なんか、姉ちゃんが飛び降りた


うちの学校には奇妙な伝統行事がある。


『飛び降り』と呼ばれるそれは、体育館で行われる。

体育館特有の高い窓を開け閉めするための細い通路(キャットウォークと言うそうな)、高さでいえば二階部分に相当するそこからただ飛び降りるだけという、身も蓋もないやる意味もよくわからない度胸試し的行事だ。


 重要なのは私的行事ではなく、あくまで二年生の体育の授業の一環としてやるということ。もちろん安全を考慮して下に分厚いマットは引くが、普通に怖い。でも、授業なので飛べなかったら残される。次の学年が体育館を使い始めても、飛べるまで残される。

 時間内に飛べなかった二年生はいい笑い者だ。「私は飛べないチキン」ですと、文字通り晒上げられる格好になるのだから。


「おーい、さっさと飛べよー。一年生が入って来たぞー」

体育館に入ったら、体育教師が飛べない二年生にプレッシャーをかけている真っ最中だった。

可哀相に。

高所恐怖症の人間からしたらあんな場所に立ってるだけで地獄だろうに、その上後輩たちの面前で見世物みたいに晒された日にはプライドなんかズタズタだろう。

せめて見ないようにしてあげたいが……。


「あれ? あれってお前のねーちゃんじゃね?」

……さっそくクラスメートの有川に見つかった。


「おお、やっぱりそうだ。ほら、あそこ! 飛び降りで残されてる上級生! ねーちゃんじゃん!なあ!なあって!ほら、あれ」

 指を差すな、バレるだろうが。こっちはどっくに気付いてるんだよ、弟舐めんな。気が付いた上で知らんぷりしてるんだよ。


 有川は姉ちゃんに気があるので、どんな形であれ姿が見えれば鬱陶しいほどテンションが上がる。

「いやー、やっぱ美人だわー。顔面蒼白でぷるぷる震えてても絵になるよなー」

 絵にしてやるな、そんな姿。

「でも意外だよなー。お前のねーちゃんならあんなん平気でぴょんって行きそうなのにな」

「ああ……うん」

なぜか姉ちゃんは、外ではクールで沈着冷静な氷タイプの強キャラだと思われている。実際はカナブン一匹部屋に入ってきただけで半泣きになるバリバリのビビりなのに。

「よし、俺応援するわ。おねーさーん、がんばれー!」

「ばか、やめろって」


「―――っ」


ああ、見つかった。一瞬大きく目を見開き、ぷいっと顔を背ける姉ちゃん。

最悪だ……あれは怒ってる。

絶対家に帰ってから報復を受けるやつだ。


「なあなあ、壁下ギリギリまで近寄ったらねーちゃんのパンツ見えんじゃね?」

もう喋るな、お前は。

「お、見ろ見ろ!おい、見ろって」

見ねーよ。何が楽しくて姉ちゃんのパンチラなんて見なきゃいけないんだ。

「ねーちゃん飛ぶぞ」

「え、マジで?」


マジだった。

ずっと柵の内側で震えていた姉ちゃんが、意を決して柵に足をかけていた。

嘘だろ? 行くんか、姉ちゃん。無理すんなって。 

「ああ、しまった。マジでパンツ見えたかもしれんのに」

うるせえ、黙れ。姉ちゃんが行くんだぞ。

姉ちゃんはぶるぶる震えながら柵の外側に降り立つと、一瞬キロリと僕を睨みつけ、


「きえ――――――っっ!」


いった。

バスッと鈍い音を立ててマットがへこむ。


「よーし、合格!」

「おー」

体育教師の声に押されて歓声が沸いた。

「……すげー。いったなー、ねーちゃん」

「……うん、いったな」

「……やるなー、ねえーちゃん」

「……うん、やるなあ」

「……………………」

「……………………」

「きえー言うたなー」

「言うたなー」

居残り組が飛べると健闘を称えて拍手が沸くのが慣例だが、その拍手がどこかフワフワしているのは、みんなの頭に同じ思いがあるからだろう。


きえー言うたなー、あの人。


うちの姉ちゃんは、きえー言うた。

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