第21話 殺戮の皇女
「何故だ。まだ破れないのか」
霄文の鋭い声に、乗っている馬がいなないた。周りの兵士たちは、不安げに視線を交わしあっている。
――先陣にはかなりの戦力を投入したというのにここまで防がれるとは、何かがおかしい。
五万の采国軍を率いる霄文は、予想外の敵の防御の厚さに後方で困惑していた。
連合軍である呂国軍四万人の、二つの軍の隙間という虚を突き突破する、というのが当初の作戦であった。そのために霄文は軍を細長く展開し、練度の高い兵を前方に配置したのである。
目論みどおり、始まりの攻撃は順調であった。だがしかし先鋒が敵の中心地に達したころから急に、兵が進まなくなった。虚であったはずの攻撃地点は、敵を倒しても新たな兵が姿を現し、なかなか突破できない。
前方から来るいくつもの良くない知らせに、霄文の胸の奥の疑念がはっきりとした形を持つ。
――これは……敵に策が漏れたな。
正確な攻撃地点をあらかじめ知っていたとしか思えない呂国軍の配備に、霄文は歯を食いしばった。漏洩した原因も気になったが、まずはこの事態を収拾しないことにはどうしようもなかった。
「将軍! 敵軍が両翼を張り出しています!」
伝令が、敵陣の様子を報告する。
――まずい、包囲する気だ。だが後退して間に合うのか?
霄文は敵の狙いに気づき、動揺した。全滅ではないにしろ、かなりの死傷者がでることになりそうであった。
部下に狼狽えていることを感づかれないよう平静を保って、霄文は命令した。
「両翼が展開すれば、中心の兵は少なくなる! このまま突破するぞ!」
それは賭けだった。
だが兵士たちはおぉと声を上げて従った。
――皆、わしを信頼しているのだな。
兵士たちからのその想いは、霄文にとっては重荷だった。だが霄文は、彼らの命を背負わなくてはならない。
空気を震わせて自軍が前進していくのを見つめ、霄文は覚悟を決めて馬に拍車を入れた。
その時、遠くから自分たちのものでも敵のものでもない鬨の声が響いた。
前方の兵士たちも、異変に気づきどよめく。
見れば、采国軍の旗と見慣れない旗をはためかせた一軍が、左方から平原を駆けている。
――あれは、春藍の部隊……?
砂煙を巻き上げて迫るその集団は、春藍が集めたハルグート族の軍であった。
本軍の苦戦を聞いてきて出てきたにしては早いと、霄文は思った。だが出陣の理由が不明であることは別にしても、その部隊の到着時期の絶妙さに霄文は驚いた。
春藍の軍が、霄文率いる軍を包囲しようとしていた呂国軍の右翼に騎射した。横殴りの強い雨のように、何十本もの矢が襲い掛かる。呂国軍はなすすべもなく勢いよく飛来する矢に倒れていった。応戦しようにも右からの攻撃であるので、呂国軍は馬の向きを変えなくては射返すことができない。
うろたえている敵に、春藍とハルグート族は容赦なく次の攻撃として二回目の騎射を与えた。騎馬民族であるハルグート族による騎射技術は、呂国軍とは比べ物にならないほど、正確で強力であった。
そして、皆それぞれの得物を振り上げての接近戦に入った。体勢の立て直しもできないまま、呂国軍は軽々と切り捨てられてゆく。
想定していなかった攻撃に、もともと複数の攻撃に弱い包囲用の陣形に展開していた呂国軍が崩れ始めた。戦意を失い、棒立ちになる呂国軍の兵士たち。その姿には、敗走寸前である。
霄文たちの軍は逆に、増援で力を取り戻し敵を打ち倒す。春藍の軍と霄文の軍は自然と挟撃の形となった。
――お前の強さを否定し続けたわしが、お前の強さに救われるのか、春藍……。
霄文は馬に乗って駆けながら、心は立ちすくんだ。
◆
鬨の声や剣と剣が触れ合う音が途絶えることなく鳴り響く戦場。焼けつくように熱い太陽も、ざらざらと不快な砂埃も、逆説的に春藍の戦意を高めていく。
馬を駆けさせながら、春藍は弓をきりりと引きしぼった。目につく中で一番上等な鎧を着ている敵に狙いを合わせる。上下する馬の調子に合わせて呼吸し、感覚を研ぎ澄ました。
「今だ! 射かけよ!」
春藍は叫び、ぱっと手を離した。後ろで従うハルグート族の男たちからも一斉に、矢が放たれる。
矢は呂国軍に降りそそぎ、射たれた敵が馬から落ちた。矢があたり暴れる馬もあった。
春藍の矢はまっすぐに飛んでいき、狙い通りに上等な鎧を着た男ののどに深々と突き刺さった。自分が死んだことを理解しないまま、馬に覆いかぶさるように倒れる男。馬は死体を乗せたまま走っていく。
春藍とハルグート族は奇襲の成功に歓声を上げた。素早く二射を構え、叩き込む。抵抗する暇もなく、呂国軍が射ち落された。おもしろいほどによく当たるので、次々に春藍たちは矢を放つ。
敵が疲弊しきったところで、春藍とハルグート族は距離を近づけた。春藍は空に鉄槍を振りかざし、勇ましく声を上げた。
「全騎抜刀! 誇り高き狼の末裔に告ぐ。私に続け!」
春藍は、先陣に立って敵に斬り込んだ。一つ結びの硬質な黒髪が弧を描いてなびき、赤い鎧が炎のように太陽に照り映える。白い外套は羽のように風にはためいた。
「承知した!」
アルジェイとトゥヤンが、威勢よく返事をした。後ろを駆ける男たちもうなり声を上げ、敵の中へと飛び込んでいく。
勢いよく駆けながら、春藍は馬上から自慢の鉄槍で歩兵を薙ぎ払った。騎馬兵の敵も、反撃を許さない速さで突き息の根を止める。
その姿は、さながら武神・毘沙門天のような苛烈さがあった。返り血を浴びた顔は活き活きと輝き、瞳には異様な光が宿る。口元には笑みすら浮かんでいた。
両脇に従うアルジェイとトゥヤンも柄の長い大刀を鮮やかにとり回し、周りの兵士を打ち倒す。銀髪と黒髪の対照的な外見ではあるが、同じ黒い鎧に身を包み同じ赤い色の眼を持った二人。彼らは表裏一体の獣のように敵を蹴散らした。
先陣をきる三人の勇猛さにはずみのついたハルグート族は皆興奮し、恐れることなく敵陣深くまで流れ込む。
敵は春藍たちの恐ろしいほどの強さと士気の高さに戦慄し、逃げ出した。連鎖的に呂国軍全体が敗色に包まれる。怯え潰走する敵兵に、春藍は容赦なくとどめをさした。
崩壊する軍の中であっても、まだ心を折っていない武将がちらほらとはいた。
「おのれ采国軍め、覚悟!」
指揮官であろう大男が春藍に背後から近づき、剣をその頭上に振り落とそうとする。
殺気で攻撃を感知していた春藍は、振り向きざまに片手で隠し持っていた多節棍を懐から取り出し、大男にぶち当てた。
多節棍は、旅に出る前に親友の蘇唯寧から購入した武器であった。長短の棍を鎖で繋いだそれは、不規則な挙動で男に向かう。
男は柄である長い棍を剣で防いだが、鎖で繋がれた短い棍によって兜のすぐ下の眉間を打たれて、白目をむいて倒れた。
「唯寧の言っていた通り、この武器はかわしにくいのだな!」
思い描いていた通りの新兵器の結果に、春藍は高笑いをした。もはや春藍の前に敵はいなかった。そこにあるのはただの逃げたり反抗したりする動く的であった。
春藍が進撃を続けると、敗走する自軍を立て直そうと躍起になっている呂国軍の将軍らしき男に出会った。男はひげをもじゃつかせた中年で、豪奢な鎧に身を包んでいた。
春藍は鉄槍を廻転させながら、馬を男に向けて速度を上げた。かなりの重さがある鉄槍は、びゅんびゅんと低い音をたてて回る。
「李春藍、見参!」
春藍は叫び、男に突進した。男は春藍の存在に気がつくと、戟を構えてにらんだ。
「させるか、小童!」
半ばやけくそになった男が戟を繰り出した。
春藍は姿勢を低くして戟を避けた。そのまま間合いをつめながら、春藍は穂先近くに握りなおした槍を男ののどに突きたてる。
鮮血がほとばしり、春藍の鎧を汚した。しかし鎧はもともとが赤かったので、色が変わることはなかった。
春藍が槍を無造作に引き抜くと、絶命した男は目を見開いたまま仰向けに倒れ、落馬した。乗り手を失った馬に踏みつけられ、男の亡骸が砂煙に消えてゆく。
「敵将、討ち取った!」
春藍は血に染まった鉄槍を掲げ、高らかに勝鬨を上げた。周りにいるハルグート族の男が呼応して、おぉと声を上げる。
――伯父上。これでやっと私は、あなたの隣に立てましたよね。
霄文のために戦うことができる歓喜に震える春藍。体は軽く、どこまででも駆けていけそうな気持ちがした。
攻撃を激しくし、春藍とハルグート族はさらに戦った。それは日が傾きだすまで続く、一方的な勝ち戦なのであった。
◆
春藍が率いる一軍が敵を蹴散らしていくの眺めながら、霄文自身もまた槍と弓で応戦していた。
霄文は特に的を定めずに弓を引き、牽制の意味を含めた矢を射た。
「勝敗は決した。深追いはするな」
霄文は配下の兵士に、敵を追い詰めすぎないように注意した。あまりにも極端すぎる勝利は逆に後の争いの種になることを、霄文はよく知っていた。
「かしこまりました!」
兵士たちは逃げるものには手ひどい攻撃は加えず、ほどほどに戦った。
――先ほどまでは敗戦を覚悟したというのに、春藍が姿を現した途端、勝ち戦か。凄いものだ。
霄文は数日前に初陣を迎えたばかりの姪の、人外めいた強さに思わず舌を巻いた。それはまぎれもなく、一騎当千と言える働きであった。
春藍に武芸を仕込んだのは霄文であるので、その才能のすさまじさは霄文が一番良く知っている。それでもなお、春藍が今行使している力は霄文の予想を遥かに超えていた。
春藍が今まで強さを見せてきたのは、所詮訓練上のことである。いくら春藍が武芸に優れているとはいえ、実戦ですぐにここまでの戦果をあげるとは霄文は思っていなかった。
霄文はため息をつき、矢をつがえた。鎧の下の体は、姿勢よく伸びた背中も鍛えられた腕も齢のわりにまだ若々しかったが、表情には年老いたものの複雑さがあった。
――春藍。お前のその強さは、いつかお前自身を滅ぼす。だからわしは、お前に戦場とは縁のない生活を送ってほしかったのに。
霄文の瞳が憂いを帯びる。目の下にはうっすらと隈がうかび、憔悴をひそませていた。
霄文は春藍のその天性の戦の才能に気づいた時から、それが災いを呼ぶことを危惧していた。
強すぎる力の代償は大きく、背負う業も重い。だからこそ、春藍が戦に出ることがないよう努力してきたのである。
――だがお前はわしを追う。遠ざけても、遠ざけても……。
霄文の脳裏に、春藍の笑顔が浮かぶ。恐れを知らない向こう見ずな少女のまっすぐさと不釣り合いな、その軍才。
そしてその力を見出したのは、霄文自身なのである。
霄文は奥歯を噛み、遥か遠くを見た。
――戦のない世というものがあるのなら、そこはわしのような種類の人間は存在できない場所なのだろう。だが春藍、わしはお前にはそこで生きられる人間でいてほしいのだ。
戦場には風が吹いていた。それは采国軍にとっては追い風であり、春藍の勝利を祝福しているようであった。
霄文はかぶりを振って、矢を放った。
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