なんか、姉ちゃんがその気になった


「ちょっと、本格的に絵を始めよっかなって思う」


昨日似顔絵を褒めたからだろうか、なんか姉ちゃんが調子に乗り出した。


「今まで何となく描いてたからさ、ちょっと本格的にね、勉強しよっかなって」

「あ、はあ………」

いいんじゃないだろうか。姉ちゃん帰宅部だし、友達いないし、趣味といえば読書くらいだから、何か打ち込むものがあっていいと思う。


「やるわ、ほんとに………わたし」

「うん」

「今日からやるし………わたし」

「……あー、うん。頑張って」

「うん」

 僕の口から無理矢理応援の言葉を引き出すと、姉ちゃんは満足そうにソファで読書の続きに戻った。

……まあ、やらないんだろうけど、どうせ。


それから全く何事もなく一週間が過ぎた。

「ただいまー」

「んー……」

姉ちゃんは相変わらずソファにいる。何か新しいものを始めた気概らしきものは微塵も感じられない。


「あのさあ、姉ちゃん」

「んー?」

「絵の勉強の方は、どう?」

「うん…………捗ってるねえ」

 やってるんかい。びっくりした。嘘だろ、え? やってんの?

「やってる……かれこれ一週間………」

マジかよ。いつの間に。


てゆーか、具体的に何をやってんだ? 絵画教室に通いだした感じはないし、もちろん美術部に入ったふうでもないし。部屋でこっそり絵描いてるのかな?

「これこれ、これやってる」

そう言って姉ちゃんは左手でスマホを振って見せた。

「何それ? ゲーム?」

 パズルゲーム……かな? 普段ゲームしない姉ちゃんにしては珍しい。

「あれからずっとやってんのよね、これ。一週間で大分うまくなったわ」

「はあ……」

「………捗ってるでしょ?」

「え? 何? 絵の勉強ってそれなの?」

 ヤバいヤバい、どうしよう。姉ちゃん史上で一番意味わかんないこと言い出した。絵上手くなるためにパズルゲームやってるよ、この人。

「そんなわけあるか。ゲームやって絵が上達するかよ」

ああ、違うんだ。よかった。びっくりした、本当に。

「大事なのは手だから、手」

 ……手?

「そうそう、わたし右利きなのに左手でやってるでしょ、ゲーム」

「ああ、うん。そう言えばそうね」

「あと、気付いてないだろうけど、わたしこの一週間ずっと箸も左手で持ってんのよね」

「え、そうだったっけ?」

「あと授業中も左手でシャーペン持ってる。これも気付いてないだろ?」

 それは気付きようがないからね。

「あとはそうだな、LINEとかも左手で打ってる」

「へー……」

 いつ絵の話になるんだろう。

「わたし絵上手くなるためにさあ……」

「ああ、うん」

「左利きになる練習してるんだ」

 もう発想が異次元過ぎる。やっぱりしてたじゃん、姉ちゃん史上で一番意味不明なこと。

「努力のかいあって大分ネイティブ左利きに近づいてきたと思う。頑張った」

 デッサンだから。絵描きの努力は絶対にデッサンだから。


姉ちゃんは、やっぱり変だと思う。

そんな姉ちゃんの変な努力は今もまだ続いてるらしい。その証拠にLINEの文章に打ち間違いが多すぎる。


『今日かあさん遅いいから。かれーにする。蝦飼ってきて』

 ――わかった。

『パンも』

 ――わかった。

『藤代君好きかも』

 ……はい?


最後のメッセージはすぐに消去された。

藤代君って、いったい誰だ?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る