第23話 忠誠で謀略

 宴は深夜まで続けられた。飲みなれない純度の高い酒に、一人また一人と眠りについていくうちに、宴は自然とお開きになった。

 焚き木はまだ燃えていたが勢いはなくなり、近くで飲んでいる者もいたが少数であった。

 月も雲に隠れて闇は暗さをまし、夜はしだいに静けさを取り戻していた。


 自分の幕舎に戻って寝ようと、霄文は眠る兵士たちを避けて人気のない場所を歩いていた。すると、頭上からぼんやりと声がした。

「ご祝勝、おめでとうございます。将軍」

 見れば、白っぽい衣を着た人影が石垣でできた見張り台の土台の上に仰向けに寝転がり、目をこすりながら逆さまに霄文を見ていた。


「……陶慶峻」

 霄文は忌々しさをこめて、その名を呼んだ。


「せっかく人が祝ってるのに、冷たいじゃないですか、将軍」

 慶峻は酔っているのか、いつもよりもさらに馴れ馴れしく絡んだ。寝返りをうって頬杖をつき、首を傾げる姿は優美な気だるさがあった。


 霄文はいらいらと顔をしかめ、吐き捨てた。

「敵に策を漏らしたのはお前のくせに、白々しい」

 それははっきりとした告発であった。


「何のことですか?」

 慶峻は掴みどころのない笑みを崩すことなく、霄文を見下ろした。


 一向に表情を変えない慶峻に、霄文は怒鳴った。

「とぼけるな。わしが気づかないとでも思ったか」

 だが声を荒げたところで、慶峻はにやにやと霄文を眺めるだけであった。


 霄文は慶峻をにらみつけ、今回の戦に関する慶峻の謀略を明らかにした。

「絶妙な時に見つかった内通者だが、あれはお前が見計らってあのときに発見したふりをしたのだろう? お前は自軍を不利な状況にするため、あの男にわざと策を流させた。そして用が済めば何かの毒物で殺した。すべてお前の自作自演だったのだ」


 霄文は敵に情報が漏れたことはともかく、それが発覚し春藍が戦場に援軍に来るまでの流れに引っかかっていた。あまりにも都合がよすぎると、感じていた。

 ――だがそれもこの男の計算だったと考えれば、納得がいく。

 霄文は内通者を発見した慶峻に、その不自然さの原因を見出した。


 問い詰める霄文に、慶峻は落ち着き払って質問した。頬は酔って紅かったが、目は冷え冷えと冴えていた。

「それは何のために? 俺が裏切り者だって言いたいんですか?」

「いや、残念ながらお前は裏切り者ではない。お前は春藍が戦場へ行けるように、援軍が必要となる事態を意図的に作り上げたのだ」

 まるで慶峻が裏切り者であったほうがよかったとでも言いたげに、霄文は言った。


 慶峻はふぅとため息をつき、見張り台の土台から飛び降りた。茶色の文様で縁取られた服の裾がひるがえる。

「証拠は?」

 石でできた土台の壁を後ろに、慶峻は面倒くさそうに霄文を見上げた。


 霄文は慶峻をにらんだまま、腕を組んだ。

「お前の今の表情だ」


 冷たい夜風が、二人の間を通り抜ける。

「ないんじゃないですか」

 慶峻が鼻で笑う。その端正な白い横顔は夜の闇の中で酷薄な美しさを放っていた。


 霄文は苦々しげに眉をひそめ、答えた。

「そうだ。お前はこの国でもっとも謀略に優れた男・郭遥伯を師に持つ男。証拠を残すようなへまはしない」


 郭遥伯は陶慶峻の血のつながった叔父であり、育ての親である。先代の王の時代に重用された人物であり、宮廷にいたころはその卓越した詭謀で多くの人間を不幸にしていた。官職を突然辞してからは、旅人のふりをして各国を調べ上げると言ってほとんど隠遁生活を送っていた。

 遥伯と幼少時に旅をした慶峻はまぎれもなく彼の弟子であり、そしてその才能を確実に受け継いでいた。


「買い被りすぎです」

 慶峻はさらりと前髪を払い、わざとらしく困った顔をする。


 ついかっとなった霄文は慶峻の顔の横の壁に手をつき、怒りを抑えきれずささやいた。

「未熟なふりはやめろ。顔だけじゃなく、気味の悪い手口まで奴によく似ているよ、お前は」


 霄文は遥伯とは同じ年代の名門貴族の嫡子でありそれなりに面識があった。しかし霄文は、遥伯の軽薄で凶悪な人間性を嫌悪していた。まだ年少であるが遥伯の生き写しである慶峻は、妻の親友で臣下であっても霄文にとってはどうしても受け入れがたい存在なのであった。


 慶峻は霄文にごく近い距離でにらまれても怖じ気づくことなく、ゆっくりと見つめ返した。その薄茶の瞳は不気味な鏡のように、霄文の姿を冷たく映し出す。

「気味が悪いとか言わないでください。俺、傷つきますよ」

「人を傷つけているのはお前だろう? お前はお前なりに春藍を思ってやったのだろうが、そのために何人の兵士が死んだことか」

 厳しい表情で、霄文は慶峻をいましめた。激昂し怒鳴りそうになるのを押し殺し、声を重く静かにかすれさせる。


 慶峻が春藍にある程度の好意を寄せていることを、霄文は一応理解していた。春藍も慶峻に信頼を寄せているようである。

 問題は慶峻が、常識的な価値観で動く人間ではないということであった。最終的には負けなかったとはいえ、慶峻の謀略のせいで采国軍はかなりの損害を出している。多くの兵が傷つき、死んでいった。たとえそれが主である春藍のことを考えての行動だったとしても、霄文は慶峻の行動を赦すことはできない。


 慶峻は小さく笑うと、霄文に顔を近づけた。

「勝ったんだから、いいじゃないですか」

 細く柔らかな慶峻の髪が、霄文の顔をくすぐる。それは人の命を軽視する人間が持つ独特の空気を孕んだ屈託のない笑みだった。


 霄文は後ずさりして、腰に佩びた剣を鞘につけたまま突き出した。

「……幼いから許される時期はもう終わる。お前が変わらないのなら、わしも手段を選ばん。覚悟しておけ」

 きつく慶峻をにらみつけ、最後通告をつきつける。声ははっきりと落ち着いていたが、その目には激しい怒りが燃えていた。


 慶峻は鞘が付いているとはいえ、剣を突きつけられても微動だにしなかった。

「脅かさないでくださいよ。将軍」

 表情も変えずに、慶峻は挑発的に霄文を呼んだ。形の良いくちびるだけがゆっくりと動く。


 霄文は剣を下ろし無言でにらむと、踵を返した。


 ――この男は危険だ。特に春藍にとって。


 背後にいる慶峻への警戒心を抱いたまま歩き出す霄文。


 善悪を気にとめない慶峻の気性は主である春藍に悪い影響を与えると、霄文は確信していた。ただでさえ過ぎた力を持った春藍が、慶峻の倫理観のなさに感化されて道を踏み外すことを、恐れた。

 春藍が取り返しのないことをしでかさないためにも、霄文は慶峻に対して何か対処しなければならない。


 霄文は後ろに、慶峻の視線を感じた。振り返ることなく、霄文は慶峻から足早に離れた。

 慶峻と話している途中で汗をかいたせいなのか、霄文は自分が寒気を感じていることに気がついた。服の襟をかき合わせ、宵闇の中を歩く。


 土を踏む音で静寂を破りながら、霄文は自分の幕舎に戻った。





 霄文が立ち去ると、慶峻は見張り台の土台にもたれた。


 空は深い藍色で、濃い灰色の雲が形を変えながら流れていた。雲の隙間から覗く月の光が、慶峻の姿をぼんやりと照らしていく。


 慶峻は目を閉じ、繊細にきらめくまつげをふるわせた。


「姫が戦いたがってたから、俺が背中押してあげただけなのに。ごちゃごちゃと面倒くさい……」


 ため息まじりにつぶやく慶峻。そこに反省の色はまったくなかった。

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