第22話 Summer is coming soon.

 ハティナを救出し、有象無象を校門にはりつけにした直後にイズリー、ミカ、セスカが駆けて来た。


 イズリーは買い物から帰ってきて、勝手にハティナの部屋に上がり込み、買った物を並べて彼女の帰りを待っていたのだが──本人はハティナとお店屋さんごっこをしたかっただのと訳の分からないことを供述していた──いつまでも帰って来ないので、さすがに心配になりミカとセスカに声をかけて探していたらしい。


 ミカとセスカは学園の門に飾られた前衛的な現代アートを見て絶句していた。


 イズリーはぴょんぴょん飛び跳ねて「わー! すごいねえ! シャルル! あたしも飾ってほしい!」などと言っていたが無視した。


 アートに良かれと思っての付け足しは厳禁だ。


 全く、これだから芸術に理解のない奴は。


 そして、事の顛末を説明した。


 セスカは「な、な、な、調書になんてかけばいいのぉー⁉︎」と狼狽していた。

 

 ……本当にすまないと思っている。


 僕はジャックバウアーに寄せた感じでセスカに言ったが、彼女は頭に疑問符を浮かべただけだった。

 

 まあ、そうだよね。

 なんかごめん。


 イズリーはハティナが誘拐された事を知り、自分の経験と重ね合わせたのだろう。


 未だかつて無いほどに号泣した。


 自分が攫われた時だってこんなには泣いてないのに。


 お姉ちゃんが大好きなんだな。


 ハティナは相変わらず無表情でイズリーに抱き締められていたが、イズリーが落ち着いてきたタイミングで「……眠くなってきた。……寮に帰ろう」と言った。

 

「今日はハティナと一緒に寝る!」

 

 とイズリーは泣きべそをかきながら言っていた。

 あの調子だと一緒に寝てあげるまでは駄々をこね続けるだろう。


 僕たちも、ひとまずその日はそれぞれの部屋に帰っていった。



 翌朝、学園は蜂の巣を突いた様な騒ぎになっていた。


 朝早くに、美化委員が校門前の広場を掃除するために出かけていくと、そこにはとんでもない光景が広がっていた。


 そう。

 僕達の作ったアレだ。


 一糸纏わぬ王子様とその取り巻きが、校門の装飾に磔にされた状態。

 驚きのあまり気絶した彼を、誰が責めることが出来ようか。


 美化委員さん。

 本日もお勤めご苦労様です。


 すぐに僕達巡回組のメンバーはアスラに呼び出された。


「やってくれたな」


 アスラは瞑目したまま僕達に告げた。


「すごいでしょ! あたしもぶっ殺したかったんだけどね! シャルルが代わりにやってくれたの! すごいよね! えらいよね!」


 イズリーが明るい調子でそう言った。


「イズリーさん。私は褒めているわけではないんだ。ミキュロスは……。アレでもこの国の王子だ。継承権もかなり高い。どんな悪人と言えど、校門に裸で磔はやりすぎだ」


 アスラは珍しく怒っている様子だった。


「お言葉ですがアスラ委員長。僕は委員長に確認しましたよね? その確認の甲斐もあり、彼らの命には別状がないばかりか、四肢の欠損すらありません。当然、身ぐるみは剥ぎましたが、大目に見てもらえるのでしょう?」


 しれっと僕がそんな事を言うと、アスラは大きくため息をついた。


「やれやれ、爺上様好みのやり方だね。爺上様の言うように、やはり君はレディレッド家に生まれるべき人間だったかもね。幸運だったのは、彼らがトークディア家の御令嬢を人質にするという暴挙に出たこととと、セスカさんとモノロイ君がルールの穴を巧妙に突くような、さながら悪魔じみた完壁な調書を書き上げたことだね」


 あれからセスカとモノロイは徹夜で調書を仕上げたらしい。何度も何度も学則要項を読んでは書き、書いては修正し直したそうだ。


 持つべきものはやはり友達だ。


 モノロイもかなり機転が利くらしい。脳筋とか、スペランカーとか、貧弱筋肉とか、あと歩く肉団子とか言ってすまない。


 ……本当にすまないと思っている。


 いや、やり過ぎました。ほんとにすみませんでした。


 しかしあの意地悪じじい、僕のことを意外と評価していたんだな。ツンデレなのかな?


「ひとまず、彼らには後日罰則が下るだろうね。ただ、厄介なのはミキュロスの方がゴネていることだね。彼は王族としての面子を潰されたからね。どんな手段を取ってくることやら」


「へえ。あの豚野郎にまだそんな気力が残っていましたか」

 

「シャルル君、過激な発言は控えたまえ」


「おっと。これは失礼」


「全く。……私も実家と学生会に掛け合って王族がしゃしゃり出ないように根回しをしてみるが、正直言って学生会や私の力ではどうにもならないだろうね。まあ、後のことは私に任せたまえ。こんな時に尻拭いをするのが、委員長としての責務だからね」


 アスラは今日もイケメンだった。

 

 あの豚野郎もまだ懲りていないのか。

 良ろしい。

 ならば戦争だ。


 その後、委員長から一時間ほどお説教を受けて僕達は授業に戻った。


 教室ではすでに僕の所業が知れ渡っていた。意外だったのは、少数ながら好意的に受け止められる声があったことだろう。


 僕のクラスメイトの中にもゆすられたり、たかられたりした人間が少なからずいたようだ。


 そんな人達からは『さすが魔王』だとか、『君が風紀委員で本当に良かった』だとか言われた。


 イズリーは小さな胸を張って「えっへん!」と誇らしげだが、昨日まで僕を怖がっていた人達の掌返しを、僕だけが素直に喜べずにいる。


 昼飯時に、ハティナに呼び出された。


 校舎の屋上には初めて来た。


 今度からは、ここも巡回しないとな。

 

 イズリーは巡回組とお食事中だ。


 今頃、小さなほっぺにお弁当をくっつけて、少ない語彙に多すぎる擬音で『シャルル武勇伝』を皆に語っているのだろう。


 それを聞いて、キンドレーはオーバーリアクションで興奮し、ミカは猫のように俊敏な動きでキンドレーからおかずを掻っ払い、モノロイは瞑目しながら静かにフォークを口に運び、セスカは控えめに笑うのだろう。


 僕の掛け替えのない日常だ。


 ハティナは真っ直ぐに僕の目を見る。


 夏の気配が、風になってハティナの透き通るような銀色の髪を撫でる。


「……実は、わざと攫われた」


 点と点が繋がる感覚を覚える。


 攫われて人質にされ、それを僕が助けるというイズリーの時と全く同じシチュエーション。


 そして彼女が一瞬だけ見せた、「計画通り」といった顔。


 あの表情はそういうことか。


「なぜ?」


「……わたし達はいつも一緒だったのに。……今ではイズリーだけが、わたしの知らないシャルルを沢山知っていく。……それが……辛かった……のかなあ?」


 生き字引ほどに物を知るハティナが、疑問符で言葉を終えた。

 

 彼女は最後に『……わたしも助けて欲しかったのかも。……イズリーではなく、わたしを』と続けた。

 

 ハティナは無表情だったが、白い雪の上に紅葉の葉が落ちたかのように頬を染めている。

 

 それが僕には、途方もなく愛しく思えた。


「でも、わざと攫われるって?」


 僕はなるべくこの会話を終わらせないように質問を重ねる。


 何よりも愛おしいこの時間が、少しでも続くように。


「……シャルルが狙われてるのは察しがついていた。……それなら、学園が休みの日曜日、尚且つシャルル達が休暇でバラバラになる瞬間を狙うことはわかってた。……だからそのタイミングでわざと図書館に一人でいた。……あそこはあまり人が来ないから」


 少しだけ寂しそうに、ハティナは答えた。


「でも、ハティナを狙うことまで予想できたの? イズリーが狙われるかもしれない」


「……イズリーに新しい友達と買い物をするように仕向けたのはわたし。……そして、シャルルが取り締まった男子学生にわたしがシャルルと仲が良いことが伝わるように、人を選んで喧伝した」


 全く気付かなかった。

 やはり、とんでもない策士だ。

 今更だが、頭の出来が僕なんかとは隔絶している。


「でも、危ないことだ」


「……わかっていた。……でもシャルルなら、いつでも、どこにいても、誰が相手でも、必ず助けてくれる。……それも……わかっていた」


「過大評価な気がするけどな。僕はそこまで強い人間じゃないよ」


「……それは違う。……あなたは、とても強くて、優しくて、少し意地悪なひと。……そしてあなたは──」


 ハティナは言葉を続ける前に一拍置いた。


「……わたしの大好きな人」


 言葉が出なかった。


 その『大好き』の真意が、彼女の様子からすぐに理解できたからだ。


「……あなたが言ってくれた言葉。……あの言葉が、今でもわたしの心の中の大切な部分を暖かくしてくれて、それと同時に鋭く切り裂く。……『俺のハティナ』……嬉しかった。……大好きなあなたから貰った言葉。……わたしだけの大切な言葉。……だけどね、嬉しいのに怖いの。……イズリーもあなたの事が大好き。……だから……この気持ちが叶うのも……叶わないのも……どちらも同じくらい怖いの」


 ハティナは大きな青い瞳に大粒の涙を溜めている。


 僕は何も言えない。


 何か言わなければ。


 何を言えばいい?

 

 僕の口からは、何も出てこない。


 気持ちが、言葉にならない。



「……シャルル」


 彼女は一瞬だけ躊躇して、言葉を続けた。


「……わたし……あなたのことを……愛しているの」


 そして、何も言えない僕を置き去りにして、ハティナは言葉を続ける。


「……それだけ、知っていてほしくて……にへへ」


 彼女は最後に笑った。


 まるで水切りが川面に映る夕日を切り裂くように、彼女の涙が赤く染まった頬を伝う。


『昔、誰かが言ってた。辛い時には笑うんだ』


 前に、僕がハティナにかけた言葉だ。

 あの日も、彼女は泣いていた。


 夕立雲が遠くに見える。


 それはどんよりとした鼠色で、時折りチカチカと光った。


 僕の頭の中にパチンと破裂音が響く。

 スキルの発現だ。


 でも今は、今だけはそんなことどうでも良かった。


 僕の耳に、遠くで夕立雲が鳴らす遠雷の響きが届く。


 

 際限なく広く、哀れなほど狭い、僕たちの世界に──




 ──夏が来た。

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