第22話 宴会と挽歌
呂国と莫族の連合軍は敗走し、戦は采国軍の勝利に終わった。采国は西域の領土の支配権を取り戻し、戦争目的は果たされたのである。
その日の夜、采国軍では戦勝の宴が開かれた。陣中では大きなかがり火が焚かれ、兵士たちは酒を飲んだり、料理を食べたり、芸を披露したりしている。
深い藍色の夜空には雲が少なく、満月が輝き、星が瞬いていた。冷えた空気が、勝利に酔った男たちの熱気を優しく包む。
春藍は、霄文を囲む武官たちに混じっていた。土に直接蓆を敷き卓を置いてそのまま座っただけの席ではあるが、その素朴さが心地よかった。
「我らが薛将軍の勝利に、そして春碧殿の活躍に、乾杯」
霄文の幕僚である青年が、白い陶器の杯を上げる。春碧というのは、春藍がでっちあげた霄文の念弟という仮の姿の名前である。
周りの人間も杯をあげ、乾杯と復唱し酒を飲みほした。
春藍も杯の酒を飲んだ。敵陣から得た戦利品である酒は西域でつくられたものらしく、月光に似て白かった。甘くあっさりとした味だが純度が高く、一気に飲むと頭がくらくらする。
杯が空になると、侍従の少年が樽から酒を柄杓ですくい、注いで回った。
霄文は二杯目を空にして、春藍に言った。
「お前のおかげで、勝利することができた。礼を言う」
勝ったはずの霄文であるが、どこか思い悩んだ様子である。声は少し沈んでいるし、酔ってわかりにくくなってはいるが表情も暗かった。
――なぜ伯父上は、喜んでくださらないのだろう? 私は伯父上のために戦ったのに、これではまるで、逆に悲しませてしまったようだ。
不安に思いつつも、春藍は手を組み深く頭を下げた。
「お褒めの言葉、ありがとうございます」
「そうかしこまらなくてもよい」
霄文は静かに春藍に笑いかけた。
「さぁ、皆の者。遠慮なく食べてくれ」
霄文は軽く手を叩き、武官たちに卓に並ぶ食事を勧めた。
「では、遠慮なく」
「都ではあまり見ない食べ物もありますな」
「たまには羊の肉というのも美味でございますね」
武官たちは次々と料理に手を伸ばした。
卓の上には、羊の肉や豚肉、蒸した餅、ゆで卵、瓜などさまざまな食材が並んでいる。どの品もうず高く積まれ、おいしそうであった。
――まぁ、腹が減っては何とやらだ。まずは食べてから悩むとするか。
春藍は、腹が減っているときまでくよくよ悩めるような人間ではなかった。
羊肉の水炊きをつかむと、春藍は大きくほおばった。調理法が良いのか羊独特の臭みは少なく食べやすかった。
春藍はそれなりの大きさのある肉塊をぺろりと平らげ、今度は蒸した餅を食した。小麦で作られたその餅は真ん中が大きく膨らんだ円盤型で、作りたてだったのかほんのりと温かく柔らかかった。噛みしめれば、小麦の甘さが口の中に広がる。
春藍はその他の食材も一通り手をつけると、最後に瓜を食べることにした。食べやすく切られてはいるが、もとはかなり大ぶりの果実だったことが一目でわかった。原産地である西域で採れたものであるせいか、臭いが都のものよりもかなりきつい。だが、かぶりついてみると粘り気のある濃い甘さがあって、おいしかった。
「ずいぶんといい食べっぷりじゃん」
後ろから、高く澄んだ声がした。振り向くと、慶峻が微笑を浮かべて立っていた。
「慶峻、お前どこへ行ってたんだ?」
春藍は席を立ち、慶峻に駆け寄った。宴はそこそこに盛り上がっており、春藍がいなくなったところで気にするものはほとんどいなかった。
肩をすくめて言葉を濁す慶峻。
「ん……、ちょっとね」
その態度に春藍はわずかに疑問を抱いたが、いつものことだと特に追及はしなかった。
慶峻は笑顔で話題をそらす。
「それよりも姫、すごい活躍だったらしいね」
「そうだろう。私の活躍はまさに一騎当千と言えるものだったのだぞ」
春藍は誇らしげに胸を張り、目をうれしげにきらきらと輝かせた。
慶峻は手を後ろで組んで、うなずいた。
「うん、戦神の姫君の名に恥じない、虐殺だったようで」
冗談にしてもあまりに直接的な慶峻の物言いを、春藍は苦笑いをして訂正した。慶峻の脇腹をほんの軽くひじでこづく。
「虐殺は少し、響きが悪すぎるだろう。せめて惨殺と言ってくれ」
「……そんなに変わってないよね。それ」
微笑んだまま冷静に言及する慶峻。
二人は見つめ合い、くすくすと笑い合った。
ひとしきり笑うと、ふと春藍は黙って慶峻を見つめた。慶峻は不思議そうに見つめ返した。
「どうしたの、姫。急にしおらしい顔しちゃって」
かしこまった様子で、春藍は慶峻に言った。
「お前が内通者を見つけてくれたおかげで、私は伯父上の危機に駆けつけることができた。恩に着る」
もしも慶峻が内通者に気づいていなかったら、采国軍は負け、霄文も無事ではすまなかったであろうと春藍は思った。たとえ急に姿を消す就労意欲のない男だとしても、慶峻は春藍にとって大切な存在であった。
慶峻は少し間をおいて、そっけなく答えた。
「どういたしまして。これが俺の仕事だし、別にいいよ」
そして重要そうに目を細めて、慶峻は二言目を付け加える。
「ただ都に帰ったら、絶対しばらく働かないけどね」
「まったく、お前という奴は」
春藍は苦笑し、ため息をついた。
その時、春藍を呼ぶのんびりとした声がした。
「春藍、いや春碧だったかな?」
「アルジェイ、トゥヤン」
後ろを見れば、アルジェイとトゥヤンが晴れやかな表情で杯と銚子を持って立っていた。二人ともざっくりと皮で仕立てられた筒袖に袴の胡服を着て、くつろいだ雰囲気だった。
「今日の英雄に、俺がお酌をしに来たよ」
アルジェイはにこにこと笑って、春藍の杯に銚子で酒を注いだ。
「ありがとう」
春藍は礼を言うと、一気に飲んだ。酒への耐性には、それなりに自信があった。
慶峻が隣で物欲しげに言った。
「俺にはないの?」
「では君には僕が」
トゥヤンが杯に酒を注いで、慶峻に渡した。慶峻はぐっと一息で飲むと、少し顔をしかめた。
「強いね、このお酒」
みるみるうちに慶峻の頬が紅く染まり、目がぼうっとする。
「君、案外酒に弱いね」
トゥヤンが意外そうに、慶峻を見つめた。
慶峻が飲むのが好きなわりに酒が得意ではないのは確かだが、トゥヤンが用意した酒も強かったのではないかと、春藍は思った。
「ほら、君は俺とこっちへ」
酔っぱらった慶峻とお酌をするトゥヤンをよそに、アルジェイは春藍の服を引っ張り歩き出した。
春藍はハルグート族が集まって飲んでいる場所に案内された。皆飲み食いし、にぎやかに歌い踊っている。
だが耳慣れない異国の歌の旋律は楽しげでも、どこかに寂しさや望郷心を感じさせるものがあった。
――これは挽歌だ。
春藍はそう直感した。
アルジェイは焚き木のそばに蓆を二つ置き、一つは自分が座りもう一つは春藍に座らせた。
アルジェイの浅黒い肌が暗闇に浮かび上がる。ぼさぼさの白銀の三つ編みは月明かりに照らされ輝いていた。
着ている胡服はゆったりと仕立てられたはずであるが、肩幅の広いアルジェイにはちょうど良い大きさに見える。
空になっている春藍の杯に銚子で酒を注ぎながら、アルジェイはぽつりと言った。
「俺たちの風習では、こうして馬鹿騒ぎして死者を送るんだ。トゥヤンと仲直りできたのも、こうして晴れやかに死者が遅れるのも君のおかげだ。ありがとう」
アルジェイは本当に春藍に感謝しているようであった。伏せられた目は哀しみをくすぶらせていたが、吹っ切れた部分の方が大きいのか、声に不思議と暗さはなかった。
「礼を言っていいのか。私は利用したのだぞ。故郷を失ったお前たちの怒りを」
春藍はアルジェイの感謝に居心地が悪くなり、偽悪めいたことを言ってみた。アルジェイたちの状況に同情はしてもそれ以上のことは感じなかったせいか、自分が良い人間として扱われたことが何となく嫌だった。
アルジェイは胡坐をかいて酒を飲みながら、開き直って答えた。
「俺たちは弱小の部族だ。どうせ利用されるなら、気持ちよく戦えたほうがいい」
その言葉に自分たちを卑下する響きはなく、なぜか堂々としていた。アルジェイが持つ寛大な強さに、春藍はあっけにとられた。
「……そうか。ならば、よい」
酒をちびちび飲み、春藍はうなずいた。
「それでこれから、お前たちはどうするのだ?」
春藍はアルジェイに尋ねた。
アルジェイは赤い瞳で遠くを見て、答えた。
「半分はトゥヤンと故郷へ、半分は俺と共に君の軍に入るだろうな」
「せっかく仲直りしたのに別行動か。寂しくないのか」
春藍は呂国軍でのアルジェイとトゥヤンの関係を思い出していた。もしも自分への義理で二人が離れることになるなら、申し訳なかった。
アルジェイは肩をすくめ、星空を見上げた。
「俺は呂国と戦して妹を助けたいが、故郷を放っておくこともできないからな。だけど大丈夫。どこにいたって、親友は親友だよ」
アルジェイは杯を高く上げて、笑った。
「さぁ、君と俺も今日から親友……いや、義兄弟だ。もっと飲もう」
「アルジェイ、それはうれしいが私は一応女だぞ。義兄弟にはなれない」
苦笑する春藍に、アルジェイは頭をかいた。
「そうだったか? まぁ、些細な問題だろう」
春藍とアルジェイが酒を酌み交わした。
飲んでは話し、話しては飲むうちに、宴は終わりへと近づいていった。
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