第9話 夜の王

 イズリーはとにかく足が速い。

 そしてアホだ。

 そこらの道草の方がまだ物を考えているだろう。


 そんなイズリーが路地裏を駆け抜ける。

 路地裏はすでに傾きかけた日差しも入らない程に暗くなっていた。

 空には蝙蝠が舞っている。グリムリープ家の紋章である蝙蝠だ。この国では夜の使者とも呼ばれている。その呼び名の由来を僕は知らない。

 それでも、もうすぐ夜の帳が下りるのだろう。

 道端には酔っ払いが倒れていたり、浮浪者が座り込んでいたり。

 とてもじゃないが、高貴な出の少女が使うような道ではない。


 何でそんなに走り続けられるんだと言うくらいイズリーは速度を落とさず走り続けた。


 僕とハティナは遅れないようについていく。

 しかし、さすがに限界が近い。

 息は上がり、足はつりそうになってきた。


「……こ、コウモリくん。……わたし、もう、走れない」


 ハティナが先に音を上げた。


「イズリー! ちょっとスピード落としてくれ!」


 僕の声が虚しく路地裏に響く。

 当のイズリーは聞こえていないのか振り返りもせずに突き当たりの角を曲がって行った。


 肩で息をするハティナが持っていた大きな本を落としてしまう。

 僕はそれを拾い、埃を払った。


「この本、結構重いね。僕が持とうか?」


「……あ、ありがとう。……はあ、はあ……でも、自分で、持つ。……大切、な、本、だから」


 ハティナはそう言ってまた遅々とした足取りで走り出した。


 僕もハティナについて走り出そうとした時、「大人しくしやがれ! ガキだからって関係ねえ! ぶっ飛ばすぞ!」と怒号が聞こえてきた。


 急いで路地の角まで行くとジタバタと暴れるイズリーが、明らかに堅気には見えない男二人に頭から麻袋を被せられている。


「イズリー!」


 ハティナが叫ぶ。


「やべ! 早くずらかるぞ!」


 男二人は麻袋を被せられて芋虫みたいにされたイズリーを担いで走り出した。

 火弾スター を撃っても良いが、僕の精度ではイズリーに当たるかもしれない。

 僕が躊躇していると、ハティナが素早く詠唱を終えた。


微風ゼファー !!」


 ハティナの指先から風の刃が走る。

 しかし、ハティナの微風ゼファー は大きく外れて路地裏の脇に積み上げられた空の酒樽に当たる。


 物音に驚いた男の一人がこちらを振り返った。

  

「魔法だと? クソガキが!」


 そう言いながらこちらに走ってきた。

 咄嗟に建物の影になるように来た道の方へハティナを突き飛ばす。


 ハティナが魔法を使ったことがバレればハティナまで──鳩尾に衝撃が走る。


 男に腹を思い切り蹴られたのだ。

 肺の中の空気が全て出ていくような感覚。

 息ができない。


「ガキが粋がってんじゃねーぞ。王子様のつもりかよ。殺しちゃうぜー?」


 僕を蹴飛ばした男が下衆な表情を浮かべ、倒れた僕に唾を吐く。


「こっちのボウズも攫うか?」


 その男が仲間に問う。


「いや、一人で充分だ。男は捌きずれーし、数が多くなると騒ぎもデカくなるからな」


「ラッキーだったなあ。王子様よお! あー、そうだ。お前、このガキの事は忘れな」


 そう言って二人の男はイズリーを攫って行った。

 

 口の中に血が滲み、呼吸は上手くできない。

 

 魔法を使おうとするが、体内魔力が乱れて起動しない。


 トークディアはどんな状況でも魔法を撃てる様にひたすら的当てをさせてきた。 


 魔法は身に刻み込む程に反復しなければ、いざという時に起動できないと、口を酸っぱくして言われてきた。


 当の僕はこんな状況は想定していなかった。


 もっと真面目に取り組んでいればどうにかなったのかもしれない。


「コウモリくん! イズリー! イズリー! 誰か! 誰か助けて下さい! 誰か!」


 地面に倒れた僕のところに来て普段の仏頂面からは想像出来ないほど動揺して叫ぶハティナ。


 しかし、その声を聞き届ける大人はいなかった。


 肺が空気を取り込み、呼吸ができるようになる。


 僕は痛む身体を無理矢理起こして、自分に治癒ヒールをかける。かつて神官から奪ったスキルだ。


 傷を癒した僕は、イズリーを追いかけようとする。


「追うぞ。ハティナ!」


「だ、駄目! わたしはもう走れない! コウモリくんだけで追いかけて!」


 疲労していた上に魔法も使ったハティナはその場にへたり込んでしまった。


 ともかく、早くイズリーを追いかけなければ。しかし、ハティナを置いていけば彼女も危険かもしれない。


「コウモリくん! 早く! イズリーが! イズリーが!」


 ハティナの大きな瞳からは大粒の涙が溢れていた。


「ハティナ。落ち着け。イズリーは必ず助ける。ここでハティナを置いて行ったら、今度はハティナが攫われるかもしれない」


「でも! でもイズリーが! うわあああん!」


 ハティナはもう走れない。

 どうすればいい? 

 どうすればイズリーを救えるのか。

 きっとまだ遠くまでは行ってない。


 誘拐した目的は?

 娼館にでも売る?

 奴隷商人?

 イズリーは高貴な服を着ていた。

 身代金目的か?


 ──わからない。

 あいつらはなんて言ってた?

 気が動転して思い出せない。

 落ち着け。

 落ち着け!


 ハティナは人目を憚らずに声を出して泣いている。


地面に座り込んでいた浮浪者がこちらを伺っている。


 普段は冷静に、気丈に振る舞うハティナが妹のために声を上げて泣いている。


「……こ、コウモリくん。……た、助けて。イズリーを! イズリーを助けて!」


 泣きながらハティナは僕に助けを求めた。

 今この瞬間、彼女が頼れるのは僕しかいない。


「……わたしが……あの時……魔法を外さなければ……わたしのせいだ」


 僕は、無力な自分に腹が立った。


 こんな小さな女の娘が、自分の非力を呪って泣いている。


 それに対して、僕はどうだ?


 僕は──何もできなかった。

 僕は──何もしなかった。


 魔王?

 なんだそれ。

 肝心な時に使えないじゃないか。

 目の前で友達が攫われた。

 魔法を撃って助けるチャンスはあった。

 それでも何もできなかった。

 いや、余計なことを考えて何もしなかった。

 クソが。

 僕は役立たずだ。

 転生して、特別な能力を授かって。

 それで調子に乗っていただけか?


 特別だって、強力だって。

 それでも目の前の友達すら助けられない。

 

 そして僕は、半ば本能のままに願った。


 魔王のジョブが特別だって言うなら。

 世界を滅ぼすほど危険なジョブだって言うなら。

 そのくせ、そのジョブで世界を救えって言うなら。

 その業も罪も罰も全部背負ってやる。

 そして世界だって救ってやる。

 

 だから、今だけでいい。

 今! 目の前の! 友達一人を救う力を寄越しやがれ!!



 ──パチン



 何かのスキルが僕の中で目醒めた。


 すぐさま沈黙は銀サイレンスシルバーが起動してスキルを解析する。

 何でもいい。

 どんなリスクがあってもいい。

 この状況を打破する力であれ。

 ──そう願いながら。


 解析が終了し、僕の頭の中にスキルの使い方がダウンロードされる。


 そのスキルの名前が頭に浮かぶ。



夜王カーミラ


 

 すぐさま空を飛んでいる蝙蝠に狙いをつけ、そのスキルを起動した。


 コウモリ。

 ──夜の使者。

 なるほど言い得て妙だ。


 夜王カーミラ

 夜の王。

 光灯らぬ宵の支配者。


 なるほど、僕にぴったりじゃないか。

 コウモリはグリムリープの代名詞。

 待ってろイズリー。

 必ず救い出す。

 

 僕は泣き崩れているハティナを抱きしめて言った。


「イズリーは僕が見つける。必ず助ける。だからハティナ。もう泣かなくていいよ。昔、誰かが言ってた。辛い時には笑うんだ」


 嗚咽を漏らし、鼻をすすりながらハティナが僕をジッと見つめる。


「……わたし、……笑ったことない」


 そう言って涙を拭いながら僕を見るハティナの綺麗な青い瞳は、闇夜にとても良く映えた。


 「笑えるさ。イズリーを助けて三人で笑おう」


 そう言うとハティナはゆっくりと、それでも力強く頷いた。


 夜王カーミラは操作系のスキルだ。蝙蝠を操り、その視覚と聴覚を共有する。


 スキル越しにジャックした蝙蝠の視覚は夜の闇をどこまでも明らかにし、宵の世界を鮮明に映し出した。そして聴覚は人間とは比べ物にならない程、膨大な情報をもたらす。それこそ、猫の足音まで認識出来るほどに。

 

 僕は蝙蝠の聴覚を研ぎ澄ませる。

 夜の入り口に差し掛かる街には色々な声が溢れていた。


『お兄さーん、遊んでかない?安くしとくわよ──』

『ですから、その案件はギルドの方で──』

『もう飲めねえのか?だらしねえ──』

『てめえ、やんのか?俺が誰だと──』


 街のあらゆる喧騒の中から、目当ての声を探り当てる。


『仲間のガキに見られたが大丈夫か?』

『かまいやしねえ。とっととこのガキ売っぱらうぞ』

『最近は質の良い奴隷が少ないらしいからな。このガキは上玉だぞ。誰に売るかも決めねえと』

『パラバルの野郎がこの手のガキを欲しがってた。あいつに売りゃあいい金になる』

 

 ──見つけた!


 夜王カーミラで操った蝙蝠にそのまま追跡させる。

 体内魔力がジリジリと減っていくのがわかった。

 しかしまだ余裕はある。

 ここでやらなきゃ男じゃ──いや、魔王じゃない。


「ハティナ。僕はイズリーを助けに行く。どこに連れ去られたのかも分かった」


「……え?」


 ハティナは涙で濡れた顔に不思議そうな表情を浮かべる。


「ハティナも行くか?」


 危険な場所に彼女を連れていくのは不安も大きいが、彼女の魔法の精度は僕以上だ。

 慌ててさえいなければ狙いを外すこともないだろう。

 この場に置いていく選択肢がない以上、一緒に行くしかない。

 事態は一刻を争う。


「……行く。……わたしもイズリーを助ける。……わたしはイズリーのお姉ちゃんだから!」


 ハティナは力強く答えた。

 僕たちは男達を追って色街の方へ走り出した。

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