06 矢が狙うは
馬は落ち着きを失っている。御者がいなければとっくのとうに馬車を振り払って逃げ出してしまっているに違いなかった。
目だけを頼りにすれば、周りはごく普通の森。森の中を突っ切るようにできた道。石畳の面影はなく、土がむき出しになっていた。そよ風になびく木の葉の音が心地よい。どうして突然馬が暴れ始めてしまったのか、御者には分かっていない様子だった。
しかし道の左側から漂う不穏な力を僕たちは感じ取っていた。言うなれば体の内側から刺激されているような、チリチリとした感触。僕が知っているもので一番近いのはロジ主任の殺気だが、それとは似て非なるものだった。ちゃんと違いが説明できるわけではないけれども、本能的に違うと分かるたぐいのものだった。
徐々に力が大きくなっている気がする。何かが近づいている? それとも、それ自体が巨大化している?
「何なのですか、これ。嫌な感じです」
「ろくでもないものなのは私も分かるのですが」
僕は弓銃を構えた。相手は森の中で見通しが良くない。開けた場所もなければ森の茂みや影が邪魔である。僕とは相性の悪い環境だった。
とはいえただただ怪我をするのを待つだけなんて論外である。魔力を込めて弦を張った。つがえる矢は四本。それぞれを薄い魔力でつなげる。狙う先は森の中。
「様子を見てみます」
矢を放った。風切り音を上げることなく進む。人間が走るぐらいの速度で広がってゆく矢とその間で待ち構える魔法の網目。著しい魔力に触れれば網が歪む。
矢の方向に目を向けながらも、目は見えていないも同然の状態だった。わずかな変化を逃してはならない。矢と網の魔力にひたすら集中した。
場所が場所だけに樹木が反応してしまうが、それを見極めつつ――
いた。左から二つ目の矢のそば。
僕は一番近い矢に魔力を送り込んだ。ちょうどエフミシアさんの正面に位置するところで真っ白な閃光が走った。
「怪しいのが今光ったところにいます」
魔法の網で探り、矢を目くらましに使う。僕が先手を打つときに使ういつものやり方だった。
「相手の数は」
「引っかかった感じからすると多くて五体です」
「場所が悪いですね」
エフミシアさんは体から魔力を放った。僕が示した場所を正面に据えたまま馬車から離れてゆく。目立つ魔力を漂わせて何かの注意を引くつもりらしい。
ん、待てよ。
エフミシアさんが離れてゆくと、それはどこに現れる? 戦斧はすでに馬車から数メートル以上離れたところで臨戦態勢に入っていた。わざとらしい魔力の漏れは敵を引きつけるはず。少なくとも魔物のたぐいだったらメロメロである。
エフミシアさんのやりたいことが何となく分かって、僕は馬車の中に戻った。姿が見つかりづらいように床に伏せて銃を構えた。魔力は極力絞って弦を貼り、つがえるのは五本の極細の矢。エフミシアさんの魔力の邪魔をしてはならなかった。
「さあ来い!」
エフミシアさんが声を荒げて更に挑発する。
ガザガザと茂みが揺れた。現れたのは五匹の猫のような『黒』。形は猫のようだが輪郭がぼやけていた。モヤが漂うようになっていて、はっきりとした姿ではなかった。
魔物とは違う。魔物ならもっと生物らしい姿をしているもの。
何より見覚えのある質感だった。夢の中で同じものを見た。この上ないほどの黒さ。曖昧な境界線。僕に語りかけてきた『あれ』の面影が会った。
とにかく、連中はエフミシアさんのことしか見えていない。猫の形的に僕に尻を見せていて、こちら側を警戒する様子は全くなかった。
ならば好都合。一瞬で終わらせる。
魔力の一気に込めて弦に力をみなぎらせた。たちまちほそぼそとした青白い光は太く激しい炎に代わり、それは矢にも伝播した。炎をまとった矢。
風を切る音なんて比ではない。まるで爆発音のような音と共に矢が黒を貫いた。被弾箇所に多少のズレはあれども、全てを射抜いて地面に縫い付けた。
魔力の炎はそれを内側から焼く。
逃げようとしても魔力の矢を外すことは叶わない。
正面には斜めに振り上げられた戦斧。
横殴りに放たれた一撃は五体をまとめて蹂躙した。矢もろごと全てを押しつぶし、致命的なダメージを与える。人が食らってもひとたまりもない攻撃を受けた連中には立ち直るスキすらない。
叩き潰される横から、黒い煙になって消えてしまった。エフミシアさんが斧を振り切った頃にはあとかたもなかった。
はじめに感じていた嫌な感じはなくなっていた。多分原因は取り除けたはずだった。が、念の為もう一度索敵のために放ったままの矢の様子を――
僕は索敵の矢を放ったあとはしばらく泳がせている。先頭が一段落ついたときに魔物が迫ってきていると見落としてしまうからだ。だから、矢は残っているはずだった。攻撃するための矢ではないから、ぶつかって刺さることもない。
けれども。
僕がいらない、としなければ消えないはずの矢が消えていた。考えられるのは、魔力をかき消すような防御がされているとか、もともと魔力が不安定な土地だとか。
あるいは、矢に充てがっていた魔力が吸われた。
「ノグリさん、何だか奇妙です。魔物を倒しましたが、微弱ながら嫌な感じが残っています。それにあの魔物、おかしいです」
「あれは魔物なのですか。初めて見た姿な気がします」
「ここには本来現れるはずのないものです。あの姿、見ましたよね? 真っ黒な見た目、全身にモヤがかっている姿。動物が瘴気に取り込まれた直後、ああいった姿かたちを取るのです」
「近くにもヒペオのような場所があるのですか」
「いいや、このあたりにはないはずなのですが。もしかしたら別の場所で生まれたのがここまでやってきてしまった、とか、いやでもその距離ならあの姿ではなく魔物の姿になっているはずだし。何が起きている?」
エフミシアさんが首を傾げて考え込んでしまった。エフミシアさんにもこの状況が飲み込めていないらしい。となってくると気になるのは矢のことだ。エフミシアさんが見解を持っていない以上、試しておいたほうが良い。
僕は再び索敵の矢を放った。本数は三本。矢が消える瞬間を見届けなければならなかった。
「ノグリさんは、まだ敵がいると考えているのですか。その線はありえますが」
「実は気になることが一つありまして。本来なら僕が消さなければ残り続ける索敵用の矢が、いつの間にか消えてしまったのです。どこで消えたのかを確かめておきたくて」
「矢が消えることは普段ないことなのですか」
「稀にあるのですが、そういうときは特殊な土地である場合がほとんどでして。ここは見た感じ特別な感じがしないものですから、変だなあと」
言っているそばからおかしな挙動を取りだした。それぞれまっすぐ進んでいたものが、次第に曲がってあらぬところへ向かっているのである。その上、それぞれの進路を想像すると、どれも一箇所に集中するのだ。
矢は交錯する場所に近づく。
迫る。迫る。迫る。
消えた。
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