第16話 鮮烈な初陣

 数日後、初めて涼州で初めて采国と呂国が戦火を交えていたそのとき、春藍とハルグート族は伏兵として岩山の影に潜伏していた。

 高低差のある地形での馬の扱いに特に慣れたハルグート族は、捕虜ではあるが伏兵として選ばれたのである。

 春藍は本来はこの場に配属されていない捕虜であったが、軍営を抜け出して上官には無断で着いてきた。少しの大きめの兜を被っていれば、その素顔に気づくものはいなかった。


 白っぽい青空の下、赤茶色の平原が遠くまで広がっていた。黒い大きな影のように広がる二つの軍勢がぶつかり、戦の喧騒が響き渡る。

 春藍は岩山の上で身を屈め、その様子を見ていた。


 ――これが、戦……。

 生まれて初めて見る本物の戦争に、春藍は血が沸き立つのを感じた。風に飛ばされた砂が顔に当たるのも、気にならなかった。


 後ろから、上官である兵士の声が聞こえる。

「本陣から合図が来たら、采国軍に仕掛けるのだ。いいか、わかったな」

「はい」

 求められるまま、返事をするアルジェイ達。


 ――そう、合図で仕掛けるのだ。私たちは。

 春藍は自分の馬に戻りながらこれから行うことについて考え、心の内で笑った。

 戦の前のぴりぴりした空気の中で、アルジェイやトゥヤンたちも目を鋭く光らせていた。皆、支給された鎧と武器を身に着け、馬に乗って待機している。


 鎧は古びており、ところどころ必要な紐がついていなかったり部品が外れていたりしていたが、革製で動きやすく機能的である。

 ――呂国の技術も捨てたものではないな。

 ぼろぼろでみずぼらしい鎧ではあったが、春藍はその身軽さを気に入った。


 春藍たちが押し黙って動くときを待っていると、目をこらして本陣を見ていた一番視力の良い兵士が、声を上げた。

「属長、本陣で旗が振られました! 今だそうです!」

「よし、攻撃だ!」

 指揮官の兵士が怒鳴り、春藍とハルグート族に命令を下す。


 それを受けた春藍は、後ろを振り向き大きく叫んだ。


「ハルグート族の民よ! 攻撃だ! 狙いは……呂国軍本陣!」


「何?」

 指揮官の兵士が、驚きの声をあげる。


 彼が状況を理解するよりも先に、春藍は素早く剣を抜いて指揮官の喉を掻っ切った。

 ぱっくりとわれた首から血を吹き出し、指揮官はどうと馬から落ちた。


 ほぼ同時に、アルジェイとトゥヤンが仲間以外の兵士を始末する。


 頬についた生暖かい返り血はそのままに、春藍は剣を空に突き上げた。

「鬨の声を上げろ!」

 春藍の言葉は漢語であり、ハルグート族の男たちには通じない。

 しかし、だいたいの雰囲気で伝わったのか、男たちは声を轟かせた。どの者も落ちくぼんだ目をぎらつかせており、高い士気が感じられた。


「一気に行くぞ!」

 春藍は声を張り上げると、ほぼ崖に近い岩山を勢いよく駆け下りた。馬がいななき、蹄に踏みつぶされた小石が跳ねる。


 アルジェイとトゥヤンも部族の言葉で何やら叫びながら、土埃を舞い上げ後に続いた。


 ――伯父上。今、春藍はあなたと並び立ちます。


 春藍はハルグート族の男たちの乗った馬数百騎を後ろに従え、呂国軍の本陣へ突っ走った。





 数刻後、采国軍では後方で指示を出していた霄文が、敵が勝手に総崩れになり退却していくのを不安げに眺めていた。周りの兵士も、想像していたものとは違う展開に呆気にとられていた。


 伝令の兵士が、倒れ込むように霄文の前にひざまずく。兵士の勢いに、砂煙が上がった。

「ご注進申し上げます。敵の一部が叛乱し、相手は総崩れの模様! 敵は退却し、寝返った軍がこちらに向かっています」

「何? 仲間にでもなるというのか?」

 霄文が驚き、声を上げる。


「呂国軍を敗走させたとはいえ、彼らは少数です。我らとも戦うつもりだとは思えませんが……」

 伝令はうつむき、言葉を濁らせる。


 ――何者なのだ、やつらは。

 霄文は外套を翻して手をかざし、敵陣を見つめた。

 しばらく目をこらしていると、こちらに走り抜けてくる一軍が見えた。それが近づくにつれて、霄文はその先頭に立つ人間に見覚えがあることに気がついた。


 ――まさか。


 高い位置で結った黒髪に彫りの深い精悍な顔立ち、自信に満ち溢れた好戦的な瞳。


「春藍……!」


 敵を崩壊させて走ってくるのは、まぎれもなく霄文の姪であり新妻である、李春藍であった。

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