03 部隊の先達たち

 本当に飲めや食えやで凄まじい初日の夜だった。


 僕のことを気遣ってくれているのだろう、エフミシアさんははじめからかなりのペースで飲み食いをしていた。昔あった出来事について面白おかしく話してくれた気がするが、内容はほとんど覚えていない。覚えているとしたら、エフミシアさんが寄った勢いにロジ主任を川に投げ飛ばした話ぐらいか。


 エフミシアさんの魂胆が分かっていたから、はじめは僕も恐縮していた。が、大酒飲みのペースに当てられて思っている以上に酒を口にしてしまったらしかった。気がついたら宿の食堂の床でエフミシアさんと一緒に倒れている始末だった。


 そんな調子だったものだから、二日目の行軍はほとんどしゃべることなく、各々が――というか主に僕が酒の残りと戦うことに終始していた。エフミシアさんははじめこそきつそうな顔をしていたが、馬車が動き始めて数分もしないうちに元通りだった。


 酒が抜けないまま馬車に乗るものではない。本当に体の中のものがこぼれ出てくる。


 無限にも思えるほどの時間を経て、ようやく二日酔いが収まって来た頃にはもう二日目の目的地に到着する頃合いだった。馬車から伝わってくる振動からすると、土の道ではなく石の道になっていたので、初日の目的地よりも栄えているらしい。


「今日はゆっくり休みましょう。ここの宿はヒペオに行く行程の中で一番豪華な宿なのですよ」


 と言っているそばから酒の入ったジョッキをあおっている。もちろん僕のところには酒はない。あるのは冷えた水だった。普通は水を扱っていないか、出てきても常温の水だと言うのに。どうやって冷やしているのだろう、ロジ主任のような魔法を無駄遣いするような人がいるのだろうか。


「こんな時期に冷たい水が出てくるとは思いませんでした」


「ここには除隊した人が何人か働いているから、そういうこともできるのですよ。ほら、ロジ主任みたいな人結構いるので」


 僕の予想は的中らしかった。


「じゃあ、魔法を使って水を冷やしたと?」


「ええ、多分それ、私の先輩がやっているのだと思いますよ。あのお方も湯水のように魔法を使える方でしたから」


「本当に何なのですか、僕が配属された部隊というのは。ほとんど何も聞いていない中でそういった話を聞いてしまうと、『異形』という名前はあながち間違っていないのですね」


「……ええと、ノグリさん。ロジ主任から詳しいことは聞いていない?」


「部隊の名前だけです。第二広域守護、でしたっけ? あと、異形部隊とも」


「ロジ主任……」


 ほとんど説明がないまま移動させられてしまったので、僕には部隊に対する知識がまったくない。エフミシアさんにとっては呆れるような事態だったのだろう、ため息を着きながらうなだれてしまった。


「ノグリさんもノグリさんですよ、どうしてちゃんと話を聞いていないのですか」


「右も左も分からない状態でしたし、気がついたら部隊の入ることになっていて、そしたらもう研修で移動ですもの。時間なんてなかったです。それに、そういうことは研修で聞かせてくれるものだと思っていまして、まだいいかなと」


「確かにそうかもしれないけれど、そうかもしれないけれど。ああ、そうですよね、こっち側の常識をそもそも知らないのだから分かりようがないものですしね」


「一体なんのことを言っているのですか」


 エフミシアさんはあたりを見回してから、少しばかり身を乗り出して話し始める。声は抑え気味だった。僕も腰を浮かせて近づけないと聞こえないぐらいだった。


「ロジ主任は冗談交じりに言ったかもしれませんが、『異形部隊』っていう名前、特に『異形』というのは使わないでください。こちら側ではいい言葉として使われることはあまりないので」


「そうだったのですか。そもそも、どうして異形部隊なんて呼ばれ方をしているのですか。僕、研修でその手の話になったときには真っ先に聞こうと思っていたのです」


「ノグリさんにそれを説明しようとしたら、まずドラコのこととヒペオのことを知っておかないと。ノグリさんはドラコのことをドラゴンと言っていましたけれども、それが違うことはもう分かっていますね」


 ここ数日ではっきりと知らしめられたことである。


「ドラコというのは、理由は知らないですけれども、二つの姿を持ちます。ほとんどのドラコが普段過ごしているときの姿、これがヒトの姿です。で、もう一つが、ヒトでない姿。その姿のことを『異形』というのですが、私達は忌み嫌ってその呼び方は使いません。単に『ヒトでない姿』と言います」


「じゃあ、エフミシアさんもヒトの姿とヒトでない姿がある、ということですか」


「はい。ヒトでない姿は異性に見せるものでないので普段はならないと思いますが、仕事の際は、場合によってはその姿になると思います」


 脳裏に浮かぶのはロジ主任にやられたときのこと。エフミシアさんの足がヒトの脚ではなかった気がする。もしかしてその違和感が、エフミシアさんの『ヒトでない姿』なのか。


「仕事の際は、というのはどういうことですか」


「それを理解するためにはヒペオが何たるかを分かっていないとだめです。というか、ヒペオに送るならロジ主任、ちゃんと説明しないとだめなのに」


 ため息を一つついて、そうしてからジョッキを傾ける。


「端的に言ってしまえば、瘴気の源泉です」


「瘴気……聞いたことがない言葉です」


「まさかそこからとは。ええと、魔物は分かりますよね? 襲ってくるやつ」


 何となくだが、問いかけ方が子供を相手にしているような感じだった。僕はうなずく。


「瘴気とは、まさに魔物を生み出す原因です。何もないところから魔物を生み出すこともあれば、瘴気を取り込んでしまった動物を魔物に変えてしまう、恐ろしい存在です」


「僕の知識だと、魔物はどこからともなく現れるものだと聞かされてきました」


「人間って何も知らないのですね。多分人間の領域にも瘴気が溜まっている箇所があるはずですよ」


「じゃあ、ヒペオというのは魔物を生み出す場所ということですか」


 エフミシアさんが言っていた『危険地帯』という意味がようやく理解できた。魔物を生み出す場所となれば、そりゃ安全なわけがない。


「特にヒペオは、私たちの国の中では最大級の規模で、取り除くこともできないほどです」


「じゃあヒペオではたくさん魔物が現れてくるのですか。日々部隊の方が倒している、他の人が立ち入らないようにしている、ということなのですか」


「それだけならいいのですが」


 少しずつ拍手が大きくなるのを耳にする。食堂の外から聞こえてくるらしい音。食堂の中もいくらか慌ただしくなった。給仕たちが入り口から横一列に並んで入り口に体を向けていた。拍手が大きく、そして近くなるにつれて、入り口に近い方から給仕が拍手をし始めた。


 食事を楽しんでいる客もである。客は入り口に向かうことはしないものの、その場で立って入り口に注目していた。


 何かを待っていた。


 エフミシアさんも同じで、だが他の客とは違っていた。入り口に向かって敬礼をしていた。親指、人差し指、中指を立てた右手を額に当てていた。背筋の伸び方が周りの客と一線を画していた。


「ノグリさんも、私の真似をしてください」


 言われるがまま同じ姿勢をとっていると、より一層拍手が大きくなった。いよいよ客までもが拍手をし始めたのである。


 ああ、誰かを迎えるのだな。僕は知らないけれども、もしかしたら偉い人とか有名な人が訪れているのだろうか。


 と、想像していたら。


 人間でない何かが現れた。服こそエフミシアさんが着ている警察団の制服と思しきものを着ているが、制服で隠れていない部分は異形だった。まるで魔物の狼人のように二足歩行する狼のような姿があるかと思えば、見るからトカゲのような見た目、下半身――と言っていいのか――が馬や牛のようになっている者。首から上がない、下半身がなくて宙を浮いている。手足が多い、異様に長い首――


 異形が、拍手で、迎えられていた。


「あのね、ノグリさん」


 エフミシアさんは姿勢を崩すことなく、視線をこちらに向けることもなく言葉をこぼした。


「ヒペオは時々、爆発的に瘴気が濃くなります。濃くなればその分たくさんの魔物や、強力な魔物が現れるようになります。だから濃度を薄めなければならない。その時、この国はどうすると思いますか」


「薄くする方法ですか。空気を送り込んで散らす、とかですか」


「ドラコに曝露させるのです。被爆させて、瘴気を吸わせて、それで薄くするのです。動物が瘴気によって魔物になってしまう、これを逆手にとった方法です」


 魔物。異形。曝露。


 エフミシアさんの言いたいことが何となく察せてしまう。


「ドラコはヒトの姿とヒトでない姿を自由に変えることができるのですが、瘴気に強く暴露してしまうと、ヒトの姿に戻れなくなります。もっとひどい曝露では本当に魔物のようになってしまいます。その役割を担うのが第二広域守備部隊、だから異形部隊と呼ばれるのです」


 聖地はドラコを異形に変えてしまう、地獄のような場所だった。

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