第72話 彼の以外な才能
その夜、キャサリンの父と兄も会社から戻り、皆でがやがやと会話しながら夕食を済ませ、デザートのロシ゜ャータも好評で、食後のお茶の時間になった。
その日の食後の会話は好みの音楽についてだった。
彼には誰も聞かなかった、音楽を好む、興味があるなどとは考えられなかったからだ。
実際、彼に音楽への関心はさして無かった。
そして母にも尋ねなかった、何故なら皆が好みを承知していたからだった。
母は「マイケル・ジャクソン」の熱烈なファンだった。
その日も聞かれもしないのにマイケルについて熱く語り出しテレビにYouTubeの映像まで出し歌と踊りの素晴らしさを語った。
そしてとうとう言った「誰か彼の様に踊れる様に教えてくれないかしら」
皆が口々に言った。
「無理無理」
「時々、物まねの上手い人が結婚式なんかの余興でやるみたいよ」
などと言った。
その時、皆の会話に何時も参加せず、只黙って座っていただけの彼が立ち上がった。
何時もに無い彼の行動に皆が無言で彼を見つめた。
彼は立ち上がると居間の広く空いた処に立ち横を向き片手を頭に乗せ膝を少し曲げ腰を前後に振った。
ヘレンが叫んだ「ストップ、ストップ、待って、待って・・・音楽を掛けるから、あぁちょっと待っててね」
と叫ぶ様に言うと二階へと走って行った。
暫くして足音と共にまた走って来た。
その手にはヘンリーの帽子が有った。
「はい、これを使って婿殿」
と帽子を渡した。
彼は帽子を被ると横を向き腰少しを落とした。
ヘレンが「三つで音楽スタートよ、良い、三・・二・・一」とマイケルのビリージーンを掛けた。
音楽に合わせて彼が踊り出し、皆はつい先ほどテレビで見せられたマイケルのコンサートの時の踊りとそっくりな彼の踊りを唖然として見つめていた。
音楽が止まり彼がゆっくりと自分の席に座り珈琲を飲んだ。
その時点でも皆は唖然とし彼を見つめるだけで声も無かった。
暫くして母が両手を広げて彼に抱き着こうとした、此処で娘のキャサリンが反射的に二人の間に入り阻止した。
そして皆が現実に戻り彼に歓声と賛辞を贈った。
「素晴らしい」
「上手い」
「マイケルよりも優雅だった」
などと声を掛けた。
嫁で娘のキャサリンが尋ねた。
「練習していたの」
「いや、先程、見たからね」
「え~え~一度見ただけで真似が出来るの・・・完全に???」
「多分」
皆が又唖然と彼を見つめた。
今度は母が尋ねた。
「ピアノ演奏も???」
「多分」
今度は妹が尋ねた。
「ギターもフルートもサックスも???」
「ギターは可能だがサックスは映像に口の中が映っていないので出来ない」
母はテレビにクィーンの「ボヘミアン・ラプソディー」を写し出した。
フレディーのピアノ演奏のシーンだった。
途中で画面がピアノから変わった時点で母は映像を止め彼を見つめた。
皆も彼に目をやった。
彼は今度もゆっくりと立ち上がり居間の隅に置かれたグランド・ピアノに向った。
彼は今度もたった今映像で見た通りに演奏した。
またまた皆が唖然となった。
彼は映像の終わった処までピアノ演奏をして見せた。
「婿殿、貴方本当に人間なの~」
ヘレンの口を突いて出た言葉だった。
今は妻のキャサリンは惚れ惚れとした顔で自分の夫を見詰めていた。
「ちょっと待って、貴方、映像が無くて音だけでも良いの」
「はい、サックスの曲をピアノ、ギターで良ければですが」
「私の好きな曲があるの、聞いて弾いて貰える???」
「勿論です、私の奥さんの願いは最優先ですから」
この返事にキャサリンは武者震いをした。
「何、感動してるの、この子は~、早く聞かせなさい」
ヘレンが娘の感動に釘を差した。
「全く~、娘の感激の邪魔をする母親がいるかしらね、それが上院議員なんて~」
文句を言いながらも携帯電話を操作し音楽を流した。
「・・・」
「・・・」
「どう、弾けますか、この曲はイギリスのゲイリー・バローと言う歌手が1998年に発表した曲なのね、私が知ったのは、つい最近なの、聞けば聞くほど良い曲だと感じるのよ、皆は良いと思わない???」
「確かに良い曲だと思うけど・・・」
「私は気に入りました、購入します」
素っ気ない返事のヘレンに対してカリーは気に入りネット購入すると言った。
「これぞ、バラードだな、気に入った、私も買おう」
「僕も買います」
ヘンリーとデビッドも気に入り、買うと言った。
「皆が気に入ってくれて嬉しいわ、どう、貴方、聞かせて貰えますか???」
「はい、ピアノでけですか、歌はどうしますか」
「えぇ~、歌もありなの~、是非、是非、お願い」
「歌は彼の声にしますか、私の声にしますか」
皆が唖然となり、キャサリンなどは口をあんぐりと開け言葉が暫く出なかった。
<貴方、まさか、アダムじゃ無いでしょうね>
<違います、私です>
キャサリンが怪しんでアダムを介して話掛けた。
「オリジナルの彼の声も良いけど、それは何時でも聞けるから、貴方の声で聞かせて下さい」
「はい」
彼がピアノの鍵盤の上に手を翳した。
彼がピアノを弾き始め歌い出すと皆が唖然となり聞き入り、キャサリンはとうとう涙を流し始めたが本人はそれに気付いていない様だった。
彼が歌い終り、弾き終わっても歓声も拍手も何も反応は無かった。
静かな中にキャサリンのすすり泣く声が響いていた。
「キャサリン、前言を撤回するわ、素晴らしい曲だわ~、でも、歌は婿殿で無ければね、オリジナルも良いけど」
キャサリンが顔を上げて皆を見ると皆が同じ様に涙顔だった。
「キャサリン、お前の旦那さんはヘレンの言う様に人間とは思え無いな、新人類か超能力者だ」
「婿殿、貴方、レコードを出しなさい、きっと売れるわよ」
「お母さん、レコードの時代じゃ無いぞ、CDだよ、CD」
「駄目よ、彼は私だけの者よ、有名に何てならなくても良いわ、それに彼はお金持ちなのよ、もうお金なんて要らないの」
「妻の言う通りです、お断りします、理由は違います、私は有名になってはいけないのです」
キャサリン、ヘレン、カリーは直ぐに理解したが事情を知らないヘンリーとデビッドは不思議そうな顔をしていた。
「婿殿、貴方が譜面も無く弾ける曲はあるの」
「ピアノですか、ギターですか」
「あるのね、両方よ、デビッド、直ぐに貴方のギターを持って来なさい」
ヘレンの強い命令口調にデビッドは飛び上がり自室に走って取りに行き、あっと言う間にエレキ・ギターとクラシック・ギターの二つを持って戻って来た。
「何を聞かせてくれるの」
「ピアノはショパン作曲の英雄ポロネーズ、ギターはジプシー・キングスのインスピレイションです」
「あぁ、二曲とも私の大好きな曲よ、お父さんもインスピレーション好きよね」
「ああ、嫌いな奴はおらんだろ」
「私はショパンの英雄が大好きです、でも、インスピレーションと言う曲は知りません」
「そんな馬鹿な、確かジプシー・キングスはフランスのグループのはずだがな」
フランス人のカリーにヘンリーが教えた。
「皆、話は後にしましょう、貴方、ポロネーズからお願いします」
彼が又、鍵盤に向かい手を鍵盤の上に構え、弾き始めた。
彼がピアノを弾いている間の7分36秒の間、聞いていた皆は身動きも忘れ聞き入っていた。
弾き終わった彼が暫く余韻に浸り、鍵盤の上から手を離し椅子から立ち上がった。
その途端、聞いていた皆が大きく呼吸し拍手喝采した。
「婿殿、私が聞いたポロネーズでも一番素晴らしい演奏でしたよ」
「あぁ、最高だったな」
「凄いです、キャサリン、彼を私に譲って下さい」
「カリー、冗談でも駄目よ」
「冗談ではありません」
「猶更だめよ、しっ、しっ、カリー、貴方には接近禁止命令よ」
「兄さん、凄いです、素晴らしい演奏でした」
皆の感激の言葉を他所に彼はギターの処へ行った。
「デビッド、お借りします」
彼は持ち主のデビッドに理を言いクラシック・ギターのケースを持った。
ピアノの椅子の向きを替えて座りケースを開けた。
彼はギターを取り出し弦の張りを確かめて音を合わせた。
皆は只、彼の作業に釘付けになっていた。
彼が調弦を終えると大きく息を吸うと右手の五本の指先でギターを一度叩いて演奏を開始した。
4分33秒が短く感じる程の感動を聞いていた皆に与えた。
またもや、演奏が終わっても皆は無言だった。
彼がケースにギターの弦を緩めケースに納めデビットの横に戻し自分の定席のテラスへ向かった。
彼がテラスの椅子に寝転び暫くするとリビングが騒がしくなった。
そして、その直後ヨウコがテラスの彼にアイス珈琲を運んでくれた。
彼がテラスに去ってもリビングでの皆の呪縛は解けずヨウコが彼の為のアイス珈琲を運ぶ為に台所から現れて呪縛が解けて騒々しくなった。
「キャシー、貴方、彼を手放したら許さないからね、勘当よ、勘当」
「お母さん、其れは私の言葉よ、私と彼の邪魔をしたら絶交しますからね」
「私は別れて欲しいわ」
「カリー、諦めてね」
「大丈夫だよ、母さん、キャサリンは彼のお気に入りさ」
「そうだと良いのだけれど、この子は気が強いからねぇ~」
「あら~、誰に似たのかしら~、ご心配無く、私は彼の前では淑女ですから、じゃあね」
キャサリンは定位置のテラスに横たわる彼の胸に向かった。
テラスには既に彼女用の飲み物が用意されていた。
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