体……。


「むう! むうー。むうぅ!」


 ダークエルフの女の子は、革紐で硬く縫い付けられた口からそんな声を漏らしている。


 ……。


 ……あれぇ?


 夢……じゃない……?


 いや、いやいや!


 待て。


 ……コレも夢だ。


 ……そうだ。


 コレは、夢から覚めた夢なのだ。


 ……いったん落ち着こう。


 深呼吸だ。


 まだ慌てる時間じゃない。


 僕は強豪バスケ部のエースの如く、まずはこの昂った気持ちを心頭滅却と断固たる決意により落ち着けることにした。


「まあ……夢なら……」


 僕はとにかくダークエルフの女の子を鎖から解放することにした。


 こんなに可愛いエルフの女の子を、鎖で縛って部屋に置いておくなど、夢の中とて許容できない。


 鎖から解放されたダークエルフの女の子は、僕の目をジッと見つめ、そうして、さも自然なことの様に、僕の腹にボディーブローを放った。


「うぐっ……」


 なんて強烈な夢だ。


 普通に痛い。


 僕は後ろによろけて壁にぶつかる。


 ダークエルフの女の子は「むうむう」と言いながら警戒態勢をとっている。


 すると、勢いよく部屋の扉が開いた。


「シャルルー! またムウちゃんに虐められたの! あたし、ぶっ殺す!」


 イズリーが部屋に飛び込んできた。


 そして、ダークエルフの美少女と人間の美少女が取っ組み合いのキャットファイトを演じ始めた。


 僕は確信する。


 ……やっぱ夢だ。


 エルフの美少女と、天使の様な美少女。


 そんな二人が、こんなに醜い獣のような死闘を演じるわけがないじゃない。


 ……だってそうだろう?


 美少女は喧嘩しないし、美少女はうんちもしないし、美少女は鼻くそもほじらないし、美少女のおならは、フローラルの香りであるはずだ。


 ……そうだろう?


 そうであるはずだ。


 そうであるべきだ。


 すると、馬乗りになってマウントポジションを取ったイズリーが『ムウちゃん』なるダークエルフの女の子をボコボコと殴り始めた。


 僕はまるで手加減なんて知らないような、その状況を見て、半ば本能的にイズリーを止めた。


「やめろ、イズリー!」


 僕はイズリーの手を握って、自分の方に引き寄せたが、ボディーブローのダメージからか躓いてイズリーの上に覆い被さるように転んだ。


 僕の下でイズリーが言う。


「あ……これ、知ってる。ちゅーするんでしょ? ……いいよ。……シャルルなら」


 ……え?


 そんなラブコメ展開な……。


 ……いいの?


 ……夢だし。


 ……いいか。


 目をつぶったイズリー。


 なんて美しい。


 双子だから当然だけど、まるで金髪にしたハティナの様な……。



「うがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 僕は叫んだ。


 叫んで、今度は自分から壁まで走って頭を打ち付ける。


 ガツンガツンと何度も何度も壁に自分の頭を打ち付ける。


 僕は!


 イズリーに!


 煩悩を抱くなんて!


 好きだとはいえ!


 夢とはいえ!


 大好きだとはいえ!


 たとえ夢とはいえ!


「な……何をしているんだい……? と言うか……どんな状況だい……?」


 部屋に駆けつけて来たのはアスラだ。


 アスラは見たことだろう。


 部屋の壁に自らの頭を何度も何度も打ち付ける魔王を。


 少し潤んだ瞳で、服をはだけさせ、唇に人差し指をくわえながら上目遣いで僕を見るイズリーを。


 部屋の隅で恐怖に顔を歪めて、ガタガタと震えるダークエルフの女の子を。


 そうして、僕は再び意識を手放した。


 


目が覚めると、僕は宿舎の自分のベッドの上だった。


 ……なんて。


 ……なんてリアルな夢だったんだろう。


 なんだか未だにアゴと額がジンジンと痛む気がする。


 しかしアレだ。


 我ながら夢で良かった。


 本当に焦った。


 悪夢と呼ぶには生温い、エグすぎる夢だった……。


 そんな風に安心した僕の目に、『ムウちゃん』の姿が飛び込む。


 僕はいつかのミキュロスのように白目を向いて気絶しそうになったが、アスラに「しっかりするんだ! 現実を受け入れたまえ!」なんて言われながら肩を掴まれて前後に揺さぶられたことで、なんとかこの世に踏み止まった。


「ごほん。ひとまず、落ち着いて話し合おう」


 そう言ってアスラは説明を始めた。


 どうやら、昨日僕はエルフたちを倒した後、ダークエルフの女の子の奴隷の首輪を外したわけだが、次の瞬間、彼女からの攻撃を受けて気絶したらしい。


 これにハティナ、イズリー、ミリア、ライカの四人がキレた。


 そうして、結果的にダークエルフの女の子は一瞬で制圧されて鎖でがんじがらめにされたと。


 僕が次の日まで目を覚まさなかったために、ミリアとハティナを筆頭に魔導戦組は現在、コロシアムにて獣人国との試合を行っているらしい。


 合同戦組のイズリーとアスラだけが宿舎に残って僕の看病とダークエルフの監視を行なっていたそうだ。


 ニコとライカも宿舎にいるが、なんでもライカの『ムウちゃん』に対する敵意や凄まじく、今はニコに抑えてもらっていると。


 そういうことのようだ。


「その、ムウちゃんてのは何なの? この娘の名前?」


「うん! そうだよ! あたしが名前聞いたらね、そうだって言ってた! 変な名前だよねえ」


「……そうなんですか?」


 僕はアスラに問う。


「いや……。あのエルフたちに聞いたところ、彼女に名前はないらしいが……」


 昨日のぼんやりとした記憶を辿るに、彼女は生まれついての奴隷のようだった。


 エルフは奴隷に名前はつけない主義なのだろうか?


「えー! そうなの? でもでも、ムウちゃんはムウちゃんて言ってたよ! 待ってて! 聞いてみる!」


 イズリーはそんなことを言って、部屋の隅でイズリーに怯えている『ムウちゃん』のもとに駆け寄った。


 ムウちゃんは壁と完全に一体化しようとでも言うかのように壁に張り付いている。


「ムウちゃん、あなたの名前はムウですか?」


 イズリーのどこか変な質問がダークエルフに向けられた。


「……む、む、むう」


 ダークエルフが首を振りながら答える。


「ね? ムウちゃんですよ! だって!」


 ……イズリーよ。


 君はまるで、ゴールデンウィーク明けくらいに急に中二病を罹患して「私、動物の言葉が解るの」等と訳の分からないことを言い始め、挙げ句の果てには教室で飼ってるハムスターに「……そう。……あなたも大変なのね」等と話しかけるような奇抜な行動の末に、結果的に二週間の栄光と引き換えに一生引きずることになってしまう黒歴史を生み出してしまったクラスで地味目な女子のようなことを言っているがね。


 その「むう」は単に口を縫われたために喋れないだけのような気がするが……。


「ね? ムウちゃんだよね? ね? ムウちゃん? ね? そうだよね?」


 顔を青くしたムウちゃんがガタガタと震えながら首を何度も縦に振った。


 ……言わせたよね?


 今、完全に目に見える形の圧力だったよね。


 こんなにわかりやすい『無言の圧力』ならぬ『言葉の圧力』があるなんて、僕は今日になって初めて知ったよ。


「もう、シャルルをイジメたらダメだよ? ね? めっ! だからね? じゃないと、あたし、ムウちゃんのこと……しょ、しょ、何だっけ? 将軍? しないといけないんだって! ミリアちゃんが言ってた! だから、将軍されないように、良い子にしてなきゃダメだよ? ね? わかった?」


「イズリーさん。それを言うなら処分だと思うんだ。……シャルル君を殴ると将軍になるなんて……いや……何でもない」


 いやいや! 


 途中で諦めんなよ!


 僕はすっかりイズリーに及び腰になっているアスラに向かって、心の中で叫んだ。





 

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