第49話 天才の狂信

 ハティナの勝利が宣言された後も、会場は静寂に包まれたままだ。


 時折、女子生徒のすすり泣く声が聞こえてくる。


 まるで、そう、地獄絵図。


 ハティナは何でもないかのように、地に伏すクリスさんを一瞥することもなく、リングを後にした。



「おめでとう。ハティナ」


 戻ってきたハティナに僕が一番に声をかけた。


 僕の周りの皆は恐ろしいものを見るかのように若干、引き気味だ。


「……あのくらいヨユー」


 いつも通りのテンションでハティナが答える。


「は、ハティナお姉ちゃ……ハティナお姉さま、おめでとうですよ」


 グエノラは今にも泣き出しそうだ。


「ハティナ、まだおこってる?」


 イズリーがおずおずと訪ねる。


「……少しすっきりした。……今なら、私のとっておいたマカロンを食べたことを許しても──」


「ごめんなさい」


 イズリーが食い気味に謝り、腰を九十度に曲げて頭を下げる。


 イズリーよ。

 こんな怖いお姉さまからマカロンをつまみ食いするとは、君はバカか?


 ……バカだったな君は。


 ハティナは宣言通りに魔法無しで同じSクラスのクリスさんを殺して……いや、倒してしまった。


 イズリーが喧嘩で勝ったことが無いと言ったのは、本当に腕力での話なのかも知れない。


 ハティナは走るのは苦手だが、腕力で言えばイズリーよりも遥かに上だろうから。


 当然、僕は本人にそんな恐ろしいことを聞く勇気はないが、あのとんでもない握力を見る限り、そうなのだろうと考えた。


 しかし、それとは別で疑問がある。


「ハティちゃん。何でクリスさんがどこにいるか分かったの?」


 ミカが僕の代わりに聞いてくれた。


 みんなそれが気になっていたのだろう。


「……透遁ミラージュは姿を消す魔法。……でも足音や衣摺れや体内魔力の気配は消せない」


 すご……すぎんだろ。


 僕の観ている位置は確かにリングから遠かった。

 でも、そんな気配なんてものは全然感じることが出来なかった。


 やはり、ハティナも化け物クラスの強さなのだろう。


 いや、ここで使った化け物は比喩表現であり、必ずしも天使のように美しいハティナを化け物扱いしたわけではない。


 その点に関しては絶対に誤解しないでもらいたい。


 本当だぞ!

 神に誓って!


 僕はなぜか心の中でそんな風に言い訳をするが、あの気怠げな『神』を思い出して、あんなやつに誓ってもなあ。なんてことを考えた。


「ご主人様!」


 下着を替えるとどこかに行っていたミリアが今さらになって帰ってきた。


「あらあら? なんだか皆さまのテンションがとても低いではありませんか? もしかして、ハティナさんが敗北を喫したとか? あらあら、まあまあ。でもハティナさん、落ち込んではいけませんわ。所詮、貴女の実力がその程度だっただけのお話ですわ。そして、ご心配なさらないで下さいな。帝国でのご主人様のお世話は、このミリアに万事お任せ下さいまし! ……ぐふふ」


 このタイミングでハティナにこんな口を聞けるのは、どこを探してもミリアだけだろう。


 コイツ、ハティナの試合観てなかったものな。


 ……観てても同じようなことを言いそうなのが怖いが。


「……わたしは当然勝った。……次はあなたが負ける番」


 ミリアの登場に、ものすごーく嫌な顔をしたハティナが言う。


「なんで私が負けることになっているのです⁉︎ しかし、そうですかクリスが負けましたか。あの方はご主人様を軽んじておられましたから、私が粛正しようと思ってましたのに」


「……だから、わたしが粛清した」


「あらあら、本当はクリスがハティナさんを叩き潰し、私がクリスを誅殺するのがベストだったのですけれど、まあいいですわ。手間が省けたと思うことにいたしましょう」


「……あの程度では刺客にもならない。……次からは、大型の魔物でも用意するべき」


 どんな恐ろしい会話だ。


 どうでもいいが、君たちのせいで僕の好感度は甲羅を背負った爬虫類みたいな名前の兄弟プロボクサーのような状態なのだ。

 

 そこだけはどうか分かって欲しい。


 

「では、ご主人様。私、行って参りますわ」


 そう言って、ミリアはリングに向かって優雅に歩いて行った。


 彼女は僕に「これを私だと思って持っていて下さいまし。私、いつでもご主人様のお側におりますわ」と言って何やら丁寧な包紙にくるまれたものを渡していったが、コレは何なのだろうか?


 お守り的な何かだろうか?

 何となく、開けたくない。


「ミリア・ワンスブルー、ベネシー・イングドール、両者前へ──始め!」


 ミリアの試合が始まった。


 相手の男子学生のベネシーはいきなり火魔法を撃ち込む。


 それを、ミリアの聖天の氷壁ヘイルミュラーが自動で発動して打ち消した。


「あらあら、まあまあ、早い男性はモテませんわよ?」


 ミリアがその美しい顔の口元を歪ませて言う。


「くそ、火魔法すら防ぐのかよ!」


「暫しお待ち下さいませ。私、お祈りの時間ですので」


 ミリアはそう言って、試合中にも関わらず跪いて天に両手を掲げる。


 まるで、神々から天啓を受ける聖女のように。


「ご主人様! 魔王様! 世に遍く全ての魔導を束ねし御方よ! 迷える仔羊に救済を! 弱き魂に福音を! 身も心も魂も! 御身に全てを捧げます!」


 ……最悪だ。

 やめろと言うのを忘れていた。


 すると、そのミリアの祈りに追従するように、観客席からポツポツと同じ祈りの言葉が聞こえてきた。


 いつの間にか信者増やしてんじゃねえええええ!!


 横で同じく手を頭上に掲げようとしていたキンドレーと目が合う。


 ……わかってるよな?


 僕が目で問いかけると、彼はすごすごと手を下ろした。


「あれ、カッコいいよねえ。あたしも今度ミリアちゃんに教えてもらおー」


 イズリーがそんなことを言っている。


 変なこと教わるんじゃありません!

 全く、ミリアのやつめ!

 僕の天使に悪影響を及ぼさないでいただきたい!



『また祈ってるぞ』

『本当に何様のつもりだよコウモリの野郎』

『自分が神だとでも言いたいのかね?』

『自惚れもあそこまでいくとドン引きだな』

『ミリア様をあんな風にしやがって!』

『死ねよ魔王! てか生まれてくんなよ!』

『でも、あの宗教に入ると不良に絡まれなくなるらしいよ』

『マジで? それならまあ、アリか?』

『いやいや正気か? 魔王なんかより不良の方が圧倒的に優しいだろ』

『た、確かに言えてる』

『やっぱ魔王ってクソだな』

『アイツは人の皮被った魔物らしいぞ。俺の友達の兄貴の友達の妹が魔物になるとこ見たらしい』

『マジかよ。アイツなら何も不思議じゃねーな』

『傭兵ギルドが討伐してくれねーかな』

『ウチの親父がギルドの職員だぞ! 今度頼んでみるか!』



 ……も、もうやめてくれ。もう限界だ。


 僕のライフはとっくにゼロだ。


 ミリアは一通りの祈りを終えて、自分の相手に向き合う。


「貴方は、魔王様を信仰なさっておられないのですね」


 そんなことを言った。


「は? いきなりなんだ? 信仰?」


 相手の学生は戸惑った様子だ。


「ご主人様は本当に素晴らしく、尊いお方ですわ。貴方も、魔王様の御威光に触れてみればわかります。まるで雷に打たれるかのような衝撃を受けるはずですわ」


 いやいやいや。

 なぜそうなる?

 君が受けた雷のような衝撃は、実際に僕の電撃だっただろう。


「へっ! 魔王か。アイツのどこを気に入ったか知らんが、所詮、俺らと同じ人間だろ? だったら、そこまで崇拝する意味がわからねーよ。馬鹿なんじゃねーの?」


 ……お。

 おお。

 おおお!

 良いこと言ったぞ!

 名前なんだっけ?

 ヘルシー? ヘネシー? じゃなくて、えーと、そう、ベネシー君!

 僕をちゃんと人間扱いしてくれるなんて!

 君とは良い関係を築けそうだ!

 是非、選抜に残ってくれ!

 そして僕と友達になろうじゃないか!

 


「……あぁ?」


 ……ん?


 今の声、ミリアか?

 ずいぶんドスの効いた声だったが……。


「……言うに事欠いてご主人様を、魔王様を、ただの人間だと? ……その不敬! 万死に値する! この下郎めがあああ!!」


 いつもの丁寧な口調とは一転して、どこから出しているのか恐ろしげな声でミリアが叫ぶ。


 それと同時に、ミリアの頭上に直径5メートル程の氷塊が現れた。


 おいおい……。

 おいおい! 

 ちょっと待て!


 僕と戦った時だってそんな馬鹿みたいな規模の魔法使わなかったじゃないか!


 ベネシー君を殺す気か?


 やめるんだ!

 ベネシー君は僕と友達に──


 ミリアはそのまま氷塊をベネシー君にぶつけた。


 氷塊はベネシー君に直撃して砕け散る。

 氷が雲散霧消した跡には、うつ伏せで気絶したベネシー君だけが残されている。


 ベネシーくーーーん!!


 僕は心の中で叫んだ。

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