07 淀み
数回矢を打ち出してみたが、結果はどれも同じだった。途中である方向を目指すようになり、消える。同じ場所で諸滅するところからして、僕たちに迫ってきている様子はなかった。
魔力を奪う力を持った特異な場所である可能性は十分に考えられる。何事も起きていない状態であれば放っておくものだが、今回はそうにもいかない。ただ近づいてきていないだけで、それは遠くから狙ってきているのかもしれない。僕の弓銃のように。
正体を確かめるべきだ。
「やはり何度やっても矢が消えてしまいます。距離と方向は分かっているので、見てきます」
「ノグリさん一人では心配です。私も一緒に」
「エフミシアさんは馬車を守っていてください。何かあればこれで助けを呼びますから」
手の弓銃を掲げてみせた。
「ですが」
「僕もそれなりに冒険者やっていましたから、引くべきところは分かっているつもりです。こういう周りの様子を見て回るのもパーティでの僕の役割でしたから」
「でも――分かりました。あんまり戻ってくるのが遅ければあとを追いますからね」
馬車から飛び降りて森と対峙する。先程はエフミシアさんが体を張ったのである、今度は僕の番だ。五感そして魔力の六感を研ぎ澄ませて木々の隙間を舐めるように見回した。少しばかりの嫌な魔力の感じが残っているが、それ以外におかしいところはない。
茂みに足を踏み入れた。人の形跡のない、森に支配された領域。空気もどこか湿気を含んで重く感じられた。陽の光が遮られて別の世界だった。森の世界から人の世界に来て倒された真っ黒な魔物、そして人の世界から森の世界に足を踏み入れる僕。
何だか怖い気持ちもあるが、めげずに足を進める。恐怖心を慎重さに置き換えて。いつでも対応ができるように弓銃に魔力を通しておく。弦を常に張り、矢は三本。常に進行方向に矢じりを向ける。
草の匂いと足元の柔らかさ。時々踏みつける木の枝の硬さ。
このあたりで曲がったはず。僕が放ったうちの一本の矢が進んだところを追っていた。この矢は左に曲がってしばらく進んでから消えてなくなった。
矢が進んだとおりに曲がったところで立ち止まり、改めて周りを見回した。嫌な感じは若干強まっている気がする。その他に異変とも取れるようなものはなかった。
大きく、それでいて静かに深呼吸。
意を決して目的地に迫る。自身の体で現場に臨むのはどうしても緊張してしまう。僕は矢がなくなることだけしか知らない。他のことはどれも想定外だ。エフミシアさんには強気な言葉を言ってしまったが、僕だけでは対処できないことが起きているかもしれない。そう考えると。
茂みを抜けた。ちょっとした野原のようになっている場所に出た。鬱蒼と茂っている中に突然として現れた空間。空が開けていて、陽の光も入っているようだった。
だからこそ、明るい草原の中のドス黒さは異様に目を引くのである。これは、何だ?
いや、見たことがある。ついさっきだ。真っ黒で、モヤのような湯気のようなものが立っている。輪郭がぼやけているせいで細長い形としか見えない。僕の身長よりも長いのだけは確かそうだった。
奇妙だ。ついっさっき見た魔物と同じ性質に思えたものだから、微動だにしないことには違和感があったし、同時に恐怖でもあった。黒い煙をまとった猫の姿は倒されると同時に消えた。目の前のそれは消えていない。だから倒れていない。
でも動かない。
僕は弓銃を構えて慎重に間合いを詰めていった。嫌な感じは間違いなくこの黒い煙から放たれている。弦がその形を保てずに途切れたり繋がったりを繰り返しているところ、魔力を吸い取っているのも間違いなかった。
僕のつま先がもう少しで『それ』に触れそうなぐらいまで至っても反応する素振りがなかった。だが、僕は至近距離まで近づいてついに正体の輪郭を認めることができた。
これは――ヒトだ。
かなり濃いモヤで見分けがつかなかったが、暑いくらいに照りつける陽の光のおかげで輪郭を捉えられた。黒い煙に覆われた人が倒れているのだ。
モヤに覆われて身動きが取れなくなっている? まさに今襲われている?
助け出さなければ。そう思った僕はしゃがみこんでその人に触れようと――
「うぎゃきゃあひゃはあぎゃ」
奇声をあげたそれ。僕に飛びかかってきた。押し倒すと同時に首根っこを押さえつけてきた。
身動きが取れなくなっているわけではなかった! 襲われているわけでもなかった! すでに魔物だった!
突然の攻撃に僕は反応できず、一方的に責められる。全身をミミズが這い回るような忌まわしい感覚。かと思えば、全身を這うミミズが体の中に潜り込んでくる気持ち悪い感覚。何かが体の中に入ってくる感覚。
何を注入されている? 一刻も早く離れないと。
だがどれだけもがいても引き剥がすことができなかった。横に飛ばそうとしてもびくともしない。それと僕がまるで縛られてしまっているかのようだった。
体の中にものが入ってくる。自分の体なのに違和感がますますひどくなってゆく。
――燃やして! 燃やして! 淀みの炎!
頭の中で響くのは夢の中の声、幻の声だった。
――淀みの炎! ノグリはできる。淀みの炎!
幻の声は焦っているように聞こえた。何度も連呼して僕を急かしてくる。淀みの炎? 聞いたこともない言葉だった。
淀みの炎。
淀みの炎。
――淀みの炎を!
どうしてだろう、聞いたことがない言葉であるにもかかわらず、僕の中でその炎のイメージが一気に膨らんだ。高潔にして、汚れた混沌の極みをも焼き払う巨大な火の玉。
僕なりの『淀みの炎』が見えてきたかと思えば、周りが真っ白になった。白い色になったのとはわけが違う。強烈な光に包まれているようになった。炎のようなゆらぎが所々に見える。
どうしてだろう、かすかに花のいい匂いがする。
「〜〜〜!」
黒い人間は僕を押しつけたまま、ありったけに叫びを上げていた。獣じみていてもはや言葉ではなかった。たちまちに黒色は焼けた鉄のように赤くなり、断末魔はいよいよ聞くに耐えられないほどとなった。
同時に、僕はひどいめまいに見舞われた。世界がぐるぐる回りだして、上下左右を見失ってしまう具合だった。脱力感もひどかった。断末魔を上げてすっかり弱っているだろうそれでさえ押しのけることができなかった。
そう、僕を取り囲む白い輝きは僕の魔力で生み出されていた。僕ができるとは思えない規模の魔法、僕に襲いかかる強烈な症状が物語っていた。
眩しい世界が暗転しかける。
あ、やばい――そう思った瞬間に見えたのは穴ぼこが開いて今にも消えゆこうとする人間の姿だった。
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