第12話 友情と事情

 それから毎日、春藍はアルジェイたちとともに城造りに従事した。朝は早く、休みも少なく働き通し。夜はやることがないので早い。そんな退屈な重労働な日々に、春藍はすぐに飽きてしまった。

 アルジェイと男たちは故郷や家族への想いでこらえているようであったが、今まで好きなように生きてきた春藍には耐えがたいものであった。


 春藍とアルジェイたちの労働の甲斐があって石垣が完成に近づいたころ、トゥヤンが呂国の高位の武官とともに現場にやって来た。

 呂国の派手な鎧を着て歩くトゥヤンと武官の姿は立派で、遠くからでもよく見えた。


 トゥヤンの姿が見えると、ハルグート族の男たちは一瞬手を止めた。冷たい空気が一帯を支配する。


「何しに来たのだろう」

 春藍は、天秤棒で石を運ぶアルジェイにそっと小声で聞いた。

「新しい工程を説明しに来たんだ。部族の言葉しか通じない奴も多いから、こういうときにはトゥヤンが話すんだ」

 アルジェイは、表情を変えずにトゥヤンをじっと見ていた。


「お前たち、何を見ている。作業に戻れ」

 トゥヤンは現場に着くなり漢語で怒鳴った。

 男たちは雰囲気でだいたいの意味を察して再び手を動かした。皆不機嫌な表情で、舌打ちするものもいた。


 しかしアルジェイは、トゥヤンから目を離さなかった。トゥヤンもアルジェイの視線に気づき、二人は見つめ合った。

 同じ色の赤茶の瞳。同じ故郷。同じ血筋。しかし、二人の立つ場所は異なる。二人の間には、遠くて近い微妙な距離感があった。


 しばらくお互いを見る二人。


 こらえきれず、先に目をそらしたのはトゥヤンの方であった。その表情には、はっきりとした負い目があった。アルジェイは相手を責めるどころか、親愛すら感じさせる顔でトゥヤンを見つめ続けていた。


 ――アルジェイはトゥヤンを今も友達だと思っているが、トゥヤンは罪悪感でアルジェイを遠ざけている……と言ったところか。わかりやすいな。

 春藍は岩を天秤に載せながら、二人の様子を伺った。


 トゥヤンはアルジェイに背を向けると、隣の武官とともに現場を見ながら話した。次の工程について、打ち合わせをしているようであった。

 武官は設計図か何かであろう紙の束をトゥヤンに手渡すと、幕舎に戻った。


 トゥヤンはその束を読み出した。少し強め風が紙をはためかせる。トゥヤンは風に反して紙をめくろうとして、一枚それを地面に落としてしまった。屈んで紙を拾おうとするトゥヤン。

 そのとき、トゥヤンの頭上の石垣ががらりと崩れた。

 トゥヤンがそのことに気づいたのは、それを自力で回避できる時よりもほんのすこし後のことであった。トゥヤンは目をつむり、頭を抱えた。


 固まるトゥヤンを眺め、これは駄目だなと春藍が判断したその時、白い影が素早くトゥヤンを押し倒した。

 崩れた石垣が地面に落ちる。ずしんと鈍い衝撃音がして、土煙が上がった。


 春藍にはしばらく、何が起きたのか良く見えなかった。土煙がおさまりようやく、トゥヤンがアルジェイに間一髪で助けられたことがわかった。


 アルジェイは、トゥヤンに覆いかぶさる形で地面に手をついていた。アルジェイのぼさぼさの銀色の三つ編みが、トゥヤンの頬にかかる。トゥヤンはそれなりに背が高く体格のいい青年であるはずであるが、さらに大柄なアルジェイの下では、華奢に見えた。


 アルジェイは部族の言葉で、トゥヤンの安否を気遣った。その横顔は本当に心配しているようであった。

 茫然としていたトゥヤンの顔が、状況を理解するにつれて赤くなっていく。


「僕から離れろ」


 トゥヤンは漢語で叫ぶと、素早くアルジェイを押しのけて立ち上がった。わなわなと震え、アルジェイをにらみつける。


「すまない」


 アルジェイも立ち上がり、トゥヤンを見つめる。


 しかしトゥヤンは、何も言わずに黒い髪を揺らして走り去った。アルジェイはトゥヤンの背中を、何か言いたげに目で追った。しかし結局はうつむき背を向けて、作業に戻った。


 ハルグート族の男たちは、良くわかっていない様子でお互い目くばせし合っていた。


 ――トゥヤンに何かしかけるなら、今しかない。

 春藍は直感的に決断し、走り出した。


「勝手に持ち場を離れるな!」

 監視している兵士が、鞭をふるって怒鳴る。しかしそれは空振りに終わった。


「急に腹が痛くなった。申し訳ないが長くなる」

 春藍はわざとらしく腹を抱えながら叫んだ。仮病を使うのは初めてだった。信じてもらえたのか確認するひまもないまま、春藍はトゥヤンを追って現場を離れた。


 その後、春藍は少し小さめの天幕の前に立っていた。


 ――確か、トゥヤンはこの幕舎に入っていったと思うのだが。

 そっと中の様子を伺う。

 すると、部族の言葉で、トゥヤンが何やら独り言を言っているのが聞こえた。

――僕はもうお前の友達なんかじゃない。僕はお前の仇だ。と言ったところかな。この感じは。

 春藍はハルグート族の言葉はさっぱりわからない。だが、トゥヤンの声の雰囲気から言っていることはだいたい理解できる気がした。


「アルジェイはお前の父が親の仇であることを気にしていないが、お前は負い目を感じているようだな。トゥヤン」


 春藍は入口を覆う布を手であげ、中に入った。

 幕舎の中は簡素な家具があるだけだが小奇麗で、少し地位が上の者の居場所らしい整然さがあった。


 トゥヤンは寝台に腰掛けていたようであったが、春藍が侵入に気づくと跳び上がり立った。

「貴様、なぜここに……」

 驚いて春藍を見るトゥヤン。


 春藍はその問いに答えることなく、たたみかけた。まず相手の痛いところをつき、主導権を握る。

「呂国の連中と何を約束した。お前が武功をたてれば、土地と女子供を返すと言われたか?」

 とくに証拠があるわけではないが、春藍にはトゥヤンの行動の本当の意図の想像がついた。この男は裏切ったふりをして故郷のために働いているのだと、目を見ればわかった。

 春藍は自分を巡る人間の感情にはうといのに、他人に関しては妙に敏いところがあった。


「漢人の貴様には、関係のないことだろ」

 自分の考えを突然見透かされ、トゥヤンは本心を隠すように声を荒げた。

「やはりそうか。アルジェイも何となく気づいているぞ。いっそのこと協力したらどうだ」

 春藍はトゥヤンに近づき、顔近づけた。一方的に優位に立つ春藍に、トゥヤンは思わず本音で反論する。

「アルジェイにこんな汚れ役任せられるものか。皆に好かれているし、真っ直ぐだし、あいつは僕とは違う」

 トゥヤンは涙をこらえたような顔をして、地面に叫んだ。


 腕を組み、尊大に微笑む春藍。

「お前は、アルジェイのことが好きなのだな」

「部外者は、黙っていろ」

 トゥヤンは潤んだ瞳で、春藍をにらむ。

 真顔をつくって、春藍はそっとささやいた。

「確かに私は部外者だ。だが部外者として忠告しよう、トゥヤン。お前は必ず失敗する」


 春藍の異様に高慢な態度に、トゥヤンは徐々に種類の違う戸惑いを覚えているようであった。警戒するように、後ずさりして距離を置く。

「貴様、目的は何だ。なぜ僕にこんなことを……」

「だがお前が失敗する前に、私がお前を助けてやる」

 春藍はトゥヤンの問いにはまったく答えることなく、強引に自分の話を勧めた。


 トゥヤンが気圧されて、震える声で言った。

「奴隷の分際で何を言う」

 彫りの深いトゥヤンの顔には、畏れの色が浮かんでいた。


 春藍は自身たっぷりに髪をかきあげた。

「期待して待っていろ、トゥヤン。決して悪いようにはしない」

 そう言い残し、春藍は悠然とした足取りで天幕を立ち去った。


 残されたトゥヤンは、何が起きたのか理解できずに立ちつくしていた。


 ――綻びは把握した。あとは、事を起こすだけだ。


 春藍は城造りの現場へと歩きながら、ほくそ笑んだ。戻った後は面倒な状況が待っていることを思い出したが、それでも気分は悪くはならなかった。

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