第46話 鉄人の受難

 モノロイは依然として魔法をその身に受け続ける。


 全身には切り傷と打撲痕。

 いくら魔法の効力を下げる魔道具でも、その力はたかが知れる。


 彼の大きなサイズの制服は、すでにボロボロになっている。

 上半身などは半裸状態だし、ズボンも穴だらけだ。

 鍛え抜かれた肉体が露わになるが、僕はフルチンだけは勘弁だぞと、いらぬ心配をしてしまう。

 

 一瞬、魔法の嵐が止む。

 アナベルさんは肩で息をしながら、忌々しそうな顔でモノロイを見ている。


会場はブーイングの嵐だ。


『ふざけた真似してんじゃねー!』

『ドMか! てめーは!』

『とっとと攻めやがれ!』

『まったくだ! クソつまんねーもん見せやがって!』

『やる気ねーなら帰れよモノロイ!』

『これだったら、ピーガーが勝ってた方が面白かったじゃねーか!』


 そんな罵詈雑言など耳に入っていないように、モノロイは頭部を両腕で守りながら、一歩、前に出た。


 アナベルさんは慌てたように魔法の連打を再開してモノロイの遅々とした歩みを止める。


 また戦況は元の木阿弥になり、ひたすらモノロイが耐える。


 ミキュロスの情報によれば、アナベルさんは魔術師のジョブを持っている。


 魔術師の恐ろしいところはその術の多彩さだ。

 魔戦士や魔導師よりも多くの魔法を行使できる。


 呪文を唱えれば魔力適性のある人間なら誰でも使えるのが魔法。


 では魔術師が多彩な魔法を行使でき、魔戦士は使える魔法の数が少ないのはどういうわけか。


 これは学園の授業で習ったのだが、要は熟練度の向上速度が鍵らしい。


 少ない鍛錬で魔法の熟練度がすぐに上がるのが魔術師としての特性の本質だ。


 逆に、魔戦士は熟練度が上がるのがとても遅い。それ故に熟練度を上げる魔法の種類を絞る必要がある。


 ジョブとしての魔導師はその中間に位置するわけだ。


 この話を聞いて、僕は出会ってすぐの頃のイズリーが、的当てに苦労していたことを思い出した。


 モノロイもそうだ。

 魔戦士であるモノロイは、元々熟練度が上がりにくいのだ。


 しかし魔戦士はハズレのジョブでは決してない。


 魔戦士は、その魔力を運動能力や身体能力に還元できるのだ。さらに魔法の威力に関しては、三つのジョブで最も上がりやすい。


 低い熟練度でも強い魔法が撃てるのだ。

 

 一対一の戦闘において、自身の身体能力にアドバンテージを得る。


 これが弱いわけがない。


 モノロイは生粋の魔戦士。


 イズリーのように、その生まれ持ったセンスで、ある程度の魔法もこなす天才とは違い、モノロイは魔法の才能に乏しいがその肉体は日々の研鑽で磨き上げられている。

 

 モノロイは、決して弱くない。


 アナベルの猛攻が再び止み、彼女は膝に手をついて息を上げている。

 モノロイは再び歩み始める。

 ゆっくりと、焦ることなく。


 モノロイはボロボロ。

 アナベルは無傷。


 しかし、追い詰められているのはアナベルの方だ。


『おいおい。あれだけ食らって動けるのかよ』

『マジかよ。人間じゃねえ』

『モノロイ……いや、モノロイさん!』

『お、漢だ! あんた漢だよモノロイ!』

『頑張ってくれ! モノロイ!』

『な、なんでだろう。俺、涙で前が見えねえよ!』


 主に男子学生が歓声を上げる。

 それに対して女子学生は若干引いた視線で成り行きを見守る。


 重い足取りで徐々に距離を詰めるモノロイの圧力に屈したように、アナベルさんがふらふらと後退りし、リングの隅に追いつめられる。


 慌てるなよモノロイ。

 まだまだ勝負はこれからだぞ。


 僕は無意識に呟いていた。


 アナベルが大きく息をして、再び魔法を唱え始めた。


「認めて差し上げましょう! あなたは強い! ですが、選抜に残るのは私です!」


 アナベルの唱えた魔法は風塵剣舞スーパーセル

 技を小出しにするのはやめたみたいだ。


 モノロイは消耗している。

 巌骨一徹スタボーンで強化された状態でも、百を超える魔法を受けてノーダメージなわけがない。

 いつダウンしてもおかしくない状態だ。


 ここに来てこの大技。

 少なくとも風塵剣舞スーパーセルは消耗した状態で簡単に起動できるほど甘い技じゃない。


 アナベルもやはり、相当な強さを持っている。


 それにミキュロスの情報によれば、彼女は意外と胸がある。


 ……いや、それは今は関係ないか。


 

 アナベルの生み出した竜巻が、彼女とモノロイとの間で渦巻く。


 どれだけ魔力を込めるんだ。

 アナベルも必死なのだろう。

 この一撃に勝負を賭けにきた。


『モノロイ君! 頑張って!』

『お願い! 耐えてモノロイ!』

『もうやめて! それ以上魔法を当てたらモノロイ君が死んじゃう!』

『モノロイ君! もういいよ!』

『モノロイ! ファイト!』

『モノロイ君!』


 静観していた多くの女子学生たちまで、モノロイの勇姿に歓声を上げ始めた。


『頼むぞ! モノロイ!』

『俺たちに奇跡を見せてくれ!』

『そうだ! 才能がなくたって! Sクラスを超えられるって! 証明してくれ!』

『信じてるぞ! モノロイ!』

『モノロイ君! もうすぐ勝てるよ! 耐えて!』


 会場のテンションは最高潮。


 モノロイの無言の気迫にあてられて、今では野次を飛ばす者などいない。


 あの貧弱だったモノロイが、この場にいる全ての人間の心を動かしている。

 

 昨夜、モノロイは僕に言った。


 自分にはやはり魔法の才能はないと。

 初級魔法ですら満足に撃てないと。

 去年入学出来たのも、四年がかりで補欠合格のマグレだと。

 そして、そんな人間が、魔王の眷属エンカウンターズなどと名乗ることに、抵抗があったのだと。


 学園で、魔王の眷属エンカウンターズの名前は売れている。


 本当は弱いくせに、魔王を笠に着て威張り散らしているだとか、暴姫の威を借る雑魚だとか、そんな陰口は浴びるほど聞いただろう。


 イズリーのような戦闘力も、ミリアのような才能も、ミカのような索敵能力も、キンドレーのような支援スキルも、セスカのような傑出した内務処理能力もない。


 その中において、モノロイは自分の実力不足を気にしていたのだろう。


 自分は本当に魔王の眷属エンカウンターズに名を連ねる資格があるのかと。


 逃げることならできたはずだ。

 委員会など辞めてしまえばよかったのだ。

 やはり自分には無理だと。


 それでも、アイツは逃げることだけは選ばなかった。


 それこそ必死の想いで、決死の覚悟で、綺羅星の如く輝く才人達に食らいつき、今まさにその力を証明しようとしている。


 自分も、魔王の眷属エンカウンターズ創始者達オリジナルの一人なのだと。


 僕が彼の立場なら、同じことができただろうか?


 僕は今、ホンモノを知った。


「……シャルルぅ」


 僕の隣でイズリーは泣いていた。


 モノロイが心配なんじゃない。

 彼女の頬を濡らす涙は、悔し涙だ。


「イズリー、僕たちは……弱いな」


「うん……」


「アレが、ホンモノの『強さ』だ」


「うん……」


「僕たちも、まだまだ強くなれる」


「うん……うん!」


 アナベルの竜巻は彼女の魔力をたらふく食って膨張し、ゆっくりとモノロイを飲み込んだ。


 リングに突風が巻き起こる。

 風が舞い散り、観客席まで揺らした──


 砂埃が晴れる。


 ──そこに、静かに闘志を燃やした一人の男が立っている。


 観客たちはもう、誰一人として言葉を持たない。

 ただ、絶叫を上げるだけ。

 歓喜と興奮の絶叫を。


 アナベルは立ち尽くしている。


 モノロイは満身創痍といった姿でふらふらとアナベルに歩み寄る。


 すでに立っているだけで限界だろう。


 アナベルはぜーぜーと荒い呼吸をしながら、また指先に魔力を込めた。


 まだ撃てたってのか?

 最後に魔力を残していたのか。


 さすがに、これ以上は……。


 モノロイがアナベルの胸ぐらを掴む。


 ようやく。

 ようやく手が届いた。

 自らに降り掛かる困難、辛苦、苦艱くかん


 それこそ茨の道、修羅の彼岸を乗り越えて、まさに今、実を結んだ。

 

 モノロイの眼に力が籠る。

 彼の戦意に陰りはない。

 

 しかし、胸ぐらを掴んだ状態で、モノロイは力なく崩れ落ちる。



 ダメだったか。



 さすがに、モノロイと言えど、あれだけのダメージを負っては──


 その時、膝をつくすんでのところで、モノロイは耐えた。


 しかし非情にも、再び立ち上がったモノロイに向けて、アナベルの魔法が放たれた。


 微風ゼファー


 大勝負に相応しいとは言い難い初級魔法。

 しかし、この試合に限っては最も相応しい、最後に絞り出したような初級魔法。


 彼女のこれまでの研鑽の賜物。

 

 モノロイの顔面に小さな風の刃が直撃する。

 アナベルを掴んだ腕が離れる。

 

 決着がつく──


 誰しもがモノロイの敗北を悟った時、奇跡は起きた。

 


 ──こてん



 と、アナベルが尻もちをつく。



 リングの上には、一人の大男だけが直立不動のまま悠然とたたずんでいる。


 その瞬間。

 魔導学園にそびえる練兵館が、沸騰した。

 

 あのモノロイの最後の足掻きを、見逃した人間は少なくないだろう。


 一瞬の出来事。


 たった一発の魔法が勝負を決した。


 その魔法は、微風ゼファー


 窮地に陥った、アナベルの最後の一撃ではない。


 アナベルの胸ぐらから手を離した、モノロイの放った最初の微風ゼファー だ。


 魔戦士とはいえ、魔法が苦手なモノロイの、ましてや満身創痍で放った微風ゼファー は決して強い威力ではない。


 それこそ、文字通りそよ風程度の威力だったろう。

 

 それが至近距離から放たれたこと、アナベルの魔力が尽きていたこと、そして、アナベルの窮余の一撃に完璧なタイミングでカウンターを合わせたこと。


 七難八苦を平らげて、モノロイの受難が今、結実した。


 

 沸くような歓声に包まれる会場。

 その中で、たった一人の男だけが沈黙を保っていた。



 この大会で、彗星の如く突如として出現した英雄。


 魔王の眷属エンカウンターズ


 その創始者達オリジナルの一人にして学園で唯一、魔王と暴姫を止められる男。


 ──鉄人モノロイだ。



 モノロイは、身体中を傷だらけにして、立ったまま気絶していた。


 彼の生傷だらけの鍛え抜かれた肉体が、その血と汗によって、誇らしげに輝いていた。

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