第18話 軍議の決定
次の日、薄茶の布を大きく広げて作られた天幕の下で、春藍と慶峻、そしてアルジェイとトゥヤンは軍議が始まるのを待っていた。
霄文と春藍の言い争いの結末はともかく、ハルグート族はめでたく采国との同盟を認められたのである。
――さすがの伯父上も、今回の私の戦功は無視できまい。次こそやっと、私は伯父上と共に戦うことができる。
初めて正式に軍議に参加できることに、春藍は心を躍らせた。霄文と喧嘩したことを忘れたわけではないが、やっと戦列に加えてもらえることへの喜びの方が勝っていた。
天幕の中心には大きな机があり、地図が広げられている。机の周りには床几がいくつも置かれ、ばらばらと武官たちが集まっていた。皆、正体がよくわからない新参者である春藍たちを不思議そうな目で遠巻きに眺めている。
周りの視線を気にしていない様子のアルジェイが、隣に座る春藍をまじまじと見つめて言った。
「妙に遠慮のない男だとは思っていたが、まさか君が本当にお姫様だったとはな」
「皇帝の娘だったことよりも、性別が女だったことに驚きだよ、僕は。漢人の女は皆こうなのか?」
トゥヤンがアルジェイの横から、疑いの眼で春藍を見る。
「姫はいろいろと規格外だからね。驚くのも仕方がないよ」
後ろに座る慶峻が、幼なじみらしく理解者ぶってみせた。
春藍は腕を組み、小声で三人をたしなめた。
「三人とも私を姫と呼ぶのは控えろ。今の私は都から伯父上を追ってきた念弟ということになっているんだ」
「ネンテイ……?」
語彙にはない言葉に、アルジェイが首をひねった。
「男色の相手、って意味だろ」
トゥヤンが、苦々しい顔で答えた。胡人であるトゥヤンが知っているには不自然な単語だが、おおかた呂国軍で誰かの念弟にされかけて覚えたのだろう、と春藍は推測した。
アルジェイは親友の気鬱に気づくことなく、目を丸くした。
「君は自分の夫の浮気相手のふりをしているのか。斬新だな」
「だって姫という身分じゃ、戦に使ってもらえないかもしれないからな。敵に捕まるも逆に味方を増やして戻ったという武勇伝つきの念弟の方が、行動しやすい」
春藍は誇らしげに笑った。自分を戦に参加させざるを得ない状況を作り出すことができたと、春藍は満足していた。
「相変わらず、姫は不確実な物事に気づかずすごい自信だね」
慶峻が長いまつげの奥の薄茶の瞳を生暖かくきらめかせた。
不確実とはなんだ、と春藍が言おうとしたとき、天幕の入り口の布が上にあがった。簡略的な鎧を着た霄文が、若い幕僚を連れて入ってきたのだ。
――やはり、私の伯父上は素敵だ。
春藍は改めて、夫である霄文の格好良さを認識した。質素だが上等な衣に包まれた鍛えられた体、精悍かつ知的な顔立ち、きちんと結われた白髪の混じり黒髪に冷静さと情熱を兼ね揃えた瞳。そのすべてが、春藍にとってはまぶしい憧れだった。
霄文が将軍らしい風格で堂々と床几に腰を下ろす。幕僚の青年はその後ろにつき従うように立っていた。
「皆の者、注目していただきたい。今から軍議を開始いたす」
霄文が重々しいがよく通る声で、会議を始める。
「と申しても本日は、すでに決まったことを話すだけであるが――」
霄文はそう付け加えると、後ろに立っている青年を一瞥した。
青年はうなずくと、机に置いてあった駒を地図上に並べた。自軍は赤、敵軍は東側が青で西側は緑に色分けされている。
霄文は前方に突出した形に並べられた自軍の駒を真っ直ぐに進め、敵軍の色分けの境目にぶつけた。
「敵は呂国軍と莫族軍の連合軍であるので、東西で指揮が異なる。二度目の攻撃で我々はその間を一点突破し、敵軍を分断、崩壊させる」
落ち着き払った態度で、霄文は攻撃の説明をした。
――なるほど。伯父上は戦力の集中運用という形で敵の虚、つまり指揮系統の未統一を突くわけだ。
春藍はかつて霄文から教わった兵法の内容を思い出しながら、その策に耳を傾けた。
武官たちも、粛々と話を聞いていた。
霄文はひととおり作戦について述べると、幕僚の青年に書簡を渡した。
「配置は以下の通りとする。太尉」
太尉と呼ばれた青年が、書簡を受け取り次々の隊の名前とその配置を読み上げる。名前を呼ばれた武官が、丁重に返事を返していくが、なかなか春藍たちの名は呼ばれなかった。
――まだ我々の名は呼ばれないのか。
春藍がやきもきしていると、最後にやっと青年はハルグート族の配置を告げた。
「ハルグート族の方々は、残留し本陣の守護となります。以上」
青年が書簡を巻き取り、前を向いた。
――は? 残留だと?
春藍は耳を疑った。
「以上で、軍議は終わりとする」
霄文がさっと立ち上がると、周りの武官が一斉に手を組み礼の姿勢をとった。春藍も形式的に同じように動いたが、その瞳は霄文を静かににらみつけた。
――伯父上……。あなたはそうまでして、私を戦から引き離すのですね。
霄文が春藍を見下ろし、二人の目が合う。霄文は冷静沈着な将軍の顔のままで、何を考えているのか春藍にはわからなかった。両者は無言で見つめ合ったが、やがて霄文の方が目をそらした。
そして青年を後ろに従え、霄文は天幕を出た。
霄文が去ると、武官たちは緊張をとき、軍議の結果について感想を話し合った。
やはり話の流れをわかっていない様子のアルジェイが、春藍に問いかける。
「春藍、結局俺たちはこの戦で何をするんだ?」
「何もすることがないってことだろ。何をきいていたんだ」
トゥヤンがいらいらとアルジェイを小突く。
「残念だったね。姫」
慶峻が後ろからそっと春藍の耳元で囁いた。この結果を見通していたような、ゆるやかな微笑。
春藍の三人の臣下はそれぞれの反応を見せたが、その言葉は春藍の耳には入ってこない。春藍はもう、霄文のことしか考えられなかった。
――もしかして、伯父上は、私を好いてくれてはいないのか?
春藍の頭の中には、自分は霄文に邪魔だと思われているのではないかという疑念が生まれつつあった。
春藍は、霄文の真意が聞きたかった。だが軍議の結果にふてくされていたので、その後しばらく霄文と口をきくことは一切なかった。春藍は一人で霄文のことを考えた。
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