なんか、姉ちゃんが………。
「藤代、結婚するらしいよ」
その衝撃の発言を聞いたのは、昼休みの渡り廊下だった。
頭蓋骨が口から飛び出ていく勢いで振り返ると、二人の女子が肩を叩き合いながら通り過ぎていった。上履きの色からして二年生だろう。
『藤代』さん。
以前に姉ちゃんがラインで誤暴露した、好きな男………え、藤代先輩結婚すんの?
「んな、バカな」
とりあえず、情報を求めて二年生の教室に向かう。二年の知り合いは
見つけ出す必要はなかった。
二年生の界隈はその話題で持ちきりで、廊下を一往復するだけでだいたいの状況が理解できたから。
わかったことは、二つ。
『藤代』さんは、やはり来月に結婚するということ。
そして、『藤代』さんは二年生の現代文の教師であるということ。
いや、先生かい。
おかしいと思ったよ。高校二年で結婚とか、ドラマ漫画の世界じゃないか。
ということは、たまたま姉ちゃんの好きな先輩と同じ名前の先生が結婚したということか。妙な情報に踊らされて、ノコノコと危険地帯に足を踏み入れてしまったもんだ。鬼に見つかる前にさっさと退散しないと……。
「おい、お前!」
「………あ」
言うてる間に見つかった。今日は髪の毛をポニーテールにまとめた姉ちゃん鬼。
「何してんだよ、二年の階で」
「あーいや、別に。先輩に呼ばれて」
「………ふーん」
「もう、帰るし」
「あ、待って」
「………何?」
「今日母さん遅くなるって」
「うん」
「だから、わたしがご飯作るから。カレー」
「うん」
「そんだけ。もう、帰れよ」
「わかったよ」
追いたてられるように階段を上った。
そのまま教室に戻り、クラスメートの輪に混ざる。会話の内容はほとんど頭に入ってこなかった。
姉ちゃんが好きな『藤代』は、来月結婚する藤代先生のことだ。
なぜかわからないけれど、姉ちゃんの顔を見た瞬間にそう確信した。
姉ちゃんは今日失恋したんだ。
何をやっているんだよ、もう。
先生って。
そこ行くか? それこそ、ドラマ漫画の世界じゃないか。
ネットとかではたまに聞く、生徒に手を出しちゃう教師の話を。でも、姉ちゃんの性格上そんなチャラい男には引かれることはないだろう。姉ちゃんが引かれるのは、きちんと教師と生徒の間に一線を引ける人。つまり、姉ちゃんの恋は始まった瞬間に、実らないことが確定していたのだ。
何をやっているんだよ、もう………。
「ただいまー」
少し回り道をして帰ったけれど、ソファに姉ちゃんの姿はなかった。
夕飯の買い物にいっているのだろう。
失恋直後からしっかりと家事をこなそうとするのは、姉ちゃんなりの負けず嫌いがこじれた結果なのだろうか。
姉ちゃんの代わりにソファに横になると、ラインが届いた。
『今、スーパー。何かいるもんある?』
少し考えて返信を送る。
『洗顔料ないからついでに買ってきて』
即座に既読が付き、そこから応答がない。了解したということだろう。
よかった。
スーパーに洗顔料は売ってない。買うなら近くのドラッグストアまで足を伸ばし、遠回りして帰ることになるのだけれど、了承してくれてよかった。
スーパーからまっすぐ帰った道にある医者の犬は、最近やたらと通行人に吠えるようになった。犬が嫌いな人には堪えるだろう。
ドラッグストア回りで帰れば犬はいないし、公園で昼寝をしていた猫をまだ見られるかもしれない。
公園を過ぎた植木屋の門前には、梅の花が咲き始めている。
植木屋の先の道には工事のための鉄板が敷かれており、上を歩くとカポカポと面白い音が鳴る。
うまくすれば、その先の家のぶち猫と会えるかもしれない。
姉ちゃんは失恋の痛みを絶対誰にも、多分親友の執行さんにも明かさない。
僕にできることはなにもない。
だからせめて、気持ちの良い道を通って帰ってこい、姉ちゃん。
がんばれ。
その日のカレーは姉ちゃんにしては珍しく隠し味が弱かった。
うちの姉ちゃんは、やっぱり恋をしていたのだと思う。
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