第二十七話

 外に出ると、街は店の中の喧騒が嘘のように暗く静まり返っていた。トーマスは途端に心細くなったが、ジャンは、店外に広がる闇と静寂に動じることなく、真っ直ぐ前を向いて進んでいく。眠るロイを軽々と抱き上げ、月明かりの下颯爽と歩くジャンの姿は、まるで物語に出てくる騎士のようで、トーマスはしみじみと感嘆の息をもらした。


(ほんと、世の中って不公平だよな)


 貴族だからというだけではない。ジャンの存在そのものが、本人の望む望まないに関わらず、他の男の劣等感を刺激する。ジャンと出会った人間は、彼の魅力にひれ伏し愛するか、いけ好かない人間だと憎み嫌うかのどちらかしかない。ジャンのたちの悪いところは、自分でその魅力に気づいているようで気づいていないところだ。巧みな話術で人を惹きつけたかと思えば、突然感情のコントロールを失い、かわなくていい恨みをかう。


(こいつほど一貫してない、訳分かんねえ奴いないよな)


 そんなことを考えているうちに、3人はトーマスとロイが宿泊しているタバートインに辿り着いた。タバートインは、サザークでは知る人ぞ知る有名なインだ。

 ジャンがヘッドヴァン邸から帰ってきたその日、トーマスは、ロイ一人では心細いだろうからと、タバードインの二人部屋に泊まるよう指示され、インの中でもグレードの高い広々とした部屋にジャン持ちで泊まれるのは有難いと、二つ返事で引き受けたのだ。

  部屋に入るなり、ジャンは酔って意識のないロイの靴を脱がせ、優しくベッドに寝かせている。普段のジャンからは考えられないほど甲斐甲斐しいその姿に、どれだけロイに過保護なんだよと、つい突っ込みたくなったが、今はそんな事より、ジャンの話の方が重要だ。


「で、大事な話しってなんなんだ?」


 トーマスが切り出すと、ジャンはトーマスが座るベッドの角に自らも腰をかけ、単刀直入に言った。


「エドワード伯爵が逮捕される」

「…え?」


 反応が遅れたのは、ジャンの言葉がトーマスの予想をはるかに超えたもので、直ぐに理解できなかったからだ。


「ちょっと待て!嘘だろ?なんでいきなりエドワード伯爵が逮捕されるんだ?一体どうして!!」

「落ち着けトーマス!これから俺が話すことを冷静に聞いてくれ」


 動揺するトーマスの肩を押さえ、ジャンは、ロイと共にヘッドヴァン家に行った日に起こったことを、詳細に語り始めた。聞いていくうちに、トーマスは血の気がひいていく。


「…つまり、お前を意のままにするために、お前の父親がエドワード伯爵を陥れようとしてるってことなのか?」

「そうだ」

「嘘だろ?普通そこまでするかよ?いくらなんでもおかしいだろ?」

「そう、普通じゃないんだ。貴族や政治家ってのは、死んだ兄以外、大半が自己中心的なエゴイストの集まりだ、特に俺の父親はな…」


 冗談めかした口調と裏腹に、ジャンの顔には明らかな嫌悪と悲哀が浮かでいる。そんなジャンに同情めいた気持ちを抱きながらも、トーマスは言葉を止めることができない。


「だけど、だったらなんでロイと逃げたりしたんだよ?その場だけでも和解しておけば、エドワード伯爵逮捕まではしないかもしれなかったじゃないか?お前心にもないこと言って人を言いくるめるの得意だろう?」

「他人に対しては確かにそうだが、情けないことに、俺は父を目の前にすると、ただただ逃げ出したくてたまらなくなるんだ。

それに、あの時はまだロイが台本すら読んでいなかったからな、一刻も早くオーク座に戻ってアリアンを形にしておきたかったんだ」

「形にしておいたって、エドワード伯爵が逮捕されて公演できなくなったら意味ないじゃないか!だいたいお前の言う通りなんだとしたら、なんでこの一週間何のアクションも起こさずお前の好きなようにさせてるんだよ?」

「俺もそれは不気味に思っている。だが、あの男が俺を意のままにするために、エドワード逮捕という強硬手段に出るのはほぼ間違いない。これはあくまで推測だが、おそらく俺達により絶望感を与える、公演初日当日を狙ってるんじゃないかと思うんだ」


 ジャンの返答は、ジャンの考えすぎなのでは?という、トーマスの微かな希望を打ち砕く。ジャンが父親とうまくいってないことは知ってはいたが、まさかここまで根深く、ジャンを追い詰めているなんて知らなかった。息子を従わせるために無実の人間を逮捕しようとするなんて、やることのスケールが大きく悪質すぎる。


「それで、一体どうするつもりなんだ」


 想像を超えたジャンの話しに、すっかり意気消沈したトーマスが、ため息まじりにジャンに尋ねると、ジャンは不敵に笑って言った。


「おい、お前まさか、簡単に諦めるつもりじゃないだろうな?俺はまだ、エドワードが捕まるとわかっていながら、なぜアリアンを形にしておきたかったのか言ってないぞ」


 自分と同じく絶望しているとばかり思っていたトーマスは、驚いてジャンを見つめる。


「何か案があるのか?」

「明日の稽古の後、俺は家に戻り父と話してくるつもりだ。本当は嫌すぎて今から吐きそうだが背に腹はかえられない。俺がいなくなった後、おまえがあいつらをまとめてくれ」


 つまりジャンは、エドワード伯爵逮捕を防ぐため、自ら父親に頭を下げに行くということだろうか?話を聞く限り、家に戻ったらもう二度と、劇作家としてオーク座に戻ってこれるとは思えない。


「お前はそれでいいのか?せっかく今まで頑張ってきたのに、自分を犠牲にして、エドワード伯爵とオーク座を守るのか?」

「は?お前なんか勘違いしてないか?」

「え?」


 トーマスの感傷を嘲笑うように、ジャンは言葉を続ける。


「あの男はそんな甘い男じゃない。俺が頭を下げたところで、エドワード伯爵の逮捕は実行するだろうし、オーク座は丁度いいとばかりに潰すだろう。エドワードを逮捕して、俺の動向次第でどうにでもなると言われたら、俺はあの男に従わざるおえないからな」

「それじゃあなんのために家に帰るんだよ!アリアンを形にしたって、公演できなきゃ今までの努力全てパーだ!」

「だ・か・ら!まだ話は終わってない、いいかよく聞け、もし俺の想像していた通りのことが起こったら、俺は女王陛下に、エドワード伯爵の釈放とオーク座の再会を直接嘆願する」

「…は?」

 

 小声だがはっきりとした発音で言い放たれたジャンの突拍子もない言葉に、トーマスはまたもや絶句した。いくら市民の権利が確立し、庶民達もこぞって政治や宮廷の批判をするようになっているとはいえ、女王はやはり天上の人間だ。その女王に嘆願するなんて、現実離れした話としか思えない。


「一体どうやって?」

「実は今年の夏の行幸で、女王がヘッドヴァン家に滞在することになったんだ。

あの男がどんな手を使って女王の貴重なヴァカンスを手に入れたのかは知らないが、俺に兄の代用品になることを望んでいるのは確かだ。俺はあの男の意向通り媚び諂い、女王に気に入られるよう最大限の努力をするつもりだ」


 そこまで聞いて、トーマスは思い出したように納得する。

いつもつい忘れてしまいそうになるが、ジャンは本来、その気になれば女王と接見することも可能な名門貴族の子息なのだ。納得した途端、ジャンの話は急に現実味を帯び、トーマスは真剣に耳を傾けはじめる。


「アンナからの手紙によると、女王はアリアン公演日から2日後の6月27日から7月末までヘッドヴァン家に滞在するらしい。正直すぐに結果を出すのは難しいかもしれないがその間待つことはできるか?」

「いや、ちょっと待ってくれ、それじゃあエドワード伯爵が逮捕されてから、一か月以上おまえからの連絡を待たなくちゃいけないってことか?そもそも女王に嘆願したからって、そんなうまくいくものなのかよ?」


 不安げなトーマスに、ジャンは強い口調で語りだす。


「トーマス、この国で最も力があるのは、神に付与された王権を持つ女王陛下ただ一人だ。

俺の父親もセシルも、女王の意志には逆らえない。女王の一声があれば、あいつらもエドワードを釈放せざるおえなくなるはずだ。

いいか?これは俺達にとって一か八かの賭けなんだ。うまくいくかわからないからって、何もせずに諦めるなんて俺は嫌なんだよ!」


 ジャンの言葉は、トーマスの心を強く揺さぶる。世の中には、こうすれば必ず成功するなんて方法は存在しない。それでもジャンは、勝つ保証など全くない、決死の賭けに出るということなのだ。ジャンの覚悟を感じ取り、トーマスも決心を固める。


「わかった、俺はお前の言う通りに動く。けど、一ヶ月もあいつらを抑えて待つのはとても無理だ。もう少し早くできないのか?」


 ジャンはすぐには答えなかったが、やがて重々しい口調で返答する。


「わかった、女王が来て1週間以内に嘆願し、結果がどうあれ、週に一度は俺の信頼できる奴に手紙を渡してお前に状況を知らせる。それでいいか?」


 本来じっくり時間をかけて、女王の信頼を得た方がいいのかもしれないが、実際にエドワード伯爵が捕まり、オーク座の閉鎖が言い渡された後、あの血気盛んな俳優達が、一ヶ月以上待てるとは到底思えない。


「難しいと思うが、そうしてくれると非常に助かる」

「わかった。ありがとうトーマス!おまえが協力を約束してくれてよかった。

それで早速なんだが、この計画を実行するにあたって、オーク座の俳優たちに、伝えた方がいいことと、伝えない方がいいことがある…」


 その日、トーマスとジャンの話し合いは、細かいところまで互いにつきつめ、一晩中続いた。

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