第17話
煌びやかなシャンデリアの光と、優雅な音楽。お酒と香水の香りが充満する広間の中で、紺碧のドレスに身を包んだ私は小さく溜息をついていた。
私の隣に立つのは、漆黒の礼服に身を包んだクラウスだ。万人受けする好青年を演じながら、私をエスコートしている。お兄様と並んで歩いているときもそれはもう注目を集めるものだが、今もほとんど同じくらい、周囲の視線を感じていた。
その視線の殆どが、クラウスに恋い焦がれるようなものだ。性格云々はさておき、黒髪と紺碧の瞳を誇るクラウスの見目は、それはそれは麗しいのだから。
お兄様はどちらかと言えば怪しげな色気を漂わせ、陰鬱な雰囲気すら味方につけるような不思議な魅力をお持ちの方だけれど、クラウスは誰からも好かれるような、陽だまりの似合う青年だった。神殿育ちということも相まって、神聖な空気を纏っているようにも見える、万人受けする「王子様」と言った見目なのだ。
そんな彼が、人気でないはずがない。私にまで羨望の眼差しが向けられるくらいなのだから、相当だ。
「……今すぐ代わって差し上げたいわね」
果実酒のグラスを片手に、溜息交じりに独りごつ。普段はきらきらとした夜会に参加しているだけで胸が高鳴るものなのに、今夜ばかりはどうにも気が重かった。
クラウスのエスコートで初めて参加する夜会は、クロウ伯爵家となじみの深いある侯爵家で開かれたものだった。
そのため、お兄様にも当然招待状は届いており、彼もまたこの広間に足を運んでいる。
「お前の兄はその場にいるだけで女性を惑わせるらしいな……」
クラウスが、若干引いたような目つきで広間の隅を見やる。
彼の視線の先では、お兄様を中心にご令嬢方が群がり、ちょっとした人だかりが出来ていた。今のお兄様はいつもにも増して物憂げなお顔をなさっているのだが、却ってそれがお兄様の人気に拍車をかけている気がする。
「お兄様は誰より綺麗な方だもの。当然よ」
表面上はクラウスと仲睦まじく夜会に参加している私だったが、本当は先ほどからお兄様のことが気になって仕方がなかった。どうにかしてお兄様を意識の外に追いやろうにも、どうしてもできないのだ。
それもすべて、お兄様が射殺さんばかりの鋭い視線で私たちを睨んでいるからだった。主催者である侯爵夫妻に挨拶した後は、誰と踊ることも無く、壁際でずっと私たちを監視しているのだ。
「あの目、お前本当にそのうち殺されるんじゃないか?」
揶揄うようなクラウスの言葉が冗談に聞こえないくらいには、お兄様の視線には執着が絡んでいた。
自分で招いた事態とはいえ、どうにも居心地が悪い。いっそどこかで休みたかった。
何気なくクラウスの顔を見上げれば、紺碧の瞳は悪戯をする子供のように輝やいていて、相変わらずの性格の悪さにうんざりしてしまった。
「口を開けば下らないことしか言えないのね。熱のこもった視線であなたを見つめるご令嬢方に、あなたの本性を明かしてやりたいわ」
広間に漂った熱を誤魔化すように、冷たい果実酒を一口口に運んだ。度数は大して高くない、甘いだけのお酒だ。
「これでも一応心配しているんだぞ? 折角手に入れた装飾品が、早々に使い物にならなくなるのは惜しいものだろう?」
大袈裟なくらいに眉尻を下げて、クラウスは私を見つめる。傍から見れば婚約者を気遣う好青年に見えているであろうその表情が腹立たしくて仕方が無かった。
「それに――」
クラウスの手が、ぐい、と私の肩を引き寄せる。
「――お前を殺すのは俺の役目だからな」
囁くようなその声は、耳朶に唇が触れそうな至近距離で告げられたが、不思議と肩は震えなかった。同じことをお兄様にされたらこうはいかない。今頃心臓が大暴走していることだろう。
「……そうね。場合によってはね」
今までならば威勢良く反論していただろうが、クラウスの過去を聞いてから三週間も経てば、次第に覚悟のようなものが決まりつつあった。
「でもどうせ殺されるならば、あなたよりお兄様の方がずっといいわ」
「歪んだ兄妹だな。雰囲気はまるで似てないのに、そういうところはそっくりだ」
クラウスは鼻で笑って、手にしていたグラスの中身を呷った。そのちょっとした仕草でさえも目を奪われてしまうだから、大した美青年だと思う。
「……私とお兄様、そんなに似ていないかしら?」
幼いころから気にしていたことを指摘され、私らしくもなく話題を掘り下げてしまう。クラウスは紺碧に瞳で私とお兄様を見比べ、やがてふっと笑みを深めた。
「全然似てないな。あいつとお前は、化け物同士というより、化け物と獲物に近い」
「それは、私が獲物だと言いたいの?」
「当然だろ。あいつは今にも襲い掛かってきそうな眼光で俺たちを睨んでるじゃないか」
クラウスは面白がるように私の腰を引き寄せると、横目でお兄様がいる方を見ていた。そのまま見せつけるように、私の髪を耳にかける。
私からはお兄様の顔は見えないが、どんな表情をなさっているかくらい想像がつく。
下手したら先に殺されるのはクラウスのほうなのではないか。そう思ってしまうくらい、彼はお兄様を挑発するのが上手かった。それだけ性格が悪いともいえる。
「……離して。ドレスが崩れるわ」
「あいつには好きなだけ触らせていたのに?」
「下世話な言い方しないでくれる? お兄様はそれだけ特別な方なのよ」
無理やりクラウスから離れ、人一人分の距離を取り彼を睨み上げる。クラウスは大げさな溜息をついて、やっぱりにやつくような笑みを見せた。
「白銀の君、だもんな?」
「……まだ決まったわけではないわ」
「早く確定させろ。いつまでもだらだらと待つ気はないぞ」
クラウスはからのグラスをテーブルに置きながら、面倒そうに告げた。その言葉に、思わず私は目を見開いてしまう。
「……待つ気があったの?」
勝手に婚約の話を進めたクラウスのことだ。適当に結婚式の日取りも決めて、さっさと復讐を済ませるものだと思っていたのに。
私の指摘に、クラウスは自分でも驚いたと言わんばかりにはっとしていた。やがて彼は私から顔を背けると、どこかきまり悪そうに深い溜息をついた。
「……俺らしくない発言だったな」
「ま、まあ……そうね」
酷く狼狽えたような様子のクラウスを見ていると、私まで動揺してしまう。
明らかに不機嫌になった彼は、戸惑いを誤魔化すように新しいグラスに手を伸ばした。それほど強いお酒ではないので問題ないだろうが、自分の失言を悔やむようなクラウスを見ているのは何だか妙な気分だ。
「……なるべく早く確かめたいと思うけれど、このところのお兄様は私とまともにお話をしてくださらないのよ」
「あの病みようじゃそうだろうな」
「病ん、でるのかしら……」
「最愛の妹をぽっと出の得体の知れない男に奪われたんだ。そりゃ病みたくもなるだろう」
「自分で原因を作っておきながら、よくもそんなことが言えるわね……」
私も私で、先ほどのクラウスに負けないほどの大袈裟な溜息をつく。グラスの残りの果実酒を呷れば、甘ったるい果実の香りが鼻腔をくすぐった。
「なかなか悪くない気分だぞ。ただ殺しに行くだけじゃ、あいつのあんなに苦しそうな顔は見られなかっただろうからな。やはり、お前に接触したのは正解だった」
そう告げるなりクラウスは、そっと私の手から空のグラスを回収すると、エスコートするように手を引いて広間の中心へ向かう。もともと注目を集めている私たちが移動したためか、一層周囲の視線を集めている気がした。
「っ……何するのよ」
「あいつにちゃんと見せつけないとな。お前の最愛の妹は俺が奪ったんだってこと」
クラウスは意地の悪い笑みを浮かべながら、広間の中心付近に躍り出ると、他の若い男女の群れに紛れるようにして私の腰を引き寄せた。
「……一曲だけよ」
「そうつれないことを言うな。俺はお前の婚約者じゃないか」
馴染みの音楽が始まり、仕方なくステップを踏み出す。ふわり、と黒髪とドレスの裾が舞った。
一歩踏み出しただけでも分かる。悔しいが、やはりクラウスとは息が合う。一緒に踊ったのなんてこれで二回目くらいなのに、まるで長いことずっとパートナー役を務めてきたような、そんな安定感があった。
「……表舞台に出て来なかったわりに、ダンスが上手いのね」
自分でも驚くほどのふてぶてしさで褒めれば、クラウスは面白がるように私を見下ろす。
「お前が俺を褒めるなんて珍しいな。何か企んでいるのか?」
「何よ、ちょっと素直に褒めてあげただけじゃない」
こんなお喋りをしながらでも、一度も足がもつれない。それどころか、周囲の視線を一層集めるほどに、見事なダンスを披露していることに気づき始めていた。
「お前は頭も体も軽いから扱いやすいだけだ」
「本当に酷い言い草だわ……」
呆れるように苦笑いを浮かべれば、クラウスが私の腰に両手を添え、ふわりと持ち上げる。そう、抱き上げると言うよりは持ち上げると言った方がふさわしい所作だったが、それでも周囲からわっと歓声が上がるのが分かった。
だが、彼に持ち上げられた瞬間、彼の紺碧の瞳を見下ろしたときに湧き上がった感情は、羞恥でも苛立ちでもなく、懐かしさだった。
それも、何となく懐かしいなんてものではない。胸を引き裂かれるような、痛烈な懐かしさと、懐かしさの先で切望している光景が絶対に手に入らないのだという、確信。
――フィーネは軽いな。放っておいたら天使みたいに飛んで行ってしまいそうだ。
――えへへ、もっともっと! このままお庭までいきましょう!
瞬間、僅かな頭痛と共に、まるで一枚の絵のような温かい光景が思い浮かぶ。
まだ幼い、黒髪の少年と少女。お互いを慈しみ合うような、温かい、二人の光景が。
それは、クラウスも同じだったのだろう。衝撃に目を見開いたまま、紺碧の瞳を揺らがせている。言葉もない様子だった。
ぽたり、と理由もなく涙が零れ落ちる。それと同時に、見下ろしたクラウスの目尻からも、一筋の涙が伝うのが分かった。
クラウスはそっと私を床に降ろすと、指先の震えを隠すようにただ私の手に触れていた。私も私で、彼と似たような反応しか示せない。とてもじゃないが、踊りを再開するような心境ではなかった。
悲しいわけでも嬉しいわけでもない。ただ、ぽたぽたと涙が零れ落ちていった。
それは、目覚めると忘れてしまうあの夢を見たときによく似ていて、自分の意思とは関係なく流れる涙が、私は何か大切なことを忘れているのだと、警告しているような気がした。
私もクラウスも、何も言わなかった。ただ、指先だけを触れ合わせて、零れ落ちる涙の意味を探っていた。
突然に踊りを中断し、訳もなく涙を流し始めた私たちを見て、周囲が僅かに騒めき出す。優雅な音楽さえ、まるで別世界で流れるもののように遠く聞こえた。
「……お化粧を直してくるわ」
茫然とした心地のまま、どうにかそれだけを告げてクラウスの元から離れる。このままクラウスの前にいたら、いつまでも涙が止まらないような気がしたのだ。
クラウスは私を引き留めなかった。引き留める余裕などないとでもいう風に、ただただその場で俯いていた。
足早に、人の波を掻き分けていく。人気のない場所を探して彷徨う私の脳裏に浮かぶのは、どうしてか、クラウスのロケットの中に閉じ込められた、薄紅色の花弁だけだった。
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