第50話 温水洗浄便座
決勝戦で、僕の友達になる予定だったベネシー君を圧殺したミリアは、まるでお手をした後にエサをねだる犬のような顔で観客席に戻って来た。
ベネシー君を失ったことで、僕のテンションは地の底に落ちた。
「ご主人様! 異端者を一人誅殺いたしましたわ! ああ! 次はご主人様の戦いですわね! 私、もう興奮で胸がはち切れそうで! まさか私を賭けてご主人様が戦って──」
ミリアはうだうだと何かをまくし立てていたが、僕には何も耳に入ってこないし、何も言う気力がない。
……ああ、そうだ。
……次は僕の出番だ。
そう思って僕は席を立つ。
「シャルルー! 頑張ってね!」
イズリーが天使の笑顔でそう言ってくれた。
僕のライフは少しだけ回復する。
「……ああ、頑張ってくる」
僕がそう言って中央のリングに向かおうとすると、ハティナは僕の顔をジッと見て、こくりと頷いた。
そうだな。
ここで僕だけ負けたらヤバい。
恥ずかしいなんてものじゃないぞ。
不登校になりそうだ。
まあ、学校に住んでるんだけど。
そうしてリングの中央に立つと、目の前の対戦相手の少年が不敵な笑みを浮かべている。
『魔王が出てきたぞ!』
『コウモリは早く死んでくださーい!』
『ふ抜けた顔をしやがって! ヨユーこいてるつもりか!』
『死ね! とりあえず死ね!』
『双媛と天才を返せ! このちび助!』
会場は僕へのブーイングで沸いている。
う……うぜぇ。
「──始め!」
勝負が始まったので
「我こそは! 学園きっての俊才! 空前絶後の超魔力──」
このままぶち込んでやろうかと思ったけどやめた。
そんなことしたら、僕のなけなしの好感度は今度こそ地に落ちる。
もしも、もしもだ。
考えたくもないが、イズリーやハティナにまで嫌われてしまったら、僕は何を生きがいに余生を送れば良いんだ。
そんなのはもう、地獄と変わらないじゃないか。
「──インだ! いざ! 尋常に勝負!」
そんなことを考えていたら、対戦相手の名乗りが終わってしまった。
しかも、あろうことか彼は、さながら『俺には才能がある! 温めているシナリオもある! 本気になれば漫画界のトップだ! そしてゆくゆくはアニメ化! 映画化! ゲーム化! そしてビッグになって、処女で十代でゆるふわ系隠れ巨乳の読モと結婚して青山に豪邸建ててカイエン乗り回して一生、印税生活だ! だが絵の練習は明日から始める。今はまだ早い。まだ構想を練る段階だ。時代が俺の作品の良さを理解するまでには追いついていないからな! よし! そうと決まれば想像力を鍛えるために今朝、南米の密林みたいな名前のネットショップから届いたばかりのこのゲームだ!』などと夢見る四十代無職子供部屋おじさんの妄想の中に出てくるクソしょーもないヒーローのようなポーズで僕の名乗りを待っている。
まあ、聞いてなかったものは仕方ない。
もう一度聞こう。
「……あのう」
「む? 何だ。 降参かな?」
「いえ、もう一度お名前聞いてもよろしいですか?」
「……は?」
「あ、いえ、聞いてなかったわけじゃないんです。ただ、この歓声でよく聞こえなくて」
「聞こえないも何も知っているだろう!」
……は?
何言ってんだコイツ?
名乗りが聞こえてなかったんだから君の名前を僕が知っているわけがないじゃん。
よくわからない人だなぁ。
「いや、ですから、空前絶後の超魔力までは聞こえたんですけどその後が聞こえなくて」
「空前絶後の超魔力は今初めて言った情報だ! 名前は知っているだろう!」
だーかーらー!
その名前の部分を知らないんだよ!
なんで頑なに名前を教えてくれないんだ!
知らないから聞いてるのにわからない人だなあ!
「まさか……忘れたのか?」
僕の表情を見て、何かに驚いたように少年が言う。
「はあ? 忘れたとかじゃなくて、そもそも聞こえなかったんです! 聞こえなかったんだから、忘れるも何もないでしょう?」
「……朝」
それだけ言って少年は力なく項垂れた。
……朝。
朝……何だ?
朝という名前か?
変わった名前だなあ。
でも、そんな変わった名前ならそう何度も名乗りたくないか。
なんだか悪いことしたなあ。
そりゃそうだよ。
子供なんて、親も名前も選べないんだから。
少しだけ特殊な名前を捕まえてそれを揶揄するなんてもっての他だ。
そこを無理矢理に名乗らせようなんて、僕も流石に悪かったな。
キラキラネームを背負って生まれてしまった人に何度も何度も名前を聞くようなものだ。
さすがにこればかりは僕が悪い。
反論の余地なしだ。
「いや、すみません。そんなつもりじゃなかったんです」
「思い出したか!」
朝君は急に顔を上げて言った。
ビックリしたなあ。
しかし急に元気になったな。
だから、思い出すも何もないんだよなあ。
そもそもこっちは知らないって言ってんだからさ。
わけわかんねー。
「いや、ですから、名前はもういいです。僕も無理矢理聞いてすみません。早く始めましょうか」
「待て待て待て! 思い出したわけじゃないのか? 忘れてるのも驚きだが、そのまま始めても仕方ないだろ!」
何なんだコイツ。
何が仕方ないんだ。
はっきり言うが君の名前なんてこっちは本来どうでもいいんだよ。
全く、どうしたいんだよ。
僕が何か間違ってるのか?
僕はそう思って観客席のハティナとイズリーの方を見た。
イズリーが飛び跳ねて応援している横で、ハティナが何かを指差した。
その方向には、祈りのポーズで恍惚の表情を浮かべるミリアがいる。
ん?
なぜこのタイミングで?
いや、でもハティナがそんな、ましてやミリアを指差すなんて無駄なことはしないはずだ。
……はて。
やはり僕が何か忘れているのかもしれない。
目の前の朝君は何かをしきりに待っているように僕を見ている。
……朝君?
……朝。
そういえば、今朝、わけわからんヤツに絡まれて──
「──あ!」
「思い出したか⁉︎」
「ウォシュレット君!」
僕はウォシュレット君を指差して叫んだ。
「ウォシュレットじゃあない! 僕の名前はウォシュレ──」
あー!
思い出したぞ!
そうだ!
そうだよ、何で忘れてたんだろ。
すげー!
これがド忘れってやつか!
初めて体験した!
そうだよ。
彼はウォシュレット君だ!
でも、なんでミリア?
……ミリア。
ダメだ。
思い出せない。
だが、彼がウォシュレット君であることは思い出した!
今ならまだ間に合う。
何とか誤魔化せるはず!
「ごほん」
ウォシュレット君が何だか騒いでいたが、僕は一度咳払いをして仕切り直す。
「もちろん覚えていたさ! さあ! 勝負だ! ウォシュレット君!」
「ふんぎー! 何なんだ君は! 何なんだ君はあ!」
ウォシュレット君は何故か怒ってしまっている。
彼はそのまま、水の刃を撃ってきた。
水場のないリングで水魔法は相当な練度がなければ使えないだろうが、スキルなら別だ。
しかし、いきなりかよ!
マジでわけわかんねー!
何だか本当に腹が立ってきたぞ!
僕だけ負けたらなんて思ってビビっていたけど、何で僕がこんな目に合わなければいけないんだ!
理不尽だ!
僕は自分が理不尽を振りかざすのは大好きだけど、相手から理不尽なことをされるのは大嫌いなんだ!
僕はそんなことを考えながら水の魔法を
「ふんぎぃー! 殺す殺す殺す!」
ウォシュレット君はさながら暴走して周囲を水浸しにするトイレのウォシュレット機能のように攻撃スキルの
僕の
身体に激痛が走るが、
イズリーと練習したことで、力の制御は慣れてきていた。魔法の熟練度が上がったんだろう。
リングの周囲はウォシュレット君のせいで水浸しだ。
すると、ウォシュレット君が何かに気付いたように僕の足元を見る。
「何か落としたぞ」
……罠か?
そう思ってウォシュレット君を警戒しながら足元を見ると、包紙が落ちていた。
さっきミリアに渡されたものだ。
「……待ってやるから、拾いたまえ」
……え?
いいやつじゃん。
罠じゃないよね?
疑いながらも包紙を持ち上げると、水で紙が溶けてしまったのだろう、紙が破れて中から白い布がポトリと落ちた。
リングに落ちたその布を、僕が摘んで持ち上げる。
「何だそれは?」
興味深そうにウォシュレット君が尋ねる。
僕が丸く折り畳まれた布を開くと、それは女性物の下着だった。
いわゆる、俗に言うパンティというやつだ。
「あ、これ、さっきミリアから貰ったやつ……」
僕がそう呟くと、ウォシュレット君は先ほどの怒りを遥かに超越するほどの憤怒を露わにした。
「おんぎゃあー! もう許さん! 死ね死ね死ね死ね!」
僕は再び水刃の嵐に晒された。
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