第47話 暴姫の酩酊

 モノロイはすぐに医務室へと運ばれた。

 医務室にはこの大会のために有能な神官が控えている。


 大事には至らないだろう。


 イーガーが「一生ついていくっす!」と泣き叫びながら、運ばれていくモノロイについて医務室に向かった。


 そして、モノロイ戦での興奮冷めやらぬまま、イズリーの試合になった。


 試合前、イズリーは涙を拭ってパチンと両手で自分の頬を叩いた。


「あたしは……弱い!」


 僕は、何も言わずに頷く。


「あたしは…バカだ!」


 またイズリーが両の頬を叩く。


「あたしは……今日!」


 そしてもう一度頬を叩き、金色の瞳に覚悟を灯して言葉を続けた。


「……変わる!」


 僕は確信した。

 イズリーは、もう大丈夫だ。


 あれこれ心配したけど、今のイズリーなら大丈夫。


 モノロイの闘志にあてられたのだろう。


 静かな闘争心を内に秘め、表情は凛としている。

 

 彼女の目に涙はない。


 まるで、一気に大人になってしまったかのような表情だ。


 僕は少し寂しく、そして、とても嬉しく思った。


 殺気はまるで感じない。

 彼女の心は、これから始まる自分の試合にのみ向き合っている。


 凄まじい集中力で。


 今のイズリーは僕より遥かに強いだろう。


 まるで底が見えないのだ。

 いつものイズリーにある『隙』のようなものが見えない。


 体内魔力は凪のように落ち着き払い、その瞳は水面のように眼前の敵だけを映している。


 イズリーの試合が始まった。


 相手の学生はカーメル・ハーメルン。


 目元まで隠した長い癖毛が、見る人に気怠げなイメージを植え付ける。


 彼からは魔力を感じない。

 

 その事実に、僕は戦慄した。


 僕たち魔導師は、魔力の気配を感じることが出来る。


 それは、生まれつき備わった一種の防衛本能のように、何となくわかるのだ。


 それを、彼からは感じない。


 彼が一般人なら何の違和感もないだろう。

 だが、場所が問題なのだ。


 ここは、魔導学園。


 王国中の魔導師の雛達、それも、麒麟児や神童達が通うような場所だ。


 彼はどう見ても、その辺の雑魚とは違う不気味さを漂わせている。



「イズリー・トークディア、カーメル・ハーメルン、両者前へ。──始め」


 試合が始まった。


「ぶっ殺ーす! ぎゃくさつだー!」


 勢いよくイズリーは叫び、しかしジッとカーメルを睨みつける。


 イズリーはアホだ。

 だが、彼女は動物的な勘を持っている。


 特に、相手の力量を見抜く勘の鋭さは筆舌に尽くしがたい。


 ミリアとハティナの争いに「はわわ」などと怯えたリアクションを取るのもそのせいだろう。


 彼女は本能的に、相手と自分の力量を測っている。


 今、彼女は何を感じているのか。

 おそらく、僕と同じだろう。

 不気味。

 異様。

 奇怪。

 

 そんな気配を敏感に感じ取り、イズリーは自分の戦う相手が何者なのかをじっくりと見定めているのだ。


「来ないの? 君はかなり好戦的って聞いていたけど?」


 カーメルがイズリーに問いかけた。


「……」


 イズリーは答えない。


「なら、こっちから行くよ」


 カーメルはすっと、自然な動作で右手を振った。


 リングに打撲音がこだます。


 イズリーが後方に吹き飛ばされたのだ。


 何が起きたのかわからなかった。

 当然、魔力も感じない。


 イズリーが殴られた?

 その事実が僕の至福の暴魔トリガーハッピーを目醒めさせる。

 

 イズリーはそのままリングの端まで吹き飛ばされ、背中から地面に落ちていく。


 カーメルが勝利を確信したように、リングを去ろうとし始めた。


 その時、まるで猫のように身を翻して、イズリーが両足を地面につく。


 イズリーは未だにジッとカーメルを見ている。


 会場に響めきが湧いた。


『何が起きた?』

『いきなり暴姫が後ろに飛んだけど』

『攻撃? でも、魔力を感じなかったよ?』


「へえ。話に聞いてた通り、やるじゃん」


「……」


「でも、たぶん、俺にはまだ勝てないよ」


「……」


「やるんだね? 女の子をいたぶる趣味はないけど、降参しないなら仕方ないよね?」


「……」


 イズリーは答えない。

 口元から垂れた血を、静かに拭うだけ。


 カーメルが再び右手を振る。

 あの技か!


 その瞬間、イズリーが隕墜石礫メシーバレッジ を唱えた。


 イズリーの眼前から飛び出していく無数の石礫。

 その中心の幾つかが、おかしな軌道を描いた。

 何かにぶつかって跳ねるように、ランダムな起動を描いたのだ。


 イズリーのコントロールのせいじゃない。


 確実に、カーメルが何かの攻撃を飛ばし、それにぶつかって跳ねたのだ。



 イズリーは流れるような動作で半歩横に移動した。

 結果的に、彼女が吹き飛ばされることはなかった。


「へえ。でも、マグレで調子にのるなよ? お嬢さん」


「何となくわかった! もうその技、あたしには効かないよー!」


 イズリーは何かが腑に落ちた様子でそう答えた。


 会場に破れんばかりの歓声が響く。


『暴姫が避けたっぽいぞ!』

『何が起こってるのかわかんねーけど、すげーぞ!』

『イズリーちゃん! 頑張ってー!』


「楽にやろーと思ってたけど、本気出すわ」


 そう言った後にカーメルはファイティングポーズをとるように構えた。


 彼も魔戦士のようだ。


 奇しくも、魔戦士同士の近接戦になったわけだ。

 カーメルのスキルは謎だが、イズリーはその本質を見抜いているのだろうか?


 イズリーも構えをとった。

 右手右足を前に出して、左半身を隠すようにする。

 僕が教えた、ジークンドーの構えだ。

 

 いや、僕も悪ふざけが過ぎたけどさ、前の試合のブレーンバスターもそうだが、こんな素人に教わった、なんちゃって格闘技を実戦で使わないで欲しい。


 イズリーは迷いなく法衣の纏雷ニューロクロスを発動する。

 

 カーメルとイズリーが同時に接近して肉弾戦が始まる。


 カーメルはボクサーのようにイズリーに左右の拳を繰り出す。


 イズリーはそれを受け流し、カウンターを入れようとするが躱される。


 隙をつくようにカーメルの回し蹴りがイズリーに迫る。


 イズリーはそれをスウェーして躱し、三歩ほど後退して相手に正体した。


 法衣の纏雷ニューロクロス状態のイズリーと素で渡り合うとは恐れ入った。


 カーメルは本当に強い。


「俺と接近戦でここまでヤレるなんて驚き──」


 言葉が終わる前に、不意打ち気味にカーメルが右手を振る。


 イズリーはピボットを踏むように半身だけ後ろに下げる。


 やはりイズリーが吹き飛ぶことはない。


 彼女は本当に彼の攻撃を見切ってしまっているらしい。

 こっちは未だにタネも仕掛けもわからないってのに。


「……うーん。あ、そーだ! アレやろ!」


 何かを閃いたような顔をして、イズリーは全身から力を抜くようにダラリと両手と頭を下げる。

 

 そうして、イズリーは法衣の纏雷ニューロクロス状態のまま脱力する。


 さらに、フラフラと千鳥脚を始めた。

 イズリーの肩まで伸ばした金髪が左右に揺れる。


 ……あいつ。

 ……まさか。

 僕に言い知れぬ不安が過ぎる。


 そのまま、フラフラとカーメルに近づいていく。

 カーメルが一瞬だけ不思議そうに首を傾げ、すぐにイズリーを殴りつける。


 イズリーはゆらりとした動きでそれを躱す。


 カーメルはそのまま連続で攻撃を仕掛ける。

 パンチとキックの連続だが、全てイズリーに紙一重のところで躱される。


 イズリーは落ち葉が舞い散るような動きでカーメルの攻撃を捌ききる。


 さらに彼女は、脱力したまま踊るようにカーメルの攻撃を躱し続け、そのまま流れる動作で一瞬の隙をついて腰を落とし、彼の腹部を肘で強打した。


 カーメルは後方に吹き飛ばされたが転ぶことはなかった。

 彼は心底驚いたような表情をしている。


「げほっ。なんだ、その技」


「ういー……。ひっく。こーれはー酔拳でーすーよー」

 

 カーメルの問いに、酔っ払いのようにふらつきながらイズリーが答えると、会場は爆笑と歓声に包まれる。


『うおー! 何だあの動き!』

『はははは! 何だあれ!』

『酔っ払いみたいな動きであの攻撃全部よけたぞ!』

『ありえねえ! 可愛すぎるぜ!』

『尊い! あんた尊すぎるよ! イズリーさん!』

『な、なんて可愛いらしい動きなの!』

『ああ! 今すぐ保護して差し上げたい!』

 

 イズリー。

 確かに僕は酔拳を教えたよ。

 酔っ払いのような動きで相手の技を華麗に避ける技があると。


 だけどさ、果たしてその酔っ払いの演技は必要なのだろうか。


 僕は一人で頭を抱えた。


 カーメルが右手を振る。


 見えない衝撃が飛ぶ。


 イズリーは、ひらりと身を翻して躱し、一足飛びにカーメルの懐に入り込む。


 そのイズリーの動きを狙っていたのだろうか。


 カーメルの右足がイズリーを襲う。


 ──がしっ


 と、イズリーが左手でカーメルの蹴り足を掴んだ。


「……ひっく。おーしまーいでーす。……ひっく」


 イズリーはそう言って、彼の右足を掴んだまま、蹴り足の下に潜り込むように身体を回転させながらカーメルを投げた。


 ドラゴンスクリュー。

 プロレスの投げ技だ。

 すまん。

 これも僕が教えた。

 今ではちゃんと反省している。


 イズリーは回転しながらカーメルを投げた後、しっかりと着地した。


「ぎゃあああああ!」


 カーメルの悲鳴が響く。


 リングに転がる彼は膝を押さえて痛みに泣いている。


 イズリーに掴まれていた彼の右膝が、あらぬ方向に曲がっている。


 観客は先程とは一転して恐怖の叫びを上げた。


 イズリーは、とても良い笑顔で天に拳を突き上げる。


 僕は誰にも聞こえないように『YOU WIN』と呟いた。

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