第20話
♦ ♦ ♦
それは、遡ること十年前、私がまだ6歳、お兄様が8歳になろうかという、ある夏のことだった。
そのころの私は、ようやく吸血鬼らしく吸血を覚え始めたばかりで、上手く飲めないことをもどかしく思う日々が続いていた。
どういう訳か、無理をしなくていいと宥めてくるお父様やお母様の忠告も聞かず、半ば無我夢中で吸血鬼らしくあろうとしていた時期だったのだ。
この時の私には、常に強迫観念のようなものが付きまとっていた。それは、吸血鬼らしくなければ、家族に見捨てられてしまうのではないか、という根拠のない恐怖だった。
お父様もお母様も、もちろんお兄様も、傍で見守っている使用人たちが顔をほころばせるほどに私のことを溺愛してくれていたのに、どうしてそんな恩知らずな思いに囚われていたのかは分からない。分からないけれど、私は常に得体の知れない不安と戦っていたような気がする。
そんなある日、私は吸血に関する書物で、吸血鬼の特徴というものを知った。
――吸血鬼はたいていの場合は深紅の瞳を持ち、髪の色はさまざまであるものの、白銀の髪は吸血鬼の形質が濃い証である。
それほど分厚い書物でもなく、吸血鬼の容姿について書かれていたのは、たったそれだけだった。
だが、この一文が私の不安を煽るには充分すぎた。
なにせ、お父様もお母様もお兄様も、みんな赤い瞳であるのに、私だけは紫の、それもどちらかと言えば淡い印象を受ける、菫色に近いような瞳だったからだ。
それに気づいた日から、私は家族に泣きつく日々を繰り返していた。
「お父さまも、お母さまも、お兄さまも、みんなみんな真っ赤なお目目なのに、どうしてフィーネだけむらさき色なの? フィーネが、できそこない、だから?」
ぼろぼろと泣きじゃくりながら、吸血鬼について書かれた書物を抱きしめて、私はお父様とお母様に訴えた。お二人とも床に膝をつく勢いで私に視線を合わせ、おろおろと困惑したような表情を見せたのをよく覚えている。
「フィーネ……その本に書かれていることがすべてじゃないわ」
「そうだぞ、フィーネ。お父様の母上だって、鳶色の瞳を持っていたんだ。吸血鬼が紅色の瞳を持つなんて、絶対じゃない」
お父様とお母様はそれぞれ私を抱きしめながら、何とかして私の涙を収めようと必死に慰めてくれた。だが、我儘ばかりの幼い私は、それでも尚泣き止まない。
「いやだ、いやなの! フィーネ、みんなといっしょがいい! こんなむらさき色のお目目なんて、いらないわ!!」
そう言って両の目を強くこすりだす私を、お父様とお母様が腕を掴んで咄嗟に止める。
「フィーネ、やめなさい!」
「なんてことをするの!」
お父様とお母様がお叱りになるのは親として当然だった。それでも私が自分の紫色の瞳が憎くて憎くて、再びぼろぼろと涙を流す。
そしてその様子を、少し離れたところから目撃してしまった少年がいた。
「フィーネ……?」
まだ幼いお兄様は、まるで天使ような愛らしいお姿をなさっていたが、その両目は深い赤色、しかも髪は白銀で、まさに、書物に書かれていた吸血鬼の中の吸血鬼と言った色をお持ちだった。
「フィーネ、だめだよ、何てことをするんだ」
私が強く自分の目を擦っている光景を目撃したのだろう。お兄様は深紅の両目を揺らがせて、ひどく痛ましいものを見るように私を見ていた。
「っ……だめじゃないわ。みんなとちがうお目目ならいらないの」
「フィーネの目は、こんなにきれいな色をしているのに……。まるで宝石みたいだよ? ぼくはフィーネの目、だいすきだよ」
お兄様は私を慈しむように、優しい言葉を並べ立てた。私の腕を掴むお父様とお母様もそれに続く。
「そうだぞ、フィーネ。お父様は沢山の美しいものを見てきたが、こんなに綺麗な瞳は見たことがない。……そうだ、その瞳に似合うような髪飾りを用意しようか。王国で一番綺麗な紫色の宝石で作らせよう。きっと、フィーネもその色が好きになる」
「お母様もフィーネの瞳が大好きよ。優しくて、可憐で、お姫様の色だわ」
お父様もお母様もお兄様も、誰もがみんな優しかった。恐らくは一般的な基準で言えば過保護と言ってもいいくらいに、惜しみのない愛を注いでくださっていた。
でも、優しい言葉を告げるみんなの瞳は、やっぱり綺麗な紅なのだ。それがどうにも悔しくて、仲間外れにされているような気分になって、私はぼろぼろと涙を流し続けた。
「フィーネ……ぼくは、どうしたらいい? どうしたら泣きやんでくれるの?」
お兄様は私が泣いている様子を直視するのも辛いと言わんばかりに、床に膝をついて私の手を握った。この頃から、私に跪くのはお兄様の癖だったのだ。
「フィーネが泣き止んでくれるなら、ぼくはなんでもするよ」
懇願するように私を見上げるお兄様の瞳は、憎々しいくらい美しい赤だった。
その赤に、幼い私は焦がれていた。みんなと同じになりたくて、仕方がなかった。
私は優しいお兄様が大好きだったが、この瞬間ばかりはお兄様に嫉妬のような感情を抱いてしまった。私が一番欲しいものを持っているお兄様を疎ましく思ってしまったのだ。
「じゃあ、お兄さまもわたしとおんなじいろのお目目になって?」
我儘というにはあまりに攻撃的な私の言葉に、お父様もお母様も茫然としていた。お兄様もまた、驚いたように目を見開く。
「フィーネ……それはいくらなんでも無理がある。目の色は変えられないんだ。代わりにお父様が何でも買ってあげよう」
「そうよ、フィーネ。……そうだわ、フィーネの瞳と同じ色の宝石を目に埋め込んだお人形を作るのはどう? きっと素敵なお友だちになれるわ。ね?」
お父様に抱き上げられ、そのすぐ傍でお母様が宥めるようにあれこれと提案する。私はお父様にしがみ付くようにして、お父様の肩越しにお兄様を見下ろした。
お兄様は、ただじっと私を見ていた。深い赤の瞳には、確かに私しか映っていなかった。
やがて、どこか茫然としていたお兄様の表情は、私を安心させるかのような笑みに変わる。
「……わかったよ、フィーネ。それで、フィーネが泣き止んでくれるのなら」
その声は恐らく私にしか届いていなかっただろう。私もまた、お兄様のその言葉に返事を返すことも無く、お父様とお母様の過保護な言葉にいつしか気を取られていたのだった。
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