第12話
「まったく、父上には困ったものだ。どうしてああも人の黒歴史を暴露しようとするんだ……」
ハイデン公爵と話し終えた私は、クラウスのエスコートで公爵邸の庭を散歩していた。クラウスと繋いでいない方の手には、彼が温室から見繕ってきたらしい不格好な花束が握られている。
夏の始まりの風が、とても心地良かった。紅色のドレスがふわふわと揺れる。
私はと言えば、どこか上の空の心地で芝生を踏みしめていた。それもすべて、公爵に明かされたクラウスの過去について考えていたためであった。
「……クラウス様が、実のお子様ではない、と?」
解放感のある書斎の中、私は公爵に明かされた衝撃の事実を思わず復唱した。その後で、部屋の隅に控えるメイドをちらりと見やる。
クラウスが公爵の養子だなんて話は、少なくとも私は初めて聞いた。恐らく、それほど世間に広まっていない話だろう。そう思っての配慮だったが、公爵は穏やかな笑みを浮かべたまま口を開く。
「ああ、この家の使用人は知っていることなのでご心配なく。公の事実ではありませんが、皆、口は堅い」
「そうですか……」
それにしても、クラウスが公爵の養子だったなんて。先ほど公爵とクラウスの並びを見て、祖父と孫のようだと感じた自分の直感はそう外れてもいなかったらしい。
養子自体は、この国の貴族の中ではそう珍しい話でもなかった。子どもに恵まれない貴族夫婦が、分家から養子をとるなんて言うのはよく聞く話だ。
クラウスもそれに近い事情があったのだろうか、と推測していると、公爵はぽつりぽつりとクラウスの過去を話し出す。
「……クラウスと出会ったのは、隣国、ベルニエ帝国の神殿でした。彼は孤児なのです」
「……孤児?」
王国レヴァイン有数の公爵家が、孤児を引き取っただなんて話は、下手すれば公爵家自体を揺るがしかねない話題だ。そんなことを私に曝露してもいいのだろうか。
だが、公爵は、私の戸惑いなどまるで気にしないとでもいう風に、ゆったりとした口調で続ける。
「彼は、神殿で保護されていたのですが……どうやら同じ境遇であるはずの神殿の子どもたちや、聖職者たちから忌み嫌われているようでした」
「……クラウス様が? どうしてです?」
性格云々はさておき、見た目だけならばまず彼に嫌悪感を抱く人間はいない。ましてや子供を意味も無く蔑むなんてことは考えにくかった。
ここにきて、公爵が初めて表情を曇らせる。やがて、深緑の瞳を揺らがせて、躊躇いがちに告げた。
「……信じられるような話ではないかもしれませんが、クラウスは、幼くして吸血鬼に囚われ、虐待されていたのです。吸血鬼に血を吸われ、虐げられたクラウスは、穢れた存在であると神殿の聖職者たちは考えていたようでした」
「っ……」
言葉も無かった。まさか、吸血鬼の中に、そんな非道なことをする者がいるなんて。
吸血鬼とはいっても、血が必要な時はクロウ伯爵家でいうバート使用人一家のような協力者から血を分けてもらうことが殆どだ。見境なく人を、それも子どもを襲ったりなんかしない。
だが、人間の中にも悪人がいるように、吸血鬼の中にもその道理に外れる者がたまにいる。クラウスは、そんな悪質な吸血鬼に囚われていたのだろう。
……その吸血鬼と、お兄様に何か関係があるのかしら?
お兄様は、クラウスより一つ年上というだけだ。いくらなんでもクラウスを捕らえた吸血鬼であると考えるのは不自然である。
それにもかかわらず、クラウスがお兄様を恨んでいることには何か理由があるのだろうが、こればかりはこの話だけでは推測のしようが無かった。
「吸血鬼なんていう、お伽噺の存在を持ち出してしまって申し訳ない。何なら、一種の比喩と思って聞いてくれていてもよろしいかと」
公爵は私の戸惑いを、吸血鬼という架空の存在を持ち出したことによるものだと考えているようだったが、これには曖昧な笑みを返すしかなかった。「お伽噺どころか、何なら目の前におりますわよ」なんて言えるはずもない。
「吸血鬼に囚われ、保護された神殿でも虐げられていたクラウスの心は……殆ど壊れかけていたと言ってもいいでしょう。この屋敷に引き取った後、私と亡き妻で必死に話しかけ、可愛がり、どうやら私たちには心を許してくれるようになったのですが……彼は、人と接することを極端に嫌がりました」
暗い過去がクラウスをそうさせたのだろうか。一見すれば、誰からも好かれる「王子様」と言った風情のクラウスとは、すぐにはイメージが結びつかない。
「それは恐らく……今も変わっていないと思います。人に囲まれると、吸血鬼に囚われていた時のことを思い出してしまうようで……そのために、今まで出来る限り表舞台を避けていたのです。この間の王女様の生誕祭ばかりは、私が体調を崩してしまったのでクラウスに代理を頼むほかに無かったのですが……まさかそこで、こんなに素敵なご令嬢を見つけて来るとは」
ハイデン公爵は、どうやら私の存在を心から歓迎してくれているようだった。私とクラウスの関係は、お互いに利用し合うだけの契約関係でしかないのに、何だか申し訳ないような気持ちになってしまう。
「もちろん、クラウスには今まで数々の縁談が舞い込んできましたが……どのご令嬢とも、顔を合わせた直後はやつれた顔をして帰ってきました。きっと、無理をさせていたのでしょう。彼は本当に、他人と関わることを嫌がるのです。それでも彼の心を癒してくれる、素晴らしい女性に出会えたら、という一心で縁談を進めていましたが……あの時ばかりは、己の浅はかさを恥じました」
ハイデン公爵の心配は、分かる気がした。見たところ、ハイデン公爵は高齢と言っても差し支えないようなお年であるようだし、既にハイデン公爵夫人もお亡くなりになっている。人が嫌いで、殻に閉じこもるクラウスを一人ぼっちで残していきたくなかったのだろう。
「ですが、クラウスはあなたとならごく普通に付き合えるようですね。何なら、あなたと顔を合わせた後のクラウスはどこか愉しそうですらある」
「それは……光栄ですわ」
口ではそういったものの、クラウスのことだ。大方、私を思い通りに操っているという優越感と、お兄様の絶望する様を思い出して楽し気にしているだけなのだろうことは分かり切っていた。
「しかも、あなたのお名前はクラウスが幼少期にうなされるようにして呼んでいた『フィーネ』という方と同じだと来た。妻が生きていれば、二人は前世の恋人同士だったのだとはしゃいでいたでしょうね」
クラウスと前世の恋人同士なんて冗談じゃない。そんな素敵な関係とは正反対の付き合い方をしている私たちなのだ。思わず笑みが引き攣ってしまった。
「……クラウス様が私と同じ名前を幼少期に呼んでいたなんて、何だか信じられないような偶然ですわね」
公爵の話に合わせつつ微笑めば、公爵はゆったりと頷いた。
「やはりあなたは、神がクラウスの下にお導き下さった特別な令嬢なのかもしれませんね」
「ふふふ、大袈裟ですわ」
本当に大袈裟だ。もしも公爵の言う通りだったとしたら、吸血鬼である私を吸血鬼に虐げられ苦しめられていたクラウスと巡り合わせるなんて、残酷な神様もあったものだ。クラウスに何の恨みがあるのかと訊いてみたくなる。
香り高い紅茶をそっと口に含んで、ゆっくりと飲み下す。クラウスの抱える事情が思ったよりも重苦しいものであったことには、やはり複雑な心境だった。
ハイデン公爵は私のその憂いを違った意味に捉えたようで、どことなく肩を落とした様子でぽつりと呟いた。
「……しかし、フィーネ嬢。もしも今の話で婚約を考え直したい、ということでしたら、私の方からクラウスを説得しておきましょう」
「婚約を、ですか?」
「はい。あなたは由緒正しいクロウ伯爵家のご令嬢だ。クラウスは公爵家の嫡男として立派に育てたつもりではありますが……もとは孤児であることが気にかかるようでしたら、無理にお引止めは致しません」
ハイデン公爵の心配はもっともだった。血への拘りが強い貴族であれば、クラウスが元孤児であるという事実だけで縁談を破談にしてしまってもおかしくない。そもそもクラウスが養子であることを隠していること自体、貴族としてはある意味危ない橋を渡っていると言ってもいい。
「……婚約を考え直す気はありませんが、公爵はどうしてクラウス様を引き取ろうとお思いになったのです?」
いくら公爵が敬虔な信者で、神殿で虐げられているクラウスを憐れに思ったのだとしても、彼を公爵家の跡取りにすると決断するのは容易ではなかっただろう。
「……孤児とは言いましたが、実は私は、彼の両親を知っているのです。特に彼の父親とは、身分差を越えた友人だったと言ってもいいでしょう」
「つまり彼は、ご友人のお子様という訳ですか……」
ハイデン公爵は静かに頷きながら、自身の皺だらけの手を見つめた。
「あるとき、彼の両親に不幸がありました。私は友人でありながら、彼の両親を助けることが出来なかった……。彼らの死をきっかけに、クラウスも行方不明になっていたのですが……これこそ神のお導きでしょうね。まさか、たまたま礼拝に寄った神殿で、彼を見つけるとは思いもしませんでした」
神のお導き。吸血鬼にはほど遠い言葉だ。そんな奇跡にも近い偶然で救われたクラウスの存在が、ますます自分とは相容れないもののように思えてしまう。
「この話は、クラウスも知らないことなのです。ですから、どうか彼には内密に」
「……分かりました。彼には伏せておきます」
にこりと微笑んで了承すれば、ハイデン公爵はほっとしたように息をついた。
「……クラウスは、あなたのような優しいご令嬢に出会えて幸せ者だ。何か困ったことがあれば、いつでも相談してください」
身に余るお言葉です、とありきたりな返事を返す。ふわり、と漂う私の大好きな茶葉の香りは、今だけはどうにも私を感傷的な気分にさせるのだった。
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