第二十八話

 ジャンと朝方まで話あった事を思い出しながら、トーマスはオーク座の俳優達の心を落ち着かせるため、慎重に言葉を紡ごうとしていた。


「実は、エドワード伯爵が捕まるかもしれないという情報は、ジャンの耳にも入ってはいたんだ」

「なんだって!」

「知ってて俺らに黙ってたのか!」

「なんでちゃんと言ってくれなかったんだよ!」


 だが、闇雲に飛び交う批判と罵声に、トーマスは思わず声を荒げる。


「いいから最後まで話を聞け!」


 俳優達に対していつも穏やかなトーマスの怒声に、皆驚き静まり返った。


「悪い、こう見えて俺も動揺してるんだ。

ジャンが耳にしたのはあくまで噂程度の話だ。ジャンがヘッドヴァン家に用事があって帰った時、ジャンの母親が、そんな噂があるが大丈夫なのかと聞いてきたらしい」

「でも何でエドワード伯爵が?」


 当然の疑問を口にするオリヴァーに、トーマスは答える。


「エドワード伯爵は顔が広くエセックス伯とも親しかった。考えられる理由といえばそれくらいしかないが、エセックス伯を含め、彼に加担した反逆者達はとっくに逮捕され処罰されている。だからジャンはその噂を一蹴した。ところが今日、その噂が現実になってしまったんだ」


 エセックス伯の反乱と処刑は、ロンドン市民なら皆知っている。芸術を保護していたエセックスの人気は、劇団関係者の間ではいまだに根強く、彼の人気に嫉妬したセシルが、エセックスを陥れたのだという噂が、今もまことしやかに出回っているほどだ。


「エドワード伯爵も濡れ衣を着せられたんじゃないか?」

「エセックスがいなくなった今、宮廷を牛耳ってるのはセシルだからな。女王もセシルの言いなりらしい」

「でも何で今更?エセックスが処刑されたのは2月だぞ」


 ここで、本当の理由を皆に話してしまえば、原因であるジャンに非難がいってしまう。


「宮廷の思惑など俺達に分かりようはない。だがみんなも知っての通り、ジャンは名門貴族ヘッドヴァン家の息子で父親は女王の側近だ。

その立場を利用し、ジャンは今回なぜこんな事が起きてしまったのか、より正確な情報を得ようと、エドワード伯爵釈放を目指し動いてくれている。だからどうかみんな、希望を持って待っていてほしい」


 トーマスの話に皆納得はしたようだが、不安が払拭されたわけではない。混乱する俳優達の中、エリックがトーマスに問いかけてきた。


「今の時点で、ジャンが具体的にどう動いているのか、あんたは知っているのか?」

「まずはエドワード伯爵の嫌疑を晴らすことに尽力をすると言っていた」

「つまり、我々はじっと待つことしかできないって事だな」

「ああ、だがエドワード伯爵の嫌疑さえ晴れれば、オーク座の公演も許されるはずだ」


 ジャンは、女王への嘆願が成功しなければオーク座は潰されると言っていたが、今皆を失望させるわけにはいかない。


「みんなの不安な気持ちはわかる。だがエドワード伯爵は無実だ。必ず釈放され公演できる日が来る!」


 すると、黙って聞いていたダニエルが、トーマスを援護するように皆に向かって言った。


「トーマスの言う通りだ!エドワード伯爵の嫌疑はきっとジャンが晴らしてくれる」

「そうだよな!せっかく今日のためにみんな必死に稽古してきたんだ!こんなことで諦めてたまるかってんだよ!ジャンを信じようぜ!」


 それに続くように、オリヴァーが皆を鼓舞し、俳優達に希望が広がっていく。トーマスは、何も知らないはずのダニエルとオリヴァーの前向きな言動に、感謝せずにはいられなかった。

 ジャンが女王に嘆願することを話さなかったのは、この計画がジャンの父に知られることで、ジャンが女王に近づきにくくなることを恐れたからだったが、そこに触れずとも、俳優達が自暴自棄になるのを食い止められた事に、トーマスはひとまず安堵する。


「トーマスさん」


 だがそんな中、一人深刻な表情で声をかけてくるロイに、トーマスはギクリとした。あの夜、ロイは酔っ払って完全に寝ていたはずだが、もし途中で起きて全て聞いていたのだとしたら…


「ジャンは本当に大丈夫でしょうか?」

「なにが?」


 士気が上がっている皆に気を遣ったのか、ロイはトーマスにだけ聞こえるよう小声で話し出す。


「ジャンの家に行った日、ジャンの父親は問答無用でジャンを殴りつけました。ジャンも、父親の前だと別人のように弱々しくて…」


 その言葉で、ロイがただジャンを心配しているだけだとわかり、トーマスはホッと胸を撫で下ろした。


「大丈夫だ。ジャン自身、父親に対する自分の弱さをちゃんと自覚してる。それでもジャンは、エドワード伯爵を救うために一人家に戻ったんだ。とにかく俺達はあいつを信じよう。ロイだって、あいつが仲間思いの信用できる奴だってもう知ってるだろう?」


 トーマスがそう言うと、ロイは少し切れ長の青い瞳を不安気に揺らしながらも、血色のいい唇を綻ばせ笑顔でハイと頷く。その表情を見て、トーマスは思わず頬が緩んだ。


(まあ、ジャンが過保護になるのもわからないではないな)


 初めてロイと出会った時は、その美しい容貌の中に、ほの暗い陰影を色濃く纏っているようで、トーマスの持つアリアンのイメージと少し違っていた。しかし、最近のロイは、元来持つ神秘的な雰囲気はそのままに、純粋な無邪気さと明るさも垣間見せるようになり、より魅惑的になっている。ロイを見ていると、自分の中の庇護欲が煽られ、ジャンがあの日、最後まで離れがたそうにロイを気にかけていた気持ちも、わかるような気がしたのだ。


『俺がいない間、引き続きお前が側で、ロイの力になってやってほしい。俺が強引にこの世界に引き込んだのに、こんな事になってしまって…』


 思い出すのは、全てを話し終えたジャンが部屋を立ち去る直前、おもむろにロイの眠るベッドに近づき、名残惜しげにロイの髪を撫でていたジャンの横顔。

 ロイに触れるジャンの表情は、トーマスの中で鮮烈な印象として残り、トーマスはその時、不思議な違和感を覚えた。親愛というには、あまりにも深い熱を孕んでいるように見えたジャンの瞳。そう、あれはまるで…


(ってなに考えてんだ俺)

「どうしたんですか?」


 自分の思考に一人あたふたしだすトーマスに、ロイが訝しげに声をかけてくる。


「ああ、ごめん、ちょっと考え事…」

「おいロイ!こっち来い!客は入ってなくても本番と同じように練習するぞ!」

「はい!」


 オリヴァーに呼ばれ、皆のところへかけていくロイの後ろ姿を見送りながら、トーマスはもう一度、さっき心に浮かびかけた言葉を否定する。今はそんな事を考えてる場合ではない。


(頼むぞ!ジャン!)


 自然と力む掌を重ねあわせ、トーマスはジャンの成功を強く祈った。

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