04 まどろみと対峙する
正直なところ、眠れなかった。
夜にいろいろなことが起こりすぎた。
聖地。ヒペオ。異形。瘴気。魔物。
僕が今まで当たり前だと思っていたものが崩れ去った。ヒペオは聖地、聖なる場所。ドラゴンに奪われたのだから人間はそれを取り返さなければならない。聖地奪還は人間の悲願。そのためにはドラゴンを倒して行かなければならない。
だがドラコの話を聞いたらどうだ? 聖なる場所とは程遠い、魔物を生み出す危険地帯。その上ただ魔物を生み出すのみではなく、立ち入った動物やドラコまでもを変異させてしまう。警備し、守り、ときには自らを犠牲にしてでも異変を解消する。
一体どこの誰が魔物を生み出す場所を聖地だと言い始めたのだ? 冒険者向けの斡旋所に張ってあったポスターには何と描いてあった? 『ドラゴンを倒して聖地を守ろう』だったか。確かそのような煽り文句が掲げられていた。
ドラゴン――ドラコは聖地の危険から守っている。
聖地は守るべきものでない。なくならなければならない。
この期に及んでドードたちの顔が脳裏をかすめる。奇襲されたときの彼らや、道端でばったり出くわしたときのかられではない。祝杯を上げていた時の彼らだ。まとまった仕事が終わって一杯やろうと言っていた際の陽気さ。普段は頼まないような料理と少し高めの酒がテーブルに並べられた時のワクワク感。
あの時の焼き肉は美味しかったなあ。
タガが外れたかのように仲間たちとの思い出が蘇ってくる。あんなことがあった、あの頃はあれがうまくできなかった、このときは大変だった――
あれこれぼんやりととりとめもなく考えていたら、僕は奇妙な空間にいた。夢か現も分からない世界観。けれども疑問は何も浮かんでこない、さもこれが当然のものであるかのように思えてならなかった。
奇妙な空間、仄暗い空間。一枚岩のような地面は果てまで広がっていて、木々や建物のような遮るものは一切ない。歩いてみたところで見えるものも、聞こえるものも、匂いも変わることはなかった。
「聖地に来て」
背後から声がして振り返ってみれば、どす黒い球体が中を漂っていた。球体なのか? 周りにはよろしくない雰囲気のモヤが漂っているし、その黒さと言ったら吸い込まれそうなほど。二度と出てこれないように感じられる程度の黒さだった。暗さ、と言ったほうが正しいかもしれない。
その声は、幻聴の声そのものだった。
「あなたは誰ですか、僕に時々話しかけてきていましたよね」
僕の声だけは妙に反響して聞こえた。
「あなたなら聖地を見つけられる。だから聖地に来て。おぞましい瘴気の奥、そこに来て」
「瘴気に触れたら魔物となってしまうのでしょう。そのようなところに行くなんてできないです」
「大丈夫、大丈夫だから。奥に来て、それで、助けて」
「ですからそれができないです。僕は聞いたのです、聖地は危険な場所だと」
「あなたは平気だから。他のなり損ないとは違う」
話が理解できなかった。『それ』は聖地の奥にいるというのに、まだヒペオにたどり着いてすらいない僕にどうして話しかけられるのだろう。そもそも、瘴気に触れれば魔物になる。ドラコであればヒトの姿になることができなくなる。人間の僕が瘴気の中に入ってどうなるかなんて簡単に想像がつく。
「どうして平気だって言えるのですか。僕はあなたを知らないです。あなただって僕のことを知っているわけがないでしょうに」
「僕は知っているよ。ずっとずーっと昔から」
「どうしてそんな嘘を!」
ありえない。僕は両親がどんな人なのかさえ知らない。僕が知っているのは孤児院を中心としたつながりと、冒険者として傭兵業をしてからのつながりだけ。
まずヒペオはドラコの領域にある場所であって、人間がいるような場所じゃない。僕がドードに追いかけられるまで、僕はドラコとは無縁の生活を送っていたのだ。幻の声は嘘を言っているとしか思えなかった。
「嘘じゃないよ。僕はずっと昔から君のことを知っている。つながっているの。君は気づいていないかもしれないけれど、僕は知っている。だからこうやって語りかけることができる」
「意味が分からないです。あなたは誰ですか。あなたは僕の何なのですか」
「大丈夫、僕のもとに来れば自ずと分かるよ、ノグリ」
世界がぐらり傾いた。突然のことである。目の前の黒い何かは傾くに任せていびつな形になって、終いには湯気のように形を失ってしまった。仄暗い世界は見ただけだと何も変化していないけれど、僕の感覚がその異常を感じ取っていた。
揺れている。
いや、揺れているなんて言葉じゃ生ぬるい。揺さぶられているような、まともに立っていられない状態だった。その場で立ち続けようとしていても、地面に足払いをされたようになってバランスを崩してしまう。
持ちこたえたところで、再び足払い。地面にぶつかると思ったのもつかの間、地面がなくなった。
高いところから落ちた時の、へそのあたりや足の裏に走る嫌な感覚。転んで体を打ち付けるよりもひどい感覚。
「ノグリさん!」
ひどい感覚が弾け飛ぶようになくなって、代わりは柔らかい毛布で包まれるような安心感だった。
そこには仄暗い空間はなくて、宿の一室だった。エフミシアさんが僕を覗き込んでいる。ああ、夢を見ていたのだな、とこのときになって気づいたのだった。
「食事の時間になっても全く降りてこなかったものですから心配で開けてもらったんです。大丈夫ですか、ひどくうなされていたようですが」
「すみません、ちょっと疲れが溜まっていたのかもしれません」
「本当ならもう少し休んでもらって、というのも考えるのですが、まだ道半ばなのでそうも言っていられません。もうすぐ出発の時間なので、準備をしてください」
「もうそんな時間ですか。急いで準備します」
「馬車の中で横になるのがいいでしょう。できるだけ乗り心地の良さそうなものを用意しますから」
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