第36話 輝く満月の下で
横に並んでいるようでいて少し先を歩くルノワを追いかけるように、アラタは夜のニーシアの街を歩いている。
輝く黄金鳥亭を出て以来、ルノワは“沈黙”グスマンくらい一言も喋らない。そんなルノワの
月に照らされた夜のニーシアの街を、二人無言であてもなく散歩する。
ふと、アラタは天を見上げる。
(――満月か。この世界に来た日も満月だったな……)
夜空に浮かぶ満月を眺めて感慨深くなる。この世界に来た日も綺麗な満月の夜だった。わずか
このわけのわからないファンタジーじみた世界にきて、多くの知り合いができた。沢山の恐ろしい生物と戦い、ついには魔王まで倒してしまった。
自分でもこの一ヵ月が信じられない。未だに朝起きたら自分の部屋で、これらの冒険は夢だった、そんなオチなんじゃないかと思うほどだ。
だが現実はどうやら違うようだ。
朝起きれば定宿にしている輝く黄金鳥亭の一室で、元の世界のスプリングの効いたベッドとは違い木製の枠組みの簡素な硬いベッドの上だ。隣を見ると早起きのルノワは大抵すでにベッドにはおらず、ちょうどアラタが起きたタイミングくらいに部屋に戻ってきて朝食にしようと誘ってくる。
元の世界とはまるで違う生活だ。アラタの母親なんて、アラタが屋敷を貰ったと聞いただけでも卒倒しそうだ。
「なあアラタ」
不意に前を歩くルノワから呼びかけられた。
「なんだ?」
「お前と出会った夜もこんな満月だったな……」
後ろを歩くアラタからは、月の光を受けて輝くルノワの美しい黒髪しか見えないので彼女の表情は分からない。だが、その声音はアラタと同じように感慨深そうだ。
「そうだったな」
アラタは気恥ずかしくてわざとそっけなく返す。先ほど自身が回想していた事を悟られると、少し恥ずかしいからだ。
アラタがそっけない返答をしたからか、それに対するルノワの返答はない。
だいたい今みたいな心の機微を読まなければいけない展開は苦手だ、そう思い至ったところでアラタは思わず苦笑する。
皮肉にも今自分の少し前を歩く女より、元の世界でしょっちゅう喧嘩を売ってきた直情的なヤンキー達の方がよほど相手しやすく感じたからだ。さすがは邪神様というべきか。
そのように考えるあたり、よほど自分も直情的な人間なのだろうなあ、とアラタは少し自省する。
「アラタ、お前は……」
次に沈黙を破ったのはまたしてもルノワだった。何事もズバズバ言う彼女にしては珍しく、少し言い淀んでいる。なんとなくだが、今のルノワにいつもの余裕の笑みはないのだろうなと思う。
「……アラタ、お前はこの世界に来て、私と契約して良かったか? 後悔してはいないか?」
少し質問の意図が分からない。この世界に来たのはルノワ曰く偶然だという。アラタ自身もそうだと思う。特に魔法陣のようなもので召喚されたり、何か不思議な声に導かれたりした結果この世界に来たわけではないからだ。
契約については背に腹を変えられぬ状況であった他に取るべき道がなかった。第一ルノワと契約していなければ、この厳しい世界で今日まで生き残れていないだろう。
「この世界に来て良かったかって聞かれると答えづらいけど、まあ何とかみんなのおかげで楽しくやっていけているよ。契約についても後悔とかはないかな……」
「そうか」
アラタの回答にルノワはそう短く答えると、また黙ってしまった。人通りの少ない夜のニーシアの街を再び無言で歩き始める。ルノワのブーツが石畳を踏む音が、やけに響いて聞こえる。
アラタの答えに嘘はない。この世界に来て一ヵ月。契約中の邪神様のルノワ、頼れるベテラン冒険者のバリス、喋るコツメカワウソのししゃもといった仲間達や、ボガーツやサティナ、グスマンといった街の人たちや他の冒険者に支えられて、何とかやっていけている。
元の世界に帰りたい気持ちは以前と変わりないが、同時にこの世界にきてできた人間関係を大切に思う気持ちもあることには変わりない。
「今度は俺から聞いていいか?」
「――なんだ?」
今度はアラタから沈黙を破り、前を歩く邪神の後ろ姿に問いかける。まだ夜の散歩を続けるということは、ルノワはまだアラタに話したいことがあるのだろう。ならばアラタもこの機会に聞いてみたいことがある。
「封印されていたら五百年過ぎていて、世界も人々も変わってしまっていて、お前は寂しかったりするのか?」
文化や言語が変わってはいないといっても、生命は移り変わる。目覚めたら知り合いが死んでいたとかいうレベルじゃない時を経ていて、寂しかったりするのだろうか。
今思えば、ティウスのダンジョンでタイリクオオナマズにふらふらと不用意に近づいたのは、懐かしさが大きかったのかもしれない。
「寂しい、か……」
そう言ってルノワは夜空の月を見上げる。その顔が今どんな表情で、昔を思い出しているのか返答を考えているのかはアラタには分からない。
「世の移り変わりに取り残されるのは、神に限らずエルフなどの長命種の常だ。慣れているんだ、寂しくなんてないさ。――いや、寂しくないと言えば嘘になるか。だが今はお前やバリス、ししゃももいるから楽しくやっているよ」
異世界転移してき右も左もわからないアラタと、五百年間封印されていて時代から取り残されているルノワは、世界からずれている存在という点においては同一かもしれない。
「なあアラタ、知っているか?」
「何をだ?」
「神話とは夜に受け継がれていくものなんだ。月明かりと星々が照らす神秘的な世界、そして寝物語として語り継がれていく伝承の数々。神は寄り添い受け継がれていくものなんだよ」
ルノワは月明かりの元静かにそう語る。その声はアラタと出会った夜と変わらない美しく透き通るような声だ。
神の行いは神話として語り継がれ、人の行いは歴史として語り継がれる。膨大なサーガの一ページとなることに神か人かは関係はない。
「受け継がれていく、ね。俺達の冒険もいつかは伝説になるのかなあ?」
不勉強なアラタは、歴史の造詣も深くはない。少し気の抜けた感想しか返すことができない。
夜の街を歩く二人は、そろそろ街の一画を一周する。もう少し歩けば輝く黄金鳥亭に帰り着くであろう。
「ああ、お前も名前を刻むことになるぞ! 大魔王アラタとしてな!」
今までの静かな雰囲気とまるで違って、一転すごく楽し気な声だ。
「お前なあ、シリアスな話をしていたかと思ったら雰囲気ぶち壊しやがって。まあ俺も悪いけどな……」
「私は真面目話しているぞ? 魔王も一体――ああ、ししゃもも入れれば二体か、倒したからな。世界征服の道も明るいぞ!」
言われてみればこの邪神様の言う通りに事が運んでいる気がする。しかし悪名を歴史に残すのは避けたい。このままだと大英雄か大罪人の二択で未来のこの世界の教科書に紹介されている気がしてならない。
「だいたいお前はなんで俺を大魔王にしたいんだ? 契約したからか?」
――大魔王なんて、他に適任者が沢山いそうだが……。
アラタの問いに前を行くルノワは立ち止まり、長く黒い髪をたなびかせながらくるりとアラタの方に向き直った。
「一目惚れ……、とかな」
そう言うルノワの顔は満面の笑みで、艶やかな黒い髪は満月に照らされて美しく輝いている。整った顔立ちにある二つの紫色の瞳は、怪しい光と魅力を放っている。
――漆黒の闇を背景に立つ彼女は、お世辞抜きにまさしく女神だった。
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後書き
この話しにて完結です。読んでいただきありがとうございました!
サティナやグスマンの正体、当代の勇者等続き自体は書いているし、ちゃんとした全体の結末も考えているのですが……。いわゆる第一部完とさせて頂きます。
邪神様との異世界征服 青木のう @itoutigou
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