第14話 密会は深夜
采国と呂国の西域をめぐる戦が近づきつつあったある夜、捕虜用の幕舎の中で眠っていた春藍は、人の気配を感じ目を覚ました。音を立てないようにして起き上がると、白い頭巾をかぶった人影が、暗闇の中で近くに立っていた。
「こんばんは、姫」
空気に溶けてしまうくらいのささやき声で、慶峻は小さくあいさつした。
「慶峻」
春藍は久々に会った伴を見上げた。息を吸うように自然に、敵陣に侵入し立っている慶峻は、やはり優秀な臣下であると思った。
「一度、外に出ようか」
慶峻は周りで眠っている男たちの様子を伺い、そっと口に指を立てた。春藍は何も言わずに立ち上がり、慶峻とともに外に出た。
あまり人の近寄らない軍営の隅に移動し、二人は改めて向かい合った。かがり火のない暗がりだが、星の光に照らされて二人はお互いの姿を見ることができた。
「元気そうでよかった。ま、姫が捕虜生活ごときでどうこうなるとは思ってなかったけど」
慶峻は頭巾の下の端正な顔をほころばせた。土埃に汚れた春藍を面白がるように眺める。
自分と違い変わらずさっぱりしたままの姿の慶峻に、春藍は冗談っぽく愚痴を言った。
「私だって一応音を上げたくなったぞ、ご飯はまずいし退屈だし」
「でも、収穫はあったんだよね」
春藍の言葉に満足げな響きを感じたのか、慶峻が薄茶の瞳が探るようにきらめく。
春藍を持って、自分の成果を言って聞かせた。
「まぁな。あと一押しで、寝返ってくれそうな者たちを見つけた。ハルグート族という、呂国に隷属している弱小部族だ。呂国と対等な同盟関係にある莫族と違い虐げられているから、我々の頼みも聞いてくれるかもしれない」
「さっき天幕で寝てた人たち? なんかすっごくこき使われている感じがしたけど、よく我慢してるね」
「故郷に残した女子供を人質にとられているんだ、彼らは」
春藍はそっけなく答えた。妹の名前を教えてくれたときのアルジェイの顔を思い出すと複雑な気持ちにはなるが、春藍にとっては所詮他人事であった。
「なるほど。じゃあ、もしも故郷がもう取り戻せないとすれば……」
寝返らせるための条件を素早く計算する慶峻に、春藍は言った。
「呂国と莫族が、彼らに故郷を無事で返せると思うか?」
アルジェイ達の故郷は、別の人間の手に渡るなどしてすでに失われているのではないかと、春藍は考えていた。
慶峻は夜風にゆったりとした深衣をゆらし、木の柵にもたれた。
「俺がそこを調べるってわけね。そして彼らに真実を教え、反旗を翻させる」
「そういうことだ。そのとき彼らは、きっと私たちの仲間になってくれる。私はハルグート族の男たちを引き連れ、伯父上のもとへ行く」
アルジェイとトゥヤンの二人を従わせることができるという確信が、春藍にはあった。手ごたえを、感じていた。
「それじゃ今度は俺が得た情報だね」
細く繊細な茶髪を指でいじり、慶峻は調査の結果を話し出した。
「采国軍は予定よりも二週遅れで国境についたよ。この前忍び込んできた。疫病が流行ってたりとあんまり調子よくないね」
「伯父上のご様子は?」
不安げに慶峻に尋ねる春藍。
「遠くから見たよ。陰鬱な顔したけど、健康上の問題はなさそうだった」
慶峻の報告は淡々としたものだったが、春藍はひとまず息をついた。
「そうか。早く伯父上のもとに馳せ参じたいものだ。慶峻、さっき言ったことを大急ぎで調べろ、今すぐにだ」
高飛車に命令する春藍に、慶峻は軽く笑って面倒くさそうな言い方をした。
「わかったよ。まったく姫は人使いが荒いんだから」
ふわりと、慶峻がもたれていた木の柵から離れる。気がつけば、慶峻の姿は見えなくなっていた。
「さすが慶峻。消えるのが早い」
春藍は満足げに微笑み、静かに天幕に戻った。
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