第20話 出陣は突然
霄文が呂国軍に攻撃を仕掛けているその日、春藍はいらいらしながら二度寝をしていた。軍議で決まった作戦に反するほど子供ではないが、すべてを受け入れられるほど大人ならそもそも西域まで追いかけたりはしない。
大分日が昇ったのか、天幕の布越しでも太陽の光が明るく感じられた。空気が乾いているせいでのどが痛むのが、春藍には不快だった。布団を被ってうだうだと寝返りをうっていると、外から騒ぎ声と、聞きなれた甲高い声が聞こえた。
「姫! 起きてるんでしょ。ちょっと来てよ」
ため息をついて、むくりと起き上がる。寝間着の上に一枚羽織り、髪の毛を結ばず下ろしたまま、春藍は外に出た。
「何だ、騒々しい」
あくびをこらえながらあたりを見回すと、そこには倒れた痩せ細った男に剣を突きつけている慶峻と、それを遠巻きに見ている兵士たちがいた。
慶峻は春藍が出てきたことに気づくと、微笑んだ。
「あ、姫。内通者が見つかったよ」
「内通者? この男が?」
疑いの目で春藍は男を見た。采国軍の鎧を着たその男は、顔色が悪く目をきょろきょろさせながら地面に倒れている。
「挙動不審な兵士がいるなぁって思って捕まえてみたら、あっさり吐いたよ。ねぇ、内通者の人?」
慶峻が残酷な笑みを浮かべて軽く腹を蹴る。
「話すことなど……、っ……」
男はそう言うと、口をぱくぱくさせて目を開いたまま、がくりと倒れた。
「死んだ……?」
春藍は今まで見たことない死に方に動揺し、たじろいだ。
しかし、慶峻は顔色一つ変えずに男の顔を持ち上げ、死因を探った。
「自害用に毒でも隠し持ってたのかな」
無造作に男の頭を地面に落とすと、慶峻は体を起こし手をぱんぱんと払った。太陽が薄汚れているはずの深衣を白く照らす。その姿は本物の天女のように美しく、そして冷たかった。
今起きた出来事が何でもなかったみたいに、慶峻がいつも通りに春藍に話しかける。
「そういうわけで、この前の軍議で決まった策、あれ全部敵に知られたから」
話を聞いていた周りの兵士たちが、どよめく。
「では、伯父上たちは……」
春藍は我に返って、霄文の身に危険が迫っていることに気がついた。霄文は内通者がいたことを知らない。策が漏洩した状態でそのまま戦うことは、非常に不利なことであった。
「うん、このままだと負けるよ」
風に白い頭巾を揺らし、慶峻がこくりとうなずく。
慶峻の言葉を聞いた春藍の瞳に、一瞬で闘志が宿る。
――こうしてはいれない。伯父上にもとに行かねば!
春藍は上着を翻し、慶峻に命令した。
「慶峻、アルジェイとトゥヤン達を呼んでくれ。出陣の支度だ」
「御意に、姫」
妙に丁寧に手を組んで、慶峻が受け答える。
春藍はその態度に何か引っかかりを覚えたが、特に気にすることなく寝衣から着替えに幕舎に戻った。
春藍は鎧に着替え、ハルグート族のもとへ向かった。慶峻に取り戻させた鉄槍を肩に担ぎ、闊歩する。使い慣れた鉄槍はよく手になじんだ。
本陣で揃えた鎧は赤で統一してあり、身に着けるだけで勇ましい気持ちになった。鎧の赤とは対照的に白い外套が風にひらめき、心をさらに心を高揚させる。
到着してみると、ハルグート族の男たちは戦支度を整え、皆整列して春藍を待っていた。
春藍が姿を現すと、男たちの雑談がぴたりと止む。
最前列で指示を出していたアルジェイとトゥヤンが、春藍に駆け寄った。二人はおそろいに仕立てられた黒色の鎧を着ており、まるで本物の兄弟のようであった。
「いよいよだな、春藍」
「このまま終わるのかと、思っていたよ」
二人は普段と変わらぬ様子で、春藍に声をかけた。だがその言葉の裏には、静かに燃える復讐への意思があった。
「慶峻は、いないのか」
慶峻の姿が見えないことを不安に思った春藍が、二人に尋ねた。
「さっきまでここにいたけど、今はいないな」
アルジェイも不思議そうに答えた。
春藍はもう一度あたりを見回したが、慶峻はいなかった。
――もともとあいつは戦場で動く種類の人間ではないし、まぁいいか。
春藍はあきらめ、ため息をついた。
頭を切り替え、春藍はアルジェイとトゥヤンを両隣に従え、ハルグート族に演説を始めた。こういうときのために、シャラーレフはハルグート族の言葉を少し学んでおいた。
「ハルグート族の友よ、私に従ってくれることを、うれしく思う」
春藍は深く息を吸った。次が大切な部分だと思われた。
「我々が今から戦うのは先日と同じように、お前たちの父母を、弟妹を、子供を、奪った者どもだ」
ハルグート族の男たちに、緊張感が走る。浅黒く彫りの深い顔が、皆一様に厳しさを増す。彼らは故郷を失っているのだ。
春藍は真剣なまなざしで、言葉を発した。
「私はお前たちに命令する必要はないと考える。なぜなら私がお前たちに頼むのは、お前たちが願ってやまなかったことだからだ」
その場の持つ空気がねっとりとした熱を孕みはじめているのが、春藍にははっきりと感じられた。春藍は火に油を注ぐような気持ちで、大声で言った。
「ただ今日は思う存分、先日の復讐の続きをすればいい。私が求めるのは、それだけだ」
春藍が言い終えると、男たちは鬨の声を上げた。
「ありがとう、春藍。こういう機会をくれて」
鬨の声の中で、トゥヤンが春藍にそっと伝えた。最初に会ったときからは、想像もできないような心を許した顔だった。
「きっと、勝つ。俺たちは」
アルジェイも怒りを昇華させた静かな決意を秘め、春藍に誓った。
「頼もしい仲間が増えて、私は幸せだよ」
春藍は二人に微笑みかえすと、前に向き直って鉄槍を空に掲げた。
「いざ、戦場へ!」
春藍が叫ぶと、歓声はより大きくなった。アルジェイとトゥヤンも、声を上げていた。
青く澄み渡った空に、鬨の声が轟くように鳴り響く。
――戦の何たるかなんて、私にはわからない。今はただ、伯父上のために戦いたい。
春藍の気持ちに、迷いはなかった。
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