なんか、姉ちゃんがマウントを取る

「いいか、漱石先生の文章の誤字は先生なりに滅茶苦茶勉強した結果、これで間違いないという確信があったからであって、お前の誤字とは全然違っててーーー」

「はあ……そうなんすか」

「そもそも松本清張をミステリ作家としか思ってない時点でお前は本当にありえなくてーーー」

「うん…………なるほど」

「サリンジャーの村上春樹訳についてだって、ずっとずっとーーー」

「はい、ごもっともです…………」


……って、いつまで続くの、この話。

思わず漏れ出た僕の独り言を、夕闇を駆ける電車の音がかき消していった。



家で寛いでいたら、駅まで姉ちゃんを迎えに行ってくれと母さんに頼まれた。

なんでも地域の防犯ネットから痴漢出没の知らせが回ってきたらしい。犯人は迷彩柄の服を着て自転車に乗り、後ろから追い抜き様に女子高生の体を触っていったそうな。


「あの子美人だし狙われそうでしょ?もう暗いし、迎えに行ってきてくれない?」

「今から?」

「うん、あの子にはあんたが行くってメールしといたから」

じゃあもう選択の余地ないじゃないか。

大慌てで支度を始めた。

相手が痴漢なら万が一にも僕が襲われる心配はないけれど、念のため持ってる中で一番強そうな服を選んだ。迷彩のプリントパーカーだ。


自転車を飛ばして駅へ向かう。

線路沿いの道をひた走ること五分、いた。百メートル先からでもわかる姉ちゃんの歩き方。近寄ってブレーキをかけるとキキッと大きな音が辺りに響き、

その瞬間、自分が件の痴漢とほぼ同じ風体だということに気がついた。


「きゃあ!」


妙に可愛らしい悲鳴を上げて縮こまる姉ちゃんの目は、暗がりでもわかるくらいに潤んでいた。


それから10分。

「ホントにお前はそういうとこクルクルパーだよな。漫画しか読んでないからーー」

もう、続く続く。

姉ちゃんのお説教というか、ご高説というか、マウント取りが、続く続く。

我が家で帝王のごとく振る舞う姉ちゃんは、僕の前で女性的な一面を覗かせることを極端に嫌う。

「きゃあ」、なんて悲鳴を上げようもんなら姉ちゃんの姉プライドはズタズタだ。

そんな時姉ちゃんは、溜め込んだ読書知識を総動員して学力マウントを取り、プライドを回復させようとする。


「だいたいお前、今まで一度も読書感想文提出したことないだろ?あり得ないからな。漱石先生を読め。先生の一冊も読まずにヒゲはやすなんてわたしが許さんぞ」

無茶苦茶言ってんなぁ。

ないよ、ヒゲはやす予定なんて。てゆーか、夏目漱石くらい読んだことあるし、教科書で。

色々言いたいことはあるけれど、姉ちゃんのマウント中に言い返すと終わる時間が伸びるだけなので、はいはいと受け流して登頂を待つしかない。


「てゆーか、お前髪伸びたな。また切ってやろうか?」

「ああ、そうなんだよね。また頼める?」

「………」

「姉ちゃん?」

「………よかろう。メンドイけどな」

よし、機嫌直った。

そう安心した瞬間、


「わんわんわん!」

と犬が吠え、

「きゃあ!怖い!」

と姉ちゃんが泣いた。


えー………。

いやいやいや……。

『きゃあ、怖い』って、姉ちゃん。

近所の犬だぞ、姉ちゃん。

慣れろよ、何回吠えられてると思ってるんだ。

『きゃあ』の後にしっかり『怖い』って言うかね、姉ちゃん。

なあ、姉ちゃん………?


「ふ、ふざけんなよ!なんでわたしがいっつもいっつも髪切ってやらなきゃいけないんだよ!だいたいお前はーーー」

ああ、最悪だ。

また、一合目から登り直しか。

こりゃ家に帰っても終わらないぞ。


うちの姉ちゃんは、マジでめんどくさい。









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