第16話 簪と鈴・中編

その人影の顔が、男達の持つ松明によって照らされる。


「琥太郎…? 琥太郎!!」


艶鬼の視線の先に立っていたのは琥太郎だった。

白目を剥いていて力無く歩く姿は、明らかに尋常では無い様子をしていた。


「どうした琥太郎! 何があったのじゃ!?」


艶鬼の問いに、琥太郎は答えない。

彼の瞳に艶鬼の姿が映っているかも怪しかった。


「琥太郎から聞いたぞ。お前は傷ついたこの男を介抱し、命を救ったそうだな…」


琥太郎の背後に回り、肩から頭を出す様にして次門は楽しそうに話す。


「琥太郎はお前を大切に思っておると話しておったわ。でもな。そんなものに意味は無いんだよ!!」


次門が腕を伸ばし、琥太郎の顔をで回す。


その異様な光景には、周りを囲んでいる男達ですら息をんだ。


「こいつは私より弱かった! だから、今となっては私の言いなりだ! お前達の絆は、こんなにも簡単に壊すことが出来る!」


歯を剥き出しにして笑う次門は、琥太郎の耳元にそっと顔を寄せる。


そして静かにこう言い放った。


「あの鬼を殺せ…」



一瞬の沈黙の後、琥太郎は鞘から静かに刀を引き抜いた。


「遊びはお終いだ。恨むなら自分の弱さを恨むんだな」


艶鬼に向かってそう言った次門は、後退すると腹を抱えて笑い出す。

次門の声が暗闇に包まれた森にこだまする。


体をくねらせて、目を開ききったままのその姿は、誰が見ても明らかに異常なものであった。




「琥太郎…わらわの声が聞こえるか?」


艶鬼の問いかけに、琥太郎は答えない。

一歩ずつ、静かに距離を詰めて近づいてくる。


「琥太郎! わらわのことがわからぬのか!?」


艶鬼はあきらめず、琥太郎に呼びかけ続ける。

しかし何の反応も返ってこない。


艶鬼の目の前まで歩み寄った琥太郎は、刀を振り上げ上段に構える。


「何でじゃ琥太郎! 忘れぬと…言っておったでは無いか! それなのに…どうしてじゃ…」


刀を握る琥太郎の腕に、ゆっくりと力が込められた。


「い、嫌じゃ…こんなのは嫌じゃ!!」


叫び声を上げ、艶鬼は振り返って琥太郎から離れようとする。

その背中を目掛けて、琥太郎の刀が勢いよく振り下ろされた。


空を切る音がして、刀の切っ先から血飛沫が飛び散る。


「ああっ…」


離れようとする艶鬼の髪をかすり、刃はそのまま左肩を切り裂いていた。


苦悶の表情を浮かべて、艶鬼は声を上げる。

よろけてしまったが、左肩を抑えてなんとか倒れずに踏みとどまる。


その傷は決して深く無かったが、これまで感じた事のあるどの痛みよりも苦痛であった。

それは体だけでは無く、心も共に傷つけられた証だった。



部分的に髪を切られてしまったせいで、まとめていた髪型が崩れる。

乱れた髪にかろうじて刺さっているかんざしが、小さく鈴の音を鳴らした。


琥太郎は立っている艶鬼を見て、再び刀を振り上げる。

開いた間合いを数歩詰め、今にも斬りかからんとする。


「もう…どうすることも出来ないのじゃな…」


艶鬼が口から漏らした言葉は震えていた。


琥太郎の方へゆっくりと振り返ると、その瞳からは次々と大粒の涙が溢れ出ていた。


「琥太郎…。お主がわらわを忘れてしまっても、わらわはお主を忘れはせんぞ」


艶鬼は傷を抱えながら、琥太郎の顔を見上げる。


「この想いが伝わらぬのは悔しいが…。お主に斬られるのであれば仕方が無い。他の誰に斬られるよりも、お主に斬られるならば許せる…。これはわらわの…本心じゃよ…」


涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらも、艶鬼は琥太郎に向かって笑顔を作った。

必死に隠そうとしても、口角が震えてしまう。


その姿を見た琥太郎は、何か思うところがあったのか、しばらく刀を振り上げたままの格好で動きを止めていた。


艶鬼は覚悟を決め、視線を落とすと同時に瞳を強く閉じる。




瞬間。

下げられた艶鬼の頭。

その後ろ髪からかんざしが抜け落ちた。


落ちたかんざしは地面に跳ねて、静かな森の中に鈴の音を響かせる。



「あ…ああ…」


俺は何をしている…。


「ああああっ!」


誰を傷つけている…。


琥太郎は苦悶の叫びを上げた。


もがき苦しんで、激しく体をくねらせる。

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