第10話
お父様とお母様は、応接間から場所を変えて、お庭でお茶をしているところだった。
今日は夏らしい、爽やかな青空が広がっている。程よい風も吹いていることだし、お茶会にはもってこいの天気だった。
「フィーネ、遅かったわね」
いち早く私の登場に気が付いたのは、お母様だった。お母様と向かい合うようにして座っていたお父様も、柔らかな笑みを浮かべて私を振り返る。
「フィーネも一緒にどうだ? 先ほどはクラウス殿がいたからまともにお茶も楽しめなかっただろう」
お父様に勧められるままに、私は丸いティーテーブルについた。すぐに、リアが私の分の紅茶も運んできてくれる。
「何だか疲れた顔をしているわ。恋人を見送って来たばかりで寂しくなったのかしら?」
からかうようなお母様の声に、私は曖昧な笑みを浮かべることしか出来なかった。今はクラウスのことよりも、お兄様のことが頭から離れない。
「よければ、お前の口からちゃんと聞かせてくれないか。どうして、クラウス殿と婚約したいのかを。そもそも……彼は、我々が吸血鬼一族であることを知っているのか?」
お父様の懸念はもっともだった。吸血鬼の婚姻は、原則吸血鬼同士で行うものだ。問答無用で反対されてもおかしくない私とクラウスの婚約話を、頭ごなしに否定しないお父様とお母様の寛容さには頭が上がらない。
「……いいえ、彼は私たちの秘密を知りません」
実の親に向かって真っ赤な嘘をつくと言うのも心苦しい。だが、彼がクロウ伯爵家の秘密を知っていて、それを取引材料に私と結婚しようとしているなんてバレたら、優しいお二人は必ずこの婚約に絶対に反対なさるだろう。「お前が犠牲になる必要なんてない」と息巻くお父様が目に見えるようだ。
クラウスがクロウ伯爵家の秘密を暴露しないと言った以上、お父様とお母様に余計な不安を与える必要はない。そう判断しての嘘だったが、お二人がどのような対応をなさるかはまるで読めなかった。
数秒間続く沈黙に耐えられなくて、思わず私から口を開いてしまう。
「その……原則から大きく外れようとしているお話だということは分かっておりますが――」
「――本当に想い合っているというのなら、止める理由はないさ、フィーネ」
「え……?」
あっさりと許可を出すお父様の言葉は、あまりにも意外だった。何だか拍子抜けしてしまう。
「あの方は含みのある表情ばかりなさるから少し不安だけれど、フィーネのことをちゃんと愛しているというのなら、私も止める理由はないわね」
「お母様まで……」
優雅にティーカップを口に運ぶお母様をまじまじと見つめてしまう。お母様は唖然とする私の反応が面白かったのか、くすくすと小さな笑い声を上げた。
「なあに? 反対してほしかったの? まあ、恋は障害がある方が燃えるともいうけれど……フィーネが望むことなら、止めないわよ。あなたには、幸せになってほしいもの」
お母様の言葉につられるように、うんうんと頷くお父様もまた、穏やかな笑みを浮かべていた。こんなにあっさりと受け入れられるなんて、想定外もいいところだ。
「……いいのですか? 私は、大原則を破ろうとしているのに」
吸血鬼同士の婚姻は、何代も何代も続く掟と言ってもいいほどの慣習だ。それをあっさりと破ることを認めてしまっていいのだろうか。
お母様はどことなく切なげな目で私を見つめると、ふっと優しく微笑んだ。
「……いいのよ、フィーネ。あなたは、そんな下らない掟に縛られなくてもいいの。あなたには、あなたが一番愛する人と幸せになってほしいわ」
その言葉は、無償の愛の証であるはずなのに、まるで線引きをされたような気がしてならなかった。お父様とお母様の赤い瞳は確かに慈しむように私を見つめているのに、どうしてか疎外感を感じてしまう。
「……それは、私が吸血鬼として未熟だからでしょうか? 私は、今もクロウ伯爵家に相応しくない、血を飲むことすらままならない子供のままですか?」
その言葉に、お父様とお母様は、まるで痛いところを突かれたと言わんばかりにはっとしていた。だが、一番驚いていたのは私のほうだ。
常識外れの婚約話を無理に受け入れてもらいながら、こんな我儘を言うなんて私はどうかしている。お父様もお母様も私の幸せを思ってこの婚約を許そうとしてくださっているのに、ひねくれた解釈ばかりしてしまう私は本当にかわいくない。
「……フィーネ、それは――」
「――申し訳ありません、少し、気が立っていて……」
困ったように揺らぐお父様とお母様の赤い瞳を見ていると、いたたまれないような気持ちになった。その瞳もまた、私に疎外感を思い起こさせる一因であるから、尚更質が悪い。
――お父さまも、お母さまも、お兄さまも、みんなみんな真っ赤なお目目なのに、どうしてフィーネだけむらさき色なの? フィーネが、できそこない、だから?
幼い私が繰り返しては、みんなを困らせていた呪いの言葉。みんなと違う紫色の瞳が大嫌いで、私は泣いてばかりいたんだっけ。
そう、私が、私がこんなことばかり言って、泣きじゃくっていたからお兄様は――。
「……ノアに、何か言われた?」
お母様は、静かな声で問いかけた。その言葉にはっと我に返った私は、思わず視線を彷徨わせる。
それだけで、答えとしては充分だったのだろう。お二人から悩まし気な溜息が漏れ聞こえてきた。
「……ノアも困ったものだな」
「ええ……年々拗らせている気がして、見ていられませんわ」
呆れたような物言いのお二人に、そっと顔上げてみる。お父様とお母様は、何かご存知なのだろうか。
「……お父様、お母様、私、何か忘れていることがあるのでしょうか。先ほど、お兄様に言われたのです。どうして、いつまでも思い出さないのか、と」
その言葉に、お父様もお母様も赤い目を見開いて私を見つめていた。酷く驚いたようなご様子だ。
「何を、とお聞きすればよかったのでしょうが……ひどく、取り乱しておいでだったので、聞けませんでした。ですから、お父様とお母様が何かご存知なら伺いたいのですが……」
「……あの子にしては頑張ったわね」
「そうだな……」
お二人は何度か目を瞬かせて私を見ていた。やっぱり何かご存知のようだが、お母様はふっと笑ってティーカップを口に運んだ。
「折角尋ねてくれたところ悪いけれど、それについては、私たちから教えるのはルール違反だから言えないの」
「ルール違反、ですか……」
一体何のルールなのか、と問い返す前に、お母様は穏やかな笑みを浮かべたまま続ける。
「ええ。でも、フィーネが思い悩む必要はないわ。ノアがあなたに教えないと決めたのなら、それはそれであの子の選んだ道なのだから」
「お兄様の選んだ道、ですか……」
何だか煙に巻かれているような気分だが、お母様が仰ると不思議とそれでもいいような気がしてきてしまう。依然として釈然としない気持ちは残っていたが、ひとまず紅茶を口に運んで心を落ち着かせた。
大好きな紅茶の香りが、口いっぱいに広がっていく。思わずほうっと息をついて、ゆっくりと瞬きをする。
この茶葉は、王国レヴァインの南部で採れる品種で、私が一番気に入っているものだ。この国の主流の茶葉ではないのだが、私とお母様がこれを好むので、クロウ伯爵家では余程の事情がない限り、いつでもこの茶葉を使っていた。
一昔前までは、この茶葉の原産地はこの国の隣国である王国メルヴィルだった。今は亡国メルヴィルと言われる通り、王家も国も既に亡きものとなっているのだが、お母様の出身国でもある。
亡国メルヴィルは、私たちの住んでいる王国レヴァインの友好国でもあるベルニエ帝国に滅ぼされた。お母様からしてみれば、この国は祖国を滅ぼした国の友好国なのだから、複雑な想いもあるだろうと思うのだが、「クロウ伯爵家に嫁いだ以上、私は王国レヴァインの国民よ」と割り切っているようで、心穏やかに過ごされている。
それでも、亡国メルヴィルで流行っていた茶葉を今も好んだり、時折物寂しそうな目で空を眺めていらっしゃるから、祖国への感傷は今もお母様の中に生きているのだろう。
感傷を心の内に秘めながらも、前向きに生きるお母様の姿は、いつでも私の目標になっていた。そういう意味では、この茶葉は私にとっても特別なものだ。
……私もいつか、この想いを胸の内に秘めたままに、お母様のように清々しく笑えるようになるかしら。
それはあまりに遠い未来で、上手く想像できなかった。もやもやと燻る感情を抑え込むように、もう一口紅茶を口に運ぶ。
「それはそうと、クラウス様との婚約を進めるならば、新しいドレスを仕立てなくちゃね。フィーネは今まで赤いドレスばかりまとっていたけれど、これを機にクラウス様の瞳の色と同じ紺碧のドレスを仕立てるなんてどうかしら?」
「ふふ、それは素敵ですね」
私を励ますように敢えて明るい話題を持ち出してくださったお母様に微笑みながら、呼吸の合間に、気づかれない程度にそっと睫毛を伏せる。
揺らぐ紅茶の液面に映り込む私の顔は、今も、泣き出しそうな顔のままだった。
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