第70話 恋人のキス

 帝都について、宿舎に馬車を入れた。


「主様! 馬の世話は私にお任せを!」


 ライカはそう言って、いそいそと馬の世話を始めた。


「あ、そう? でも、たまには僕も手伝うよ。コイツらには、世話になってるからなあ。世話の仕方、教えてくれよ」


「御意!」


 そう言って、僕はライカと馬の世話をすることにした。



「ねーねーニコちゃん。どーやったら、一の目ばっかり出せるの? ねーねー、どーやるのー?」


「コツがあるんですよ。さ、教えて差し上げますから、まずはお着替えをいたしましょう」


「やた! にしし、コレでシャルルに勝てるねえ」


 イズリーとニコは手を繋いで、何やら話している。


「シャルル君。私はラファ君と話してくるよ。それから、ジョブ鑑定に関しても情報を集めておこう」


「ありがとうございます。委員長」


 最後にアスラがそう言って、みんなは宿舎に帰って行った。



 僕はライカがテキパキと飼い葉を取り替えたり、馬にブラシをかけるのを見ていた。


 帝都の城門の上に、大きな満月が浮かぶ。


「主様の大事なローブが汚れてしまいます」


 なんてことをライカに言われて、馬の世話に関しては早々に戦力外通告を受けたのだ。


「……! あ、主様、私めは水を汲んで参ります」


「あ、そう? 僕も手伝うよ」


「いえ! 主様はこちらに! ここにいるべきです!」


「え? そ、そうなの? なら、待ってるよ」

 

 ライカがそんなことを言って水汲み用のバケツを持って去っていく。


 すると、入れ替わるようにハティナがやってきた。


 なるほど。

 ライカはハティナに気付いて気を遣ったのだろうか。


「……シャルル」


「ハティナ、どうした?」


「……撫でて」


 ……は?

 急にどうしたんだこの天使は。


「え? 撫でる? 頭を撫でればいいの?」


「……早く」


 僕は言われるままに ハティナの頭を撫でる。


「……はぅ」


 ハティナが目を閉じた状態で洩れるような声を出した。


「ご、ごめん、痛かった?」


 僕がそう言うと、ハティナひふるふると首を振った。


「……悪くない」


「な、何が?」


 本当に謎だ。

 この娘の考えはほとんど読めないけれど、今回はいつにも増して何を考えているのかがわからない。


「……シャルル」


「は……はい」


「……ミリアとキスしたって聞いた」


 ……うっ!


 あの変態女!

 よりによってハティナにチクるなんて!


「い……いや、覚えてな……い」


「……」


「いや。した……かも……いや、どうなんだろう……。そ、そう! 不可抗力! あれは不可抗力なんだ、僕が溺れて気を失ったから、それで彼女は仕方なく……」


「……」


「いや……。そ、そうだ! アレはキスじゃない。ほら、崖から友達が落ちそうになって、手を掴んで助けたとして? そ、それは、手を繋いだという事には確かに他ならないけれど、恋人同士が手を繋ぐということとは、意味合いが違うだろ? そんな感じで……す。……はい」


「……なら、恋人同士のキスはしてないということ」


「そ、そう! そうだとも! あれはノーカウントさ!」


「……なら、恋人同士のキスして」


「……は?」


 ハティナは真っ直ぐ僕を見てくる。

 

 な……なんだこの状況。


 なんなんだ!

 この状況は!


「……できないの?」


「いや、そうじゃなくて……え、マジで?」


「……わたし、シャルルが好き。……シャルルも、わたしを好き」


「うん」


「……なら……して」


 何が『なら』なんだろう。


 とりあえず、ハティナの無言の圧力がすごい。


「で、でも、僕たちまだ子供だし」


「……人は殺せるのに……キスはできないの?」


 どんな理論だ!


 嫌なわけじゃない。

 嫌なわけがないが。


 僕の脳裏に、カンカンに怒ったトークディア老師の姿が映る。


「ほ……本当に……いいの?」


「……早く」


 僕はハティナの両肩に手を置いた。


「お、おう。えと、その……」


「……なに?」


 ハティナはジッと僕を見ている。


「目……邪魔」


「……わかった」


 ハティナはふっと目を閉じた。


 美しい。


 この娘は本当に……。


 そうして、僕はハティナに顔を近づける。


「……」


 彼女は目を閉じて沈黙を守る。


 彼女の唇に僕の唇が近づく。


 けれど僕はハティナにキスをせずに離れた。


「……どうしたの?」


「ハティナ、やっぱり、まだできない」


「……なぜ?」


「まだ……成し遂げていない」


「……何を?」


「僕は、新たな魔王として南方を解放するよ。前の魔王を倒して、世界を救う。そう、決めたんだ」


「……」


「僕は今まで、何かを手に入れる時には他の何かを代償に必要としてきた。だから……だからね、ハティナ。今、ハティナを手に入れてしまったら、僕はきっと満足してしまう。この人生に……。そして、僕自身に……」


 そうなっては、きっと僕は途中で諦めてしまうだろう。

 


 魔王討伐など、元々かったるいと思っていたくらいなんだから。


「……」


「だから、ハティナ。僕は魔王を討伐して南方を解放する。南方が誰の領土かは知らないけど、僕が魔物から開放したら僕のモノになるはずだろ? だから、その時は──」


「……」


「──世界の半分を君にあげる」


「……」


「そうして、その時、僕は初めて君を迎えに行くよ」


 そう言って、僕はハティナの額にキスをした。


 ほんの二、三秒。

 僕の唇に、ハティナの体温が伝わる。

 

「……にへへ……悪くないね」


 彼女は頬を赤らめて、笑顔を見せてそう言った。

 そうして、ハティナは一人宿舎に帰って行った。

 

 彼女を見送る僕は誓った。


 月の灯りに。

 砂漠の夜風に。

 馬のいななきに。


 南方を必ず解放する。

 世界の半分を手に入れる。

 新たな魔王として、この世に君臨する。

 


「主様……」


 気付くと、いつの間にかライカが帰ってきていた。


「……ライカか」


「は。……馬の世話は終えました」


 僕が惚けている間にライカは馬の飲む水も替え終わっていたようだ。


「そ……そうか。ごめんな。役に立てなくて」


「いえ、主様。私は主様と一緒にいられるだけで……」


 ライカは目を伏せてそんなことを言った。


「そ……そうか」


「ハティナ様は──」


 ライカが突然ハティナの名前を出したので、僕は口から心臓が飛び出るかと思うほど驚いた。


「え? は……ハティナが何だって?」


「ハティナ様は、主様を心底お慕いなさっているようですね」


「そうかな? そうだといいけど……」


「ええ。見ていれば、わかります」


「そ……そうか……」


「ハティナ様は、奥方様とお呼びすると大変お喜びになられます」


「そ……そうか……」


 とんでもない処世術を見た気がする。


「主様のジョブは、魔王様だと聞きました」


「……そうだよ。僕は、魔王だ。……怖いか?」


「いいえ。元々、獣人は魔王様を信仰している部族もいるくらいですから」


「魔王を信仰?」


 ミリアみたいなやつが、他にもいるのか?

 なんて恐ろしい種族だろうか。


「私も詳しくはありませんが、獣人は元々南方にルーツを持つそうで、当時はほとんどが人間とエルフの奴隷だったそうです」


 ライカが言うには、南方に魔王が現れ、エルフの国と人間の国は尽く滅びた。

 そうして奴隷から解放された獣人たちが北方に渡り、国を建てたそうだ。


 それなら、自分たちの隷属の首輪を断ち切った魔王に感謝する者たちがいても、おかしくはないか。


「魔王様は我ら獣人の救世主様です。そんな、救世のジョブを持つ主様にお仕えできて、私もニコも幸せにございます」


 ライカはそう言った。


「そうか……。僕は、前の魔王の尻拭いで大変だけどな」


 ソイツのせいで、どれだけ損な役目を押し付けられたか。


 もしまだ、南方に魔王が健在なのであれば、せめて一言文句を言ってやりたいところだ。


 そんな会話を終えて、僕たちは夕食の後に床についた。



 

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