第44話 ウォシュレット君

 大会最終日、学生のボルテージは最高潮だった。


 それも当然だろう。

 普段なら見る機会など全くないような、魔法学園のエリート同士の魔法戦だ。

 頂上決戦とも言える。


 残っているのはSクラス生がほとんど。

 誰が誰より強いのか。

 それが気になるのは人の性だろう。


「それでね! ハティナがね──」


 天使のように笑うイズリーのヤマもオチも意味もない話に耳を傾けながら、僕が双子とミリアと一緒に練兵館に向かう途中、一人の少年が立ちはだかった。


「シャルル・グリムリープだな?」


「それでねー、あたしはババロアを沢山積み上げればいいと思ったんだけど──」


「なるほどね。ババロアじゃ強度が足りないかもな」


「ハティナも同じこと言ったの! だから今度は替わりにチェリーパイを──」


「話を聞けい!」


 イズリーに相槌を打っていたら怒られた。

 僕たちは足を止める。


「ごほん。シャルル・グリムリープだな?」


「いえ、人違いです。彼ならついさっき逆方向に走って行きましたよ。何やら慌てた様子でしたね。急いで追えば間に合うのでは? ではご機嫌よう。イズリー、さすがにチェリーパイはどうなんだろう。それなら、替わりに──」


「待て待て待てい! 人違いなものか! 同じクラスじゃないか! 息を吐くように嘘の情報を教えようとするなんて、とんだ外道だな君は! しかも何でそんなポンポンと嘘が出てくるんだ! まあいい。やり直しだ! ごほん。僕はウォシュレト・シャワーガイン!」


 面倒だからやり過ごそうと思ったが何やら用事があるらしい。

 

 全く、僕とイズリーの甘いひとときを邪魔するとはふてえ野郎だ。


 このウォシュレット野郎が!


 おっと、いかんいかん。

 短気は損気だ。

 冷静になろう。


「なんなんです? 今、とても大事な話をしてるんですが」


「ババロアがなんだとかチェリーパイがどうとか言ってたじゃないか! それのどこが大事な話だ!」


 何やら怒った様子で少年が喚く。 


 しかし同じクラスと言えば彼もSクラスなのだろう。


 正直、同じクラスと言っても選択している授業はそれぞれ違う。


 残念だが彼のことは記憶にない。


「はぁ、トイレなら向こうです。じゃ、僕らは先を急ぐので。イズリー、次からはマドレーヌを使えばいいんじゃないか? マドレーヌとシュトルーデルの組み合わせなら──」


「待たんか! 君に大事な話がある!」


 歩みを進め始めた僕たちに追いすがるように少年が並進してくる。


「そりゃ大事でしょうよ。漏らしたら大変ですし」


「トイレじゃないんだ! トイレを聞きたいわけじゃない!」


「そっか! マドレーヌならちゃんとバランス取れそう! そだ! 今度シャルルも一緒にやってみようよ! すごく難しいんだよ!」


「そうか、じゃあ僕も今度──」


「わかった! わかったからまず話を聞いてくれないか! いったん止まろう。一瞬でいいから。 こら、早歩きをするんじゃない! おい! ジグザグに歩くな! 四人揃って綺麗なジグザグだな! 何だそのコンビネーションは! 練習でもしているのか! とにかく止まりたまえ!」


 しつこいのでもう一度、僕らは止まる。


「なんなんです?」


「やっと話を聞く気になったか。ごほん。君がシャルル・グリムリープだな?」


 どんだけ僕の名前が気になるんだろうか。


「ええ。そう呼ばれる時もあります」


「なぜ若干曖昧な答えなんだ! まあいい。僕を知っているだろう?」


 ウォシュレット少年は不敵な笑みを浮かべてそう言った。


「さあ。初対面ですし。あなたの肛門に限界が近づいていることくらいしか知りませんよ」


「まず一旦、トイレから離れないか? まあそれも今はいい。僕はウォシュレト・シャワーガイン! 学園始まって以来の──」


「そうですか。ではまた会える日まで。さようなら、ケツシャワーさん」


「待たんか! 自己紹介だけのために呼び止めたとでも思っているのか⁉︎ そして僕の名前はウォシュレト・シャワーガインだ! どう聞いたらケツシャワーになるんだ! いいか! 僕は学園始まって以来の俊才! 魔王などと呼ばれて調子に乗っているようだが、僕に簡単に勝てると思わない方がいいぞ!」


「はぁ、興味ないんで。それに、なんでいきなり勝ち負けの話になるんですか? 冗談は尻に水かけやすそうな名前だけにして下さいよ」


「尻に水だと⁉︎ よくわからんが、失礼なやつだな! ま、まあ、それも今はいい。しかし、なぜ話を聞かない! 気にならないか? 次の対戦相手が話しかけて来たのだぞ!」


「……え? そうなの?」


 僕はミリアに尋ねる。


「ええ、確かに、ご主人様の決勝戦の対戦相手はウォシュレト・シャワーガインですわ」


「覚えていてくれたんですね! ミリアさん! ……ぐぬぬ」


 なぜか喜びと怒りが同居したような顔で僕とミリアを交互に見るウォシュレット君。


 その表情の変わり様は何だ?

 おしりとビデで切り替わっているのか?


「ふ、ミリアさんはこの男に騙されているみたいですね! 僕が、貴女の目を覚まさせてあげますよ!」


 え?

 なになに?

 どゆこと?


 僕たち四人は頭上で同じ疑問符を共有する。

 イズリーだけが少し大きめのやつだ。


「ミリアさんを誑かし、あまつさえトークディアの双媛すらその毒牙にかけた貴様に、決闘を申し込む!」


 ……なんだこいつ?


「ふ、恐怖で言葉も出ないか? 今ここでその化けの皮を剥いでもいいが、君とはどうせ今日当たることになる。勝った方が、ミリア嬢を勝ち取る! そう言うことで、どうだ?」


 何が「どうだ?」なんだ。

 こいつ、ミリアに惚れてるのか?

 で、僕がミリアを騙していると。

 やはり面倒なやつだ。


「はあ。そうですか」


「はあ。そうですか。だと⁉︎ 貴様、舐めているのか⁉︎」


「べつに舐めてませんよ。この空間で一番舐めているのは貴方の名前でしょう。そんなクソの付いた尻を綺麗に舐めやすそうな名前して。それに、誰と友達になるかはミリアが決めることなんじゃ……」


「尻を舐めやすそうな名前とは何だ! 失礼すぎるだろ! どういう感性をしてるんだ君は! ……ごほん。とにかく、君がミリア嬢を騙しているから、仕方なくこうした方法を取っているのだ! 僕とて、ミリア嬢の意思を尊重したい。しかし、まずは君からの洗脳を解くのが先だ!」


 洗脳ねえ。

 洗脳かあ。

 正直に言おう。

 それに関しては若干の心当たりがある。


「ミリア、なんかこう言ってるけど?」


「ああ! ご主人様が私を賭けて戦って下さるなんて……私、まだ早朝ですのに下着が──」


 ミリアは一人できゃーきゃーと興奮している。

 

 イズリーが目をパチクリさせながらミリアを見て「ダメだこりゃ」と呟いた。


 奇遇だね、僕も同感だよ。


「覚悟しておけ! 君を地獄の業火でもてなしてやる!」


「えー。正直、面倒くさいです。もてなすのはクソした後の尻だけにしといて下さいよ」


「なんで君はそこまでして僕と尻を結び付けたがるんだ! まあいい! 余裕ぶっていられるのも今のうちだ! ウォシュレト・シャワーガイン! 魔王を葬る者の名だ! 覚えておけ!」


 シュビ! 


 と効果音が聞こえてきそうな、まるで『俺、音楽一本でやってきたいんだ』とか言いながらも、実状は恋人のヒモになってるだけの売れないヴィジュアル系バンドのボーカルがよくやりそうな、指を開いた手で顔を覆うようなポーズをとってから、ウォシュレット君は去っていった。


 しかし目的地は同じ方向なので、僕たちも彼のすぐ後ろについていくと、気まずさに耐えられなかったのか彼は走って行ってしまった。


 しかしミリアにベタ惚れとはねえ。


 まあ、魔法の才能もあるし、名家の御令嬢だし、顔も綺麗だし、おまけに大きな大きなお胸もある。

 

 モテるのは当然と言えば当然か。


「ミリアちゃん、モテるんだねえ」


 そんなことを言って、イズリーがしげしげとミリアを見る。


「あらあら、私だって捨てたものではないんですのよ……なんですイズリーさん! その不思議そうな顔は!」


「……あんな低脳に好かれるなんて逆に不憫」


 最後に、今まで沈黙を貫いていたハティナがしれっと毒を吐いた。



 僕たちが練兵館に到着した時、観客席にはすでに魔王の眷属エンカウンターズのみんなが座っていた。


「なんだか噂になってたですよ!」


 興奮した様子でグエノラが言う。


「噂?」


「Sクラスの学生がシャルルお兄ちゃんに、ミリアお姉ちゃんを賭けて決闘を申し込んだって」


「ああ、ウォシュレット君か」


「ウォシュレットさんというお名前ですか! つ、強そうなお名前ですよ」


 グエノラが心配そうに言う。

 ……強そうかあ?

 まあ、この世界のトイレにウォシュレットはないからなあ。

 しかし噂が伝わるの早くないか。

 つい先程の出来事だぞ。

 確かに、目撃者は多かったが。


「いや、彼は強くない。むしろ排便後の尻を優しく綺麗にしてくれるんだ」


「どんな変態よ」


 僕の言葉に、メリーシアが呆れたように呟いた。


「ミーちゃんを巡って恋のバトルかあ! 女の子だったら憧れちゃうシチュエーションだね!」


「そ、そうかもね。で、でも、ミリアちゃんは……」


 ミカの言葉にそう答えながら、セスカがミリアを見たが、当のミリアは先程から上の空である。


 時々「ぐふふ」などと気味の悪い笑みを浮かべている。


「な、なんだか嬉しそうだね」


「セっちゃん、これは放っておいた方がいいやつだよ」


 セスカとミカは同時にやれやれとため息をついた。


 そして、練兵館中央に造られたリング状の舞台の上で、決勝戦の最初の試合、アスラの戦いが始まった。

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