なんか、姉ちゃんの歯が痛い



「んー、んー、んー」


朝から姉ちゃんの機嫌がすこぶる悪い。

いつものようにソファに座って文庫本を開いてはいるけれど、難しい顔で唸ってばかりで内容も頭に入っていない様子だ。

「……姉ちゃん」

「んー、んー」

「姉ちゃんってば」

「んー! んー!」

「……………歯医者行けば?」

「………………」

あ、やんだ。唸りがやんだ。

そして、文庫本を目の幅だけソロリと下げ、キロリと睨みつけてくる。

「……何が?」

「いや何がじゃなくってさ」


姉ちゃんは基本的にビビりでヘタレなので、怖いのと痛いのが大の苦手だ。つまり歯医者が最悪の敵だ。

「歯痛いんでしょ? いくしかないじゃん、歯医者」

「……………………」

「え? まさか行かない気なん?」

「行くよ。行くけど……………タイミングはわたしが決める」

今だって。ほっときゃ酷くなる一方なんだから、気付いた今が最適のタイミングでしょうよ。


「てゆーかさ、本当に行く必要あるのかなって思うよね、歯医者って」

なんか変なこと言い出したぞ。

姉ちゃんはソファのヘリをガリガリとかきながら唇を尖らせる。

「だって歯医者ってさ……………」

「はあ」

「歯医者って…………」

「うん」

「歯医者はさあ………」

「……うん」

「………………怖いし」

素直ー。なんか理屈こねてくるかと思ったら素直ー。

意地も張れないくらい怖いようだけど、行かないわけにもいかないし。

頑張れよ、姉ちゃん。


「………なあ」

「はい?」

「お前さ………本屋に用事ないの?」

「本屋? ………ない、けど」

最寄りの歯医者と同じテナントビルに入っている本屋に用はないけれど………それがどうした?

まさか、一人で行けないのか姉ちゃん。高校二年生の姉ちゃんよ。

「………………」

「………………」

「………あ、やっぱり……あった、かも?」

「………………」

「どうする? 一緒に行こうか? ………僕も

「……いいし。何? 違うから。次いであれば買ってきてあげようと思っただけ」

おお、踏みとどまった。ギリギリのところで姉のプライドが歯医者の恐怖を上回ったか。よかった。

「ああ、怖い………」

本音はずっと漏れてるけど、まあ、よかった。



次の日。

トイレに行こうと部屋を出たら、聞いたことのないような激しい足音が階段を駆け上がってきた。

「あ、姉ちゃん………」

そのまま鬼気迫る表情で僕の横をすり抜けて、自室に飛び込でいく姉ちゃん。

バラバラに粉砕しそうなほど強く、扉が叩き締められた。

………そうか、行ったんか。歯医者。

ややって、聞こえてくる、くぐもった声。


「ふえ―――――ん」


……痛かったんか。

偉いぞ。よく頑張ったぞ、姉ちゃん。


高校一年生の夏。姉ちゃんが歯医者に泣かされて帰ってきた。

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