第15話 星空の同盟
数日後の夜、春藍はアルジェイを連れ出し、他の兵に見つからないように注意しながら軍営の外に向かっていた。
「こんな夜更けにどこへ行くんだ?」
アルジェイは眠たそうに目をこすり、春藍の後をついて歩く。
「お前に会わせたい人がいて、聞かせたい話があるんだ。あ、いたいた」
春藍は森の奥に慶峻の姿を見つけ、声をあげた。慶峻の隣には、黒い髪の青年――トゥヤンが立っていた。
「会わせたい奴って……、君は何を?」
トゥヤンの存在に気付いたアルジェイは、いぶかしむように春藍の顔を覗き込んだ。
だが春藍がアルジェイの問いかけに答えるよりも早く、慶峻がのんきに二人に呼びかけた。
「姫、言われた通りトゥヤンって男を連れてきたよ。ほら、もう声を出しても斬らないから何か言ったら」
慶峻はトゥヤンの体の後ろに突きつけていた曲刀を鞘にしまった。どうやら脅してここまで連れて来たらしい。
トゥヤンは後ろに立つ慶峻を苦々しく一瞥し、春藍もにらみつけた。
「妙な男に脅されて来てみれば、貴様の仲間か。アルジェイと僕を、どうするつもりだ」
「どうって、別に危害を加えるつもりはないよ。むしろお前たちのためを思って、本当のことを教えに来てあげたんじゃないか」
春藍はアルジェイの肩を抱き、トゥヤンに笑顔を向けた。アルジェイはけげんそうに春藍を見る。
「本当のこと……?」
まだ話が見えていないといった感じのアルジェイの反応。
春藍はアルジェイとトゥヤンの両方に聞こえるように、はっきりと声を出した。
「お前たちハルグート族の土地についてだよ」
アルジェイとトゥヤンの顔が、さっと暗くなる。二人は目くばせし、春藍と慶峻の顔を交互に見た。
「知りたければ、ついて来い」
春藍はアルジェイとトゥヤンに背を向け、歩き出した。
「ほら、さっさと歩く歩く」
戸惑う二人の背中を、慶峻が押し出す。
森の中をしばらく進み、三人は呂国軍の高位の武人たちが宴をしているのを岩陰から見ることができる場所についた。
天幕のない夜空の下に机を並べ、男たちが六人ほど並んで座っている。机の上には酒や果物、燻製肉などが載っていた。
不安げな顔で意図を問いかけるアルジェイとトゥヤンに、春藍は宴の男たちをあごで指し、彼らの話に耳を傾けることを促した。
「莫大人殿、この度は鎮西大将軍ご就任、おめでとうございます」
ひげ面の男が杯を掲げて、景気よく笑った。
大人というのは、部族長を意味する称号である。大人と呼ばれた若い男はどうやら莫族の族長であるらしい。
男は周りよりも格下なのかうやうやしく受け答えた。
「かたじけない。これもあなた様たちが皇帝に口添えしてくれたおかげです」
髪の薄い男が酒をすすりながら、若い男に尋ねる。
「大人殿は、今回のご昇進で何でもハルグート族の地を手に入れたとか」
春藍はそのとき、アルジェイとトゥヤンの肩が震えたのを感じた。二人は険しい顔で、男たちの様子を見つめている。
小刀で瓜を切りながら、莫族の族長である若い男が顔をしかめた。
「えぇ。だけどあの土地は駄目ですよ。流行り病でほとんどの民は死に絶えましたし、土地も痩せてて価値がありません」
「死に絶えた」という言葉に、アルジェイは大きく目を見開いた。トゥヤンも顔を青くする。
春藍も想定していたよりも救いようがないハルグート族の現実に驚き、言葉を失った。
――慶峻からこれでだいたいのことがわかると聞いて来てみれば……、思ったよりも、深刻な状況だったみたいだな。
春藍は、守るべきものと帰る場所を同時に失い狼狽えるアルジェイとトゥヤンを気の毒そうに見た。二人はただ茫然と、宴に参加している武官たちの残酷な会話を聞いていた。
春藍が再び宴の様子に視線を戻すと、髪の薄い男が新しい酒の壺の封を切っていた。
「何と、流行り病が……」
残念そうに髪の薄い男がつぶやく。
莫族の族長は口元を歪めて笑い、付け加えた。
「あの土地で唯一価値があったのは、アルタとかいう前族長の娘くらいです。数少ない生き残りでそこそこ美人だったから、皇帝に献上しときました」
「さすが大人殿、抜け目のない」
ひげ面の男が、ニヤニヤと笑った。
――アルタというのは、確かアルジェイの妹だったよな。
春藍は横目でアルジェイを見た。アルジェイは宴の男たちを凝視し、まだ固まっていた。
「ハルグート族の男は我が軍にも編入されていたが、彼らはそのことを知っているのか」
一番位が高そうな小太りの男が、酒を一気に飲んだ後で、きいた。
「知らせているわけないでしょう。知ったら彼らは裏切りますよ。どうせ奴らは采国との戦いで死にます。せいぜい夢を見させておけばいいんです」
莫族の族長は、空になった小太りの男の杯に酒を注ぎながら笑った。
カチャリと、春藍の隣で剣を抜く音がした。見ると、トゥヤンが宴の出席者を斬りに入ろうとしていた。
春藍はトゥヤンを押しとどめ、静かに言った。
「やめとけ。今ここであいつらを斬り殺したところで、何も変わらない」
口を開きかけるトゥヤンを遮り、アルジェイが春藍に迫って苦しげにささやいた。
「では、何をしたら変わるんだ? 俺たちはすべてを失ったのに」
手負いの狼がうなるような、アルジェイのかすれた声。そこには悲痛な響きがあった。
春藍はここぞとばかりに、血筋の高貴さゆえの生まれ持った威厳を発揮した。
「私についてこれば、歴史が変わる。滅んだ国はもう戻らない。だが、お前たちは誇り高い部族の生き残りとして勝利者側につける」
春藍の声はつぶやき声だったが、人の上に立つ者としての貫録があった。
アルジェイは、早くも畏怖を感じた瞳で春藍に問う。
「春藍、君は何者だ?」
「私は采国皇帝の長女、李春藍だ」
暗闇に怜悧な瞳を光らせ、春藍は厳かに自分の正体を告げた。
「我が国に勝利をもたらすため、私は仲間となる人間を探しに敵地に潜入していた」
春藍はアルジェイに手を差し伸べ、同盟を申し出た。
「ハルグート族の前族長の息子アルジェイとその従兄弟トゥヤン。お前たちの力を貸してほしい。どうか、この手をとってくれるか?」
アルジェイもトゥヤンも黙っていた。春藍を信頼に足る人物か量るように、見つめる。
慶峻は春藍の身分の高さを演出するかのように、後ろにつき従った。
しばらくしてアルジェイが決心を固め、春藍の手を握った。前族長の息子にふさわしい堂々とした態度で、協力に同意する。
「……わかった。君が滅びゆく民の最後の一人になる以外の道を指し示すのなら、俺たちはそれに賭けよう」
トゥヤンもアルジェイにならい、春藍にひざまずき敬礼をした。
「ありがとう。きっと満足させる」
春藍はささやき声だがはっきりと誓った。
星空が四人の姿を淡く照らす。
この日、呂国人と莫族人の宴の談笑が響く中、采国皇帝の長女とハルグート族の前族長の息子は同盟を決めたのである。
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