第55話 樹海の仙人
口の中がくすぐったい。
心地よい微睡みの中、唇に柔らかな感触が伝わる。
うねうねと柔らかな何かが僕の舌の裏を撫でている。
──目が醒めた。
目の前に、目をつぶった美少女の顔がある。
「あらあら、もうお目覚めですか?」
僕から顔を離して、ペロリと薄紅色の唇を舐めたミリアが片目を閉じて言う。
僕がハティナのためにとっておいた、なけなしのファーストキスが、簒奪された瞬間だった。
しかも、深めの感じのやつだ。
大人な感じのアレだ。
うわああああああああ!
嘘だああああああああ!
よりによってミリアだなんて!
よりによってミリアだなんて?
よりによってミリアだなんて‼︎
「……なにやってんだよ!」
「いえ、人工呼吸ですわ」
舌を入れんじゃねええええええええ!
ありえねえ!
この変態野郎!!
僕はひとしきり唸った後に、よし、忘れよう。
と気持ちを切り替えた。
所詮は粘膜接触。
大したことじゃあない!
そう決めた!
今決めた!
「どうやら、だいぶ流されてしまったみたいですわね」
ミリアが僕を見て言う。
僕とミリアは崖底に流れる川にダイブして、そのまま下流まで流されたらしい。
流れは早かったが、偶然にも岩の隙間に引っかかり、それをミリアが引き揚げたらしい。
しかし、状況は良くない。
完全に逸れてしまったのだ。
しかも寝込みを襲ってくるような変態美少女と二人きりで。
僕たちはとにかく川に沿って上流まで歩くことにした。
しかし、歩みは遅々としたものだった。
ローブや制服が濡れて重さを増し、僕たちの歩みを遅くしたのだ。
「ミリア、ここが何処かわかる?」
「申し訳ありません、ご主人様。私にはさっぱりです」
「だよなあ」
僕たちが川沿いを歩いていると、目の前にあった1メートルほどの大きさの岩が急に動き出した。
僕が心底びっくりして後ろに飛び退くと、動き出した岩はくるりと回転してこちらを向いた。
影になってよく見えないが、岩の隙間に光る目玉が二つある。
まるで、岩を背負った蟹のような魔物だった。
同じく岩でできたようなハサミをカチカチと鳴らしてこちらに迫ってくる。
「まあ! ロッククラブですわ! なんて可愛らしい!」
「魔物か! 魔物なんだな? 魔物なんだよな⁉︎」
僕は突如目の前に現れた岩の蟹にヒノキオを向けて
僕のワンドから飛び出した雷閃がロッククラブの目玉に当たった。
ロッククラブはカラカラと変な音を出しながら苦しんでいる。
僕は
三度目の
ひっくり返って動かなくなった魔物は、真っ黒な塵になって消えた。
よく見ると、魔物のいた場所に蟹のハサミのような物が残っている。
「ロッククラブは討伐すると岩の鋏を残しますわ。私、初めて拝見しました」
ミリアが、両手で岩のハサミを持ち上げた。
「え……まさか、持ってかえるの?」
「ダメでしょうか? ロッククラブの鋏はそこそこの値段になると聞きましたが」
しかし、遭難中にこんな大きな鋏を持っては無駄に体力を消耗する。
僕はミリアに捨てるように言って、再び歩みを進めた。
目に入る岩の全てが魔物に見える。
魔物ノイローゼになりそうだ。
「あらあら? ご主人様? あの子ったら、私たちを諦めきれないみたいですわね!」
楽しそうに言うミリアの目線の先に、ギガントマンイーターがいた。
川沿いの先、30メートル程先で蔓をうねらせている。
岩ばかりに気を取られていて、全く気付がなかった。
「逃げるんだよ馬鹿!」
僕はしげしげとギガントマンイーターを眺めるミリアの手を握って走り出した。
また森のほうに逃げる。
背後からは木々が倒れる音がする。
追いかけてきている。
その時、ミリアが木の根に躓いて転んだ。
僕は咄嗟にギガントマンイーターとミリアの間に立ち塞がって、
その時、背後からは僕の
ギガントマンイーターは叫び声を上げて、くるりと踵を返して逃げて行った。
「ほーん? ボウズたち、迷子かー?」
雷魔法を撃った本人だろうか。
少しだけ黒髪の混ざった長い白髪を後ろに結び、同じような色合いの長い顎髭をはやした老人が言った。
まるで仙人のような出立で、老人は不思議そうに僕とミリアを眺めている。
僕にはその老人が、天の助けのように思えた。
「迷子です! 助けてください!」
僕は叫ぶ。
「ほーん。じゃ、うち来なよ。もうすぐ日が沈むんじゃぜ」
そんなことを言って、老人はトコトコと歩き始めた。
転んでいたミリアを起こして、僕たちは老人の後に付いて行った。
老人はヘルベルトと名乗った。
老人の家は、樹海の中にひっそりと建つあばら屋だ。
なぜこんな場所に住んでいるのか。
なぜあんな魔法を使えるのか。
聞きたいことは山ほどあったが、老人は僕たちを見ることなくあばら屋に入って行った。
あばら屋の奥から「はよ入れー」なんて声が聞こえて、僕とミリアはお邪魔することにした。
「まあ、何もないとこだけど寛いでいいんじゃぜ?」
ヘルベルトはそう言って、欠けたコップにお茶を入れて僕たちの前に置いた。
「あの、ここは何処なんです? 僕たち、街道に出たいのですけど」
僕がそう聞くと、ヘルベルトは含みのある目で僕を見た後、口を開いた。
「ほーん? ボウズたち、学園の生徒じゃろ? 何でこんなところにいんの?」
「演武祭に出るために、帝国に行く途中なんです」
「ほーん。演武祭、今年は帝国なんかー。俺の時は、王国じゃったぜ」
「え? 俺の時って? お爺さん、演武祭に出たことがあるんですか?」
確かに、あれほどの雷魔法の使い手だ。
帝国か王国の代表になっていてもおかしくはない。
「ほりゃそうじゃぜ。俺、魔導の天才じゃもん」
口調がコレだからだろうか。
なんだか胡散臭い。
いや、魔法はすごかったんだけども。
「明日になったら、街道まで案内していただけますか?」
「ほーん。そりゃ良いけど、お前ら死ぬんじゃぜ? あのギガントマンイーター倒せんじゃろ?」
「え? でも、お爺さんいたら追い払えますよね?」
「うん。 追い払えるんじゃぜ」
「え? じゃあ……」
「ほーん? 何で俺がそこまでせにゃならんのじゃぜ?」
「え?」
「え?」
助けてくれても良いじゃないか。
僕はすっとぼけている爺さんを見て思った。
このジジイ、ぶっ飛ばしてもいいかなあ?
らちが明かないので、その日は仕方なくミリアの隣で眠りについた。
そして朝、目を覚ますとミリアと爺さんがいない。
僕は少しだけミリアが心配になってあばら屋から出ると、そこにはお爺さんに薪割りを手伝わされるミリアがいた。
「そうそう。いい感じじゃぜ。もっと腰を使うんじゃぜ」
「こ、こうですか?」
必死にナタを振るミリアは額を汗で滲ませている。
「ほーん? ボウズ、起きたか」
「は、はい。昨日はお世話になりました。あの、街道への道を聞きたいんですけど……」
「ほーん。いいけど、ボウズ、絶対に死ぬと思うんじゃぜ?」
「あの、助けてもらえませんか? どうしても、街道に行かないといけないんです」
「ほーん……」
ヘルベルト爺さんは何かを考えてから言った。
「ボウズ、名前なに?」
「シャルル……です」
グリムリープの名前を出そうかと思ったが、ヘルベルト爺さんが帝国民かもしれないのでやめた。
樹海は王国と帝国、両者が領有権を主張しているグレーゾーンだ。
もしかすると、帝国領側まで流されているかもしれない。
「ほーん。じゃ、俺に勝てたらいいんじゃぜ?」
「勝てたら?」
この爺さんに勝てるくらいなら、ギガントマンイーターも倒せるんじゃないだろうか。
何か釈然としない気持ちになる。
「俺とボウズで勝負するんじゃぜ。一対一の魔法合戦じゃぜ」
ミリアが心配そうに僕を見ている。
とりあえず、ダメ元でやるしかないか。
そう考えて、僕はヒノキオを抜いた。
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