第9話 敵国の斥候

 目的地である国境も近くなったある日の暮れ。夕焼けの中で木々が黒い切り絵のように並ぶ森で、春藍と慶峻は野宿の準備をしていた。


「慶峻、今日はウサギだ。どう料理してくれる?」

 春藍は慶峻に、狩りで得たウサギを渡した。


 慶峻はちょうど、水筒で水をくんできたところであった。

「こっちは山椒とキノコが採れたから、そうだね。鍋で一緒くたに焼いて食べようか」

 そう言って、慶峻は手際よくウサギの下ごしらえを始めた。


 ウサギが皮をはぎ取られ綺麗に解体されていくのを期待のまなざしで眺めながら、春藍は火をおこした。

 慶峻はウサギの肉をぶつ切りにすると荷物から取り出した鍋に入れ、小瓶に入れて持ち歩いていた醤油をからめてキノコと一緒に焼いた。仕上げに砕いた山椒を入れると、香ばしい良い香りがあたりを漂う。


 料理が完成したころには、もうすっかり夜になっていた。二人は赤々と燃える火にくべられた鍋を囲んでしゃがんだ。


「はい、お待たせ」

 慶峻は大きな葉に肉とキノコをのせて、春藍の前に差し出した。


「ご苦労だったな」

 春藍は肉を受け取り、葉の上からつかんでかぶりついた。ウサギの肉は淡泊だがしっかりした味で、歯ごたえのあるキノコと一緒に醤油がよくからんでいておいしい。挽きたての山椒の痺れるような辛さも、心地がよかった。


「やはり、お前を連れてきてよかった」

 春藍は満足げに微笑んだ。

 いつになく上機嫌な春藍を上目使いで見つめ、慶峻は冗談っぽく不平を言った。

「結局、姫にとって大事なのは俺という臣下じゃなくて、調理された肉なんだね」

「だって毎日素材の味そのままじゃ、耐えれないだろう?」

 春藍は慶峻の言葉を否定しなかった。食用植物の知識を持ち、それなりの野外料理が得意であるという長所は、慶峻を伴とすることにした最大の理由かもしれなかった。


 ぺろりとウサギの肉を平らげた春藍は、葉に残った汁をなめた。

 水筒から水を飲もうとしたそのとき、春藍は異変に気付いた。何人かの集団の気配が近づいていた。


 慶峻も気づいたようで、キノコを口に含んだまま黙って春藍をちらりと見た。

 春藍は鉄槍を手に取り、あたりの森を見渡し静かに構えた。慶峻もさっと砂を足で蹴り火を消して立ち上がる。二人は暗闇に目をこらした。


「お前たちは、何者だ」

 春藍は姿の見えない敵に言った。


 答えのかわりに、森から小刀が飛んできた。瞬きもせずに、春藍は自分に向かってくる小刀の柄を掴んで止めた。闇夜に目をこらすと、それは呂国で使われる造形の飛刀であった。


「どうやら、呂国軍の斥候みたいだね。姫、どうする?」

 慶峻が春藍と背中合わせに立ち、小声で命令を仰ぐ。


 春藍は不敵に笑い、考えた。


 ――もともと敵に近づく予定であったが、むこうの方からやって来てくれたか。ならば利用しない手はない。


 春藍の計画は一瞬で組み立てられた。


「決めた。私はわざとこいつらに捕まり、直接敵の情勢を探る」

「言うと思った。じゃあ俺は、馬と一緒に逃げるよ」

 春藍の突飛な言動に動揺することなく、慶峻はあっさりと返事をした。慶峻に顔を近づけ、春藍は打ち合わせを続けた。

「わかった。私の馬も頼む」

「後は頃合いを見て、姫の捕まってるとこに忍び込めばいい?」

 慶峻はさっさと春藍の命令を先回りし、自分から述べた。


「あぁ。それまでこの辺の土地を適当に調べておいてくれ」

 春藍は慶峻の肩をたたき、微笑んだ。慶峻のこういう物分りのいいところが、使い勝手がよくて好きだった。

「了解、姫。じゃあね」

 慶峻は両脇の剣の柄に手をかけ、臨戦態勢で目くばせした。

「頼んだよ。慶峻」

 春藍は小刀を飛んできた方に投げ返した。


 それが戦闘開始の合図となった。


 木の陰から筒袖・袴に辮髪という一目で異民族とわかる出で立ちの兵士が飛び出し、春藍の前に躍り出て剣を振り下ろした。

 春藍はやりすぎないように注意して、兵士の剣を槍で受けた。適当に手を抜いて、敵の攻撃をかわす。


 後ろでは慶峻が双刀を抜き、敵に向かって駆けだしていた。二人の兵士の攻撃を同時に軽く流し、そのまま転ばせる。その兵士二人の後ろにはまた別の兵士が三人ほどいた。

 慶峻は二振りの曲刀を上空に放り投げると、体勢を崩して前かがみになっている兵士の背中を空いた手でついて高く跳び上がった。


 白い深衣を風にふくらませて、空中で刀を掴み一回転する慶峻。星明りに照らされたその姿は天人のように軽やかであった。

 慶峻はそのまま前方三人の兵士を悠々と跳び越え、木々の枝を揺らしながら着地。馬の方へ走り抜ける。


 ――慶峻は上手く逃げたようだな。では私も、ぼちぼち負けるとするか。


 慶峻が夜空に跳んでいくのを横目で見て、春藍は捕まる頃合いを見計らった。五、六人の剣をかわしながら、冷静に自分が怪我をしない負け方を考える。

 力を加減して敵の攻撃を受け流していると、後方からやってきた兵士が春藍に縄を投げてきた。


 ――ここが負け時だな。


 春藍はわざと鉄槍を飛んでくる縄に絡めた。槍は縄にくるくると巻きつかれ、動かなくなった。

 敵が春藍に剣の切っ先を向け、ぐるりと円形に囲む。

 春藍は槍を地面に落とし、手をあげた。

「降参だ、呂国の兵士さん。もう何もしないから武器を下ろしてくれ」

 誰も切っ先を反らさなかったが、春藍は顔色一つ変えずに敵を見据えた。


 負けたわりに余裕がある春藍の奇妙な態度に、隊長らしき男が慎重に近づいた。

「お前、ただ者じゃないな。傭兵か何かか?」

「私は親戚の結婚式へ行きに隣村へ向かっていただけの、単なる旅人だよ」

 春藍は、前々から考えておいた嘘の設定を披露した。

 だがその嘘の効果はあまりなかった。


「白々しい嘘をつく。まぁいい。抵抗しないなら殺さない。捕虜として使役してやる。お前もそのうちに音を上げ、口が軽くなるだろう。一人逃がしてしまったのが気がかりだが……」

 男は乱暴に春藍の腕をつかむと、手首を縄で縛りあげた。

 ちらりと不安そうに、慶峻が逃げた方向を見る。


「軽くなったって、あんたに話すことはないよ」

 春藍はひるむことなく軽口をたたいた。

 男はすぐさま反応し、強く固めた拳を春藍の顔にぶつける。

 春藍はばれない程度に受け身をとり、後ろに倒れて威力を殺した。


「口のきき方に気をつけるんだな」

 主導権を握ろうと、倒れた春藍を見下ろし吐き捨てる男。


 春藍は立ち上がり、縛られた両手を上げて赤く腫れていく頬にふれた。

 痛みはそこまでなかったが、口の中を切ったのか血の味がした。


 ――ま、これくらいは想定内。だが後で百倍にしてやり返す。


 春藍は怜悧な瞳を鋭く光らせて男をにらんだ。


 男は春藍をいまいましげに見つめたが、春藍の腫れた顔を見て少し満足したのか、フンと鼻を鳴らして踵を返した。

「帰るぞ。お前たち、こいつを引っ立てろ」

 男の命令を受けて、兵士の中の一人が春藍の手首を縛る縄を引っ張る。


 春藍は深呼吸をして、背筋を伸ばして歩き出した。

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