自称堕天使ちゃん その2


 森の中。ひと気のないその場所で、漆黒の翼を生やした少女がいた。

 月華のように咲く小さな花に目をやると、少女は垂れた銀の髪をそのしなやかな白き指で払う。

 風が変わった。

 物憂う少女は、ふと木々の合間より降り注ぐ月あかりに目をやった。

 朧月おぼろづきがうっすらと辺りを薄衣うすぎぬで包むと、夜のしんとする冷たさがふわりと浮かんだ。

 少女は空を包むように翼を広げ、目を閉じて月を見上げ、そして静かに息を吸った。

、呼応するように小さな森の奏者たちの鳴き声がする。

 そして少女は小さく息を吐き――


「……やっば。全然飛べないんだけど」


 少女はもう一度舞台に立った演者のように両手を広げた。

 が、翼は片側だけが乱暴に動くのみ。

 もう一方は弱った虫の足のようにわずかに動くのみである。

 あげく翼が地面の土や草を吹き荒らしてしまい、少女は土埃に咳き込んでしまった。


「やっぱ翼を黒く塗ったのはまずかったわね……」


 確認するように少女はピョンピョンと二度三度ジャンプした。

 が、飛べるはずもなく人間がするのと変わらない結果になってしまう。


「飛べない天使(自業自得)か。あ……でも自業自得ってところに目をつむったらかっこいいかも? 飛べない天使。翼をもがれた天使。う~ん。堕天使ってぽくていいわね」


 少女は得意げに手を顔の前にやりポーズを決める。

 しかしすぐに肩を落とした。


「それにしても森に落ちちゃうなんて。空からは下が見えないからどうしようもなかったし。……コントロールがほとんどできなかったってのもあるけど。ま、海に落ちちゃうよりマシね」


 それよりもと少女は辺りを見渡した。


「ん? もう森の外なの?」


 少女は森の出口の方へと走って行き、近くの木に手を置いて先を見た。


「ん~? なんか城がある。あの漆黒の感じ。へえ……あれって魔族の城。今のあたしにピッタリの城ね」


 そう言うと少女は意気揚々と歩きだした。


「フンッ。パパたちったら、あたしが言うことを聞くいい子だと思ったら大間違いなのよ。なぜならそう! あたしはもう堕天したんだから!」


 少女は立ち止まり、指をビシッと城に指し――


「あたしを怒らせたことを後悔させてやる。あの城の玉座でふんぞり返って、パパ達が困る姿を想像して笑ってやるんだから!」


 少女はご機嫌な様子で笑った。

 だがふと城の方から一つの影が猛烈な勢いで迫っていることに気がつき、笑うのを止めた。


「ま、見張りくらいいたって当然よね。でも舐めないでよね。子供とはいえあたしは天使。じゃなかった堕天使!」


 少女は両手の手のひらを迫りくる人影に向けた。

 だが首をかしげ「これじゃ堕天使っぽくない」と構えを解いて、人差し指を立てる。

 すると少女の指先から白い光の球が出てきた。


「天上より来る我に刃向かったこと、後悔するといい」


 声をつくって少女が言うと、彼女の指先から砲弾のように光の球が影めがけて飛んだ。


「……」


 影と球がぶつかった。

 次の瞬間には辺りの音が一瞬消え、そして再び音が戻る。

 衝撃波が土ぼこりを巻き起こしながらあたりを勢いよく流れた。

 しかし少女は避けようとせず、ついには衝撃波をまともに食らってしまう。

 だがびくともしていない。

 どころか立ち込める土ぼこりを前に勝利の余韻に浸っていた。


「フハハハハッ! 見たか。これが天より舞い落ちた我が力だ!」


 少女は「堕天使ってこんな感じ?」と小さな声で自分に言い聞かせるように言った。

 その直後だった。


「ほう。なら次は俺の力を見せてやろう」


 低く、地の底より這い出てきたような声。

 その声と共に土ぼこりの中から、漆黒のローブを身にまとった一体のガイコツが踊りでてきた。

 少女は何が起きたか分からないまま、本能のまま一歩後ろに下がる。

 直後、少女の足があった場所に鈍い銀色のひと筋の光が落ちた。


「ヒッ……?!」


 宙にわずかに残る残光。

 少女がまばたきをした時、残光と共にガイコツはこつ然と姿を消した。

 だが次の瞬間、少女の目の端に月とは違う光が差し込んできた。

 とっさに少女は頭を抱えながら前へと飛んだ。


「避けたか……。まるで小動物のように勘がいい」


 少女は手足や翼をバタバタとさせながら、転がるようにガイコツから距離を取った。


「な、なんなのよもう……。あんたいったい――」


 少女はガイコツの姿を正面から見て目を疑った。


「えっ。いやその……。え?」


 ガイコツの目は瞳の中に何百色の絵具でも入れているかのように色が変化し続けていた。

 少女は恐怖よりも困惑が勝ったようで、言葉を詰まらせている。


「なんか目がすごいことになってるけど……病気? それともご機嫌なだけ? 大丈夫?」


 だがガイコツの耳には彼女の心配は届いておらず、少女は剣先を向けられて状況を把握した。


「……侵入者は排除する」

「ちょっと待ちなさいって! あたしはまだ侵入者じゃない!」

「まだということはいずれなるというわけだ」


 少女は反射的に顔を上に向け、言い訳を考えようとした。

 が、諦めたようにうなだれた。


「…………やっぱそうなる?」

「なる」

「……ねえ。もしここであたしがどこかに逃げても追いかけてくる?」

禍根かこんはつぶすにかぎる」


 少女は「そう」と半ば諦めたような声色で言った。


「だったらしょうがないわね。ていうか、結局こうなるんだろうけど」


 少女は右手を前に突き出した。

 すると一瞬にして光の剣が彼女の手の中に現れた。

 彼女はそれを握りしめると、剣をゆっくりと染めるように撫でる。

 剣は、彼女の手が通った後から徐々に黒く染まり始めた。

 やがて剣が完全に黒く染まると、彼女は不敵な笑みを浮かべ剣を顔に近づけた。


「ただの死にぞこないが――」


 少女はそう言って刀身を三文芝居のように舐めた。

 が、苦虫を嚙み潰したような顔を一瞬見せ、そして何度も唾を吐いた。


「なんで魔力の剣なのにこんな変な味がしてんのよ! もう意味わかんない!」


 ブツブツと文句を言っていた少女だったが、気を取り直すように顔を横にぶんぶんと振る。


「ただの死にぞこないが。……えーっとなんだっけ。何言おうとしてたんだっけ? ああそうだ。ただの死にぞこないが」

「もういいか?」

「ちょっとー!! せっかく思いついてたセリフを言おうとしてたのに忘れちゃったじゃない!!」

「知ったことか。お前のような雑魚の今際の言葉なぞ聞く気も起きん」


 つけ放すような言葉。

 それを聞いた少女は氷のように固まった。

 だがすぐに鼻で笑い飛ばした。


「……ハッ! ガイコツのくせして言ってくれるわね。いい? あたしは天使。地上のどんなやつよりも上位の存在。しかも今は天使よりさらに素晴らしい堕天使よ。あんたがどれだけ愚かなことをしようとしているのか」


 少女は剣を構え一直線に走り出した。


「その身で存分に知りなさい!!」


 二つの剣がぶつかった。

 勝負は一瞬。

 ガイコツの振り下ろした剣が、ねじ伏せるように少女の剣を叩き潰した。

 ガイコツの剣先は地面のほんのわずか上に浮かんでいる。

 少女はその剣先と何も掴んでいない自らの手を赤い目をパチパチさせながら交互に見ていた。

 するとガイコツはぎょろりと鮮やかな瞳を少女に向け――


「死ぬ覚悟はできたか?」

「……できてませーん――」


 少女はきびすを返した。

 そしてウサギのようにピョンピョンと(幸か不幸か)城の方へと逃げ出す。

 そしてガイコツは、低く笑いながらウサギを追い始めた。

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